石舞台古墳よりはるかに小さいが、大きな横穴式石室があり、くり抜き家形石棺が見える。末期古墳の大半は真南を向いているのに、この石室の入口は石舞台古墳と同じく南西を向いている。冬野川を挟んで一対と考えたとき、日本書紀に「ならびの双墓(ならびはか)を今来に造る。一つは大陵と云う。大臣蝦夷の墓とする。一つをば小陵と云う」とある。これからすると大陵が蝦夷となるのだが馬子は…。この古墳では毎年元旦の朝には金のニワトリが鳴くという金鳥伝説があり、金鳥塚とも呼ばれている。
(今日の歴史=神送りの日・9月末日は神々は出雲へ出発する日、その結果来月は各神社には神は居なくなる『神無月』となる)
(今日の歴史=神送りの日・9月末日は神々は出雲へ出発する日、その結果来月は各神社には神は居なくなる『神無月』となる)