《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

柳生街道「滝坂の道16」

2008年12月31日 | Weblog
誓多林町集落の東端まで来ると、左へ行くと柳生街道へ続く三叉路がある。その少し先に「おかげ灯篭」の常夜灯がある。この道を真っ直ぐ進むと伊賀、伊勢へと通じる伊勢街道で賑わいを見せた時もある。しかしこの誓多林町も農家として後継者に困っていると云う。「家を継いでもらおうと思ったら、高価な農業機械を買わないかんし、家族は4人なのに8台ものテレビがある。えらい世の中や!」と、無人販売のおばさんの嘆き。
(今日は何の日=除夜の鐘は108の煩悩を覚ますと言われるが、中国の仏教儀礼で1年12ヶ月、24気、72候を合わせた数字だそうです。)良いお年をお迎えください。

柳生街道「滝坂の道15」

2008年12月30日 | Weblog
芳山石仏から元の道に戻り、誓多林町(せたりんちょう)の集落に入る。北側斜面の茶畑の中に大きな地藏さんが見える。やっと出合った土地の方に尋ねてみた。「下にあった物を道の改修の折移動したもので、五尺地蔵と云われており何故そのように云うのかは分かりません」とのことでした。
(今日は何の日=1927年上野-浅草・2.2キロ間に地下鉄が開通)

柳生街道「滝坂の道14」

2008年12月29日 | Weblog
芳山(はやま)の石仏は、峠の茶屋の少し先にある鳥居の前を左に折れ、坂道を下りきった辺りから尾根に登る。尾根を開いた狭い広場に立つ等身大の石の二面に二体の如来立像が刻まれており珍しい形だそうである。平安末期から鎌倉期の作を言われている。何故この場所に石仏が?…

柳生街道「滝坂の道13」

2008年12月27日 | Weblog
地獄谷石窟仏から深い谷間の急な細い道を上がり、少し右に行くとパフレットでお馴染みの茶店がある。真偽の程は定かでないらしいが店内には武芸者が代金の質に置いていったと云う鉄扇や槍が並べてある。
(今日は何の日=1960年池田内閣において国民所得倍増計画が閣議決定された)

柳生街道「滝坂の道12」

2008年12月26日 | Weblog
春日石窟仏と同じく凝灰岩をくり抜いた地獄谷聖人窟ともよばれ、春日奥山の石仏の中で最も古いとされている。いま彩色されているものは昭和20年代のものらしい。古くは庶民の捨墓で、いわゆる風葬墓であったところ。
(今日は何の日=1934年わが国最初のプロ野球団”東京倶楽部(巨人軍)”が誕生)