《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

幸村探索・大坂「想像するに堀跡かっ」

2017年02月28日 | Weblog

堀越神社の南側が両軍の最前線。谷町筋沿いにあるが、前を走る車の音は気にならないのが不思議。
「堀越神社の堀越とは、かつて境内の南方向に美しい堀があり、
そこを渡っていたことから名づけられたと言われています。
境内はこぢんまりとした広さですが、都会にありながら緑が多く、静かでリラックスできます。
清廉な気のいい空間なので、時間をかけてお詣りしたくなる気分になります」とある。
地理院の地図で標高を見てみると天王寺駅前の標高約16㍍、堀越神社手前の道路はそれより約2.5㍍低く、
またそこから北側に走る国道25号線では約18㍍と高くなっているいることから、川跡か堀跡と考えられる。


幸村探索・大坂「手柄を与えて…」

2017年02月27日 | Weblog

夏の陣で家康をさんざんに追い詰め、あと一歩のところで及ばず安井神社で越前・松平の家来に手柄を与えて果てた。
神社の謂れは「聖徳太子により四天王寺が建立された頃に創建したと伝わる古社。
学問の神として崇められる菅原道真は、太宰府に向かう際に立ち寄って安居(休憩)したといいます。
真田幸村戦死の地ともいわれており、静かな境内には幸村像と真田幸村戦士跡之碑が建てられている」


幸村探索・大坂「それにしては造り酒屋が…」

2017年02月23日 | Weblog

昔は安居の森が鬱蒼とした、安居天神に面しているので天神坂と呼ばれている。
途中にある水のモニュメントは
「天王寺七名水(増井・逢坂・玉手・安井(安居)・有栖(土佐)・金龍・亀井の清水)」
の復元されたもので、生駒山系の伏流水だとか。
それにしても造り酒屋が近くに見当たりませんねー


昭和の「におい」が残る…

2017年02月21日 | Weblog

幸村探索で訪れた大阪・空堀商店街。
今は「はいからほり」というユニークなキャッチフレーズがついている。
東西の段差は上町台地であることから理解できるが、
歩いてみると空堀筋を中心に南北にも凸凹の起伏に富んだ地形になっていることが気になった。
調べてみると江戸時代瓦土の採集跡とか。
また起伏とは別に西北側一帯は先の戦争であまり被害が受けなかったとかで、
昭和の「路地」が残っているとのこと。
自称「路地愛好家」としては捨て置けず先日再訪した。詳細はいずれまたブログで…