《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京よもやま話「当時の公害3」

2010年04月15日 | Weblog
752年に開眼供養された大仏殿の廬舎那仏坐像は3年かけて青銅(銅と錫の合金)で鋳造された眩いばかりの金色だった。銅が500t、金が441㌔、錫が8.5tそして水銀が2.5t使われたと言う。水銀に金を溶かして仏像の表面に塗布し、水銀が蒸発すると金だけが表面に残る塗金(ときん)法で造られた。その蒸発した水銀は近辺に漂ったのであろう。当時は水銀ガスの危険性が知られていなかった為、水銀中毒が大流行したであろう。また生活廃水は側溝や川に流され衛生状態も年とともに悪化してゆきこれをリセットするためにも次の新しい都、長岡京へ遷都する原因になったのではないかと考えられる。画像は近年のインドガンジス川。汚染された世界10の川より(http://210.165.9.64/nobytajp/e/8d41e97ce8ebd244f4c11b9f44694bb)
(今日の歴史=615年聖徳太子が「維摩経義疏」を完成)