《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

ちょこっと福井の旅・福井城跡「パワーをもらう」

2019年08月30日 | Weblog

一の鳥居はコンクリート製ではなく「石の鳥居」である。
傍にある銀杏の木は、戦災で枯れ死したと思われたが樹勢を取り戻し
「福井市のシンボルとして、市の天然記念物に指定されている」と説明にある。
「握手」をして「老いた体にパワーを…」。

今日の暦:昭和37(1962)年、戦後初の国産機YS11の初歩行に成功。


ちょこっと福井の旅・福井城跡「神社のイメージが…」

2019年08月27日 | Weblog

城跡の北側にある福井神社は尊王派の
中心人物となった松平春嶽を祀る神社として、
昭和18年、太平洋戦争の最中に創建された神社。
昭和20年7月の戦災で焼失したが、
昭和32年、総コンクリート造りで再建された。
画像、コンクリートの「二の鳥居」の左側に社殿があるが、
今まで知っていた神社とは異なり「朱色」が全く見つからない神社で
「新時代にふさわしい独創的な…」とあるが、
何か「冷たい」感じがする、別感覚の神社だ。

今日の暦:安政6(1859)年、安政の大獄で、徳川慶喜が隠居謹慎を命じられる。


ちょこっと福井旅・福井城跡「春嶽も渡った橋」

2019年08月23日 | Weblog

山里口御門(廊下橋御門:屋根瓦は笏谷石”しゃくだにいし”)で葺いている。
土塀の腰板や礎石、石垣裾部の排水溝にも「笏谷石」が使われているのは、
福井城の大きな特徴とも言われている。
松平春嶽16歳で入城する。

大正3(1914)年、独に宣戦布告をし大日本帝国が第一次大戦に参加する。


ちょこっと福井旅・福井城跡「昔からあった地産地消」

2019年08月19日 | Weblog

本丸西側を守る築城当初からある「山里口御門」。
桝形を形成している「櫓門・棟門」で、二階は武器庫として使われていた。
屋根は福井で採掘された笏谷石(しゃくたにいし)の瓦葺。
門扉や柱はケヤキ材が用いられ、内部の壁板や床板にはヒノキ材。
梁には手斧(ちょうな)仕上げの松材が使われているが、
使われている木材の60%は県産材とか。

今日の暦:昭和4(1929)年、ドイツ飛行船ツエッペリン号が霞ケ浦に到着。


ちょこっと福井の旅・福井城跡「福井の言われ」

2019年08月15日 | Weblog

「飛鳥時代の天皇祭祀(さいし)遺構は極めて珍しく、
平成12年に出土した酒船石(さかふねいし)遺跡の
亀形石造物(同村)に次いで2例目。
専門家は"呪術的な祭祀などが行われた神聖な空間"としており、
古代の天皇祭祀を研究する上で
重要な資料となりそうだ(橿原考古学研究所が8日発表)」と産経新聞にあった。
「清水(せいすい)」が湧き出すところに
「霊気」を感じた時代があったようだ。
福井の語源とも言われ、特別な井戸として扱われてきた
「福の井跡」が古天守跡に見ることができる。

今日の暦:明治2(1869)年、蝦夷地を北海道と改称する。