《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

新春・弓引き行事3

2011年01月31日 | Weblog
平朝臣 畠山家長について調べてみる。平知盛 (1152~1185)は清盛の四男。平家の勇将伊賀(平)家長と乳兄弟。「壇ノ浦戦」最後の総大将。生き残った平家一族は四国、大和吉野の山奥等に落ち延び密かに再起を待った。

新春・弓引き行事2

2011年01月28日 | Weblog
ある檀家さんにお話を聞いた「今から約630年前、平朝臣 畠山家長が移住薬師如来を祀り、平家再興おりのために弓矢の鍛錬を欠かさなかったと言い伝えれれており、家長の位牌があるが、詳しい資料は持ち去られて今はハッキリしたことが分らない」とのこと。HPには「その後江戸時代には弓矢の鍛錬は徳川幕府にはばかって薬師の祭日の儀式に名を借りて、正月中の最重要行事として今日に至り、県の無形文化財の指定を受ける」とある。

ギャラリーの少ない伝統行事

2011年01月27日 | Weblog
国道169号線を橿原から南へ約1時間半走ると、吉野郡上北山村河合町に道の駅「吉野路」があり、この少し先を国道からそれ、旧道に入ると曹洞宗「景徳寺」がある。1月8日にこの寺で無形民俗文化財に指定されている「弓引き行事」があった。所々に雪が道に凍り付いており久し振りに緊張したドライブだった。

平城京南から北へ「西隆寺」

2011年01月25日 | Weblog
西大寺と対になる尼寺で、南大門を入り、右手(東)に三重塔を配し、南大門北に楼門、金堂、講堂を一直線に並べる伽藍配置であった。さらに楼門(中門)から 廻廊が左右に廻り、講堂に取り付く配置であった。なお寺域は東西・南北とも約 250mを占めたとされる。画像ガードレールのところが南大門跡として残されている。埋蔵文化財調査センターの資料を多用しました(完)

平城京を南から北へ「西大寺」

2011年01月24日 | Weblog
称徳天皇が奈良時代後半に創建した南都七大寺の一つとして、東大寺に匹敵する伽藍を誇った大寺だった。何度かの火災によって衰え、鎌倉時代に叡尊が復興に努めたが、再興の諸堂も戦国時代に失われる。創建当時は東塔西塔が並び立っていたと云われている。南大門の奥には東塔跡とその奥に本堂。余分ながらこの南大門手前の左手には若木だが黄色い桜「御衣黄桜」が植わっている。