《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京よもやま話「休暇届」

2010年04月07日 | Weblog
洗濯や子供の病気治療のための休暇届が残っている。唐風の公服を着ていたのは都の住人の中でも少数の役人だった。一着しかない公服を洗濯し、乾くまで休暇をとった下役人もいたようだ。庶民は古墳時代と余り変わらず無地無着色の麻服、丈の短い上着とズボンをはいていたと推定される。風呂はお寺の湯屋から始まるがこの時期はまだ風呂に入る週間はなく、皮膚病がはやった。正倉院の文書には正月五日の届出に「子供が皮膚病のため三日間休ませてくれ」というのがあり、続いて「2月7日にはその子供が死去したので葬式のため休ませてくれ」というのがある。
(今日の歴史=724年藤原不比等の三男、宇合(うまかい)が蝦夷平定の持節大将軍に任命される)