《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

駅の真ん前にある明石城跡「400年の時を経て」

2019年12月31日 | Weblog

徳川将軍・秀忠が、西国諸藩に対する備えとして、
小笠原忠政に新城の築城を命じたことに始まる。
石垣普請は元和5(1619)年正月に始められ、
工事は町人請負で行われたとされる。
400年前の石垣に乗っかっているように
平成の高層マンションが見える。

今日の暦:昭和20(1945)年、GHQが
修身、日本歴史、地理の授業停止指令。


明石は「明石焼き」だけではないっ

2019年12月26日 | Weblog

明石城跡も駅の北口の「真ん前」にある。
元和5(1619)年、徳川秀忠の命により、
初代明石藩主で家康の曾孫(ひ孫)の小笠原忠政が築城。
天守は築かれなかったが、
本丸四隅に建てられた三重櫓が威容を誇った「明石城跡」は、
日本100名城にも数えられている。
東に巽櫓、西に坤(ひつじさる)櫓がが現存する。

今日の暦:昭和13(1938)年、中谷宇吉郎らが
雪の人工結晶に成功する。


駅の真ん前にある「福山城跡30」

2019年12月14日 | Weblog

ホテルから見る夜の福山城跡。
改めて新幹線・福山駅は「城内」にあることがわかる。
疲れた足で向かった、歴史博物館が臨時休業だったのが残念だった。
伏見城から移設された湯殿や櫓等をみて、
徳川家康は信長と同盟(同格)であり、
秀吉は信長の家臣(家来)であったので、
立場上、信長の後継者としては認めがたかった。
そのような家康の跡を継いだ秀忠も
「秀吉嫌い」だったことが感じられた福山城だった。(完)

今日の暦:元禄15(1702)年、赤穂浪士が吉良邸に討ち入る。


駅の真ん前にある「福山城跡19」

2019年12月13日 | Weblog

疲れた足を引きずり(?)城が見える食事処へ。
入口に「本日のおすすめ 海鮮ひつまぶし海鮮丼・金目鯛」が目に付いた。
「鰻のひつまぶし」の鰻を金目鯛に替えた「海鮮丼」とのこと。
初めて口にする「金目鯛」だたが、
テレビでレポータが言っているような味覚は感じなかった。
「ちょい呑みセット 908円+お重+お刺身+選べるアルコール1杯」が気になった。
よく見ると言い訳がましく但し書き。
生ビールは「グラス」、ハイボールは「薄め」などと。
思わず「にやっ」と。

今日の暦:(1937)年、日本軍が南京を占領する。