《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

柳生街道「剣豪の故郷へ10」

2009年01月30日 | Weblog
小さな公園に立つ街灯の根元にコンセントがある。何故ここにコンセントが設けられているのか?そもそもそれがいけない。コンセントに差し込まれたプラグの先は民家のほうへ… ローカルの景色と笑ってはいられない。硬いことを云えば「犯罪」である。でも何故か「にやり!」
(今日は何の日=1902年、日露協商を結ぶかどうか?悩んだ末に日英同盟締を結び日露戦争へと向かう)

柳生街道「剣豪の故郷へ9」

2009年01月29日 | Weblog
国道369号線坂原町より旧道に入り急峻な細い道を登りきった所にある長尾神社。鳥居をくぐると楽屋から舞台をつなぐ「橋がかり」を備えた「金春流」の能舞台があり、本殿や多くの摂社の社殿が並ぶ。この神社にも春日大社若宮の旧社殿を移築したものがある。ついでながら柳生一帯は春日大社の社領であったそうだ。
(今日は何の日=1957年南極観測隊がオングル島に上陸、後に昭和基地と命名)

柳生街道「剣豪の故郷へ8」

2009年01月28日 | Weblog
坂原町には石仏がある。足痛地蔵、一石六地蔵。画像は川原の崖に彫られたお地蔵。確認は出来なかったが村の人によると「歯痛地蔵」もあるとか。人通りの少ない村中、やっと出会って目前の地蔵の名前を尋ねるが、知らない村人が多い。余り身近すぎて今ひとつ感心がなさそうと思ったが、医療の発達による「祈る」「願う」と云うことの薄れがそうさせたのだろう。
(今日は何の日=1685年日本最大の悪政、生類憐み令をだす)

柳生街道「剣豪の故郷へ7」

2009年01月27日 | Weblog
南明寺のすぐそばにある「お藤の井戸」。村娘がこの井戸で洗濯をしていたところ、柳生宗矩が通りかかり、その村娘の器量と才気をみそめて後に側室となったと云う逸話がある。おふじの井戸と案内板。
(今日は何の日=1870年(明治3年)、国旗「日の丸」が制定された)

柳生街道「剣豪の故郷へ6」

2009年01月26日 | Weblog
南明寺・重陽薬師会の舞が終わったあと、菊酒を片手に「三聚の清浄なる戒め=規律を守り、善き教えを体得し見返りを求めない心」「10の善き戒め=殺生、盗みをしない。嘘、悪口を云わない。二枚下を使わない。貪欲の心を持たない。心の赴くままに怒らない。淫らな事しない」などについて…
(今日は何の日=1949年法隆寺の壁画が消失する)