拝殿(国宝)は、鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の優れた建物遺構。本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材が使われて、一間社流造りの三殿からなる。本殿の東側に摂社「春日神社」が建っているが、一間社流造の小さな社であり、藤原一族の守護神を祀っているようである。平等院の鎮守社として藤原一族の繁栄を願って築造されたものと思われる。平成16年(2004年)2月、奈良文化財研究所・宇治市等が年輪年代測定調査を行った結果、本殿は1060年頃の現存最古の神社建築であることが裏付けられた。
橋寺放生院は推古12年(604)に創建されたと伝えられ、宇治橋と深く関わってきたことから、橋寺の名で親しまれている。本堂の前にある宇治橋断碑は、大化2年(646)に宇治橋を架けた由来を彫ったもので、日本三古碑のひとつといわれている。また境内は、四季折々の花に彩られ、とくに9月中旬から10月上旬に楽しめる酔芙蓉は美しい花をさかせる(京都府観光ガイドより)。日本三古碑は栃木県大田原市の那須国造碑、宮城県多賀城市の多賀城碑、群馬県高崎市吉井町の多胡碑で、いずれも飛鳥時代~奈良時代にかけての8世紀前後のもの。
「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられる宇治橋。646年(大化2年)に初めて架けられたという伝承のあり、古代の北陸道や中・近世の奈良街道が宇治川を渡る地点にある。橋のたもとに立つ「三宅安兵衛」の道標。
境内には同じ水の神の住吉神社が並んで祭られています。 もとは宇治橋の西詰にありましたが、明治3年の洪水で流され、今の場所に移されました。宇治橋が架けられたとされる大化2年(646年)から今日に至るまで、橋姫神社は宇治橋の守り神として、橋と地域の人々を見守ってきました。宇治十帖の第一帖は「橋姫」と題されています。紫式部は、物語の舞台が橋とともに歴史を歩んできた宇治へと移り変わるのを見事に演出しています。(京都宇治ウェブガイド 橋姫より抜粋)。