《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

土偶展5

2012年12月30日 | Weblog
多くの人が、社会の教科書で見たことのある、青森県の亀ケ岡遺跡から見つかった遮光器土偶(BC1000年頃)。西日本各地で発見される、亀ヶ岡文化の遮光器土偶も、九州で稲作が開始さる弥生時代には激減する。新たな時代の幕開けと共に、縄文人の世界観の表現の造形として活躍した土偶は姿を消す。(画像はお土産品)/多くのデータは「土偶・コスモス」図録より抜粋。(完)本年も余すところあと一日。皆様よいお年をお迎えいただき、来年も「≪河童≫のちょっこっと旅メモ」ご笑覧ください。

土偶展4

2012年12月28日 | Weblog
日本で発見された土偶の出土数は約18,000体。数字は省くが一番多く見つかっているのは青森・山内丸山の2,000点余り。中部地方より北で多く出土しており、関西、九州方面では約500点と非常に少ない。大きな縄文集落が少なかったのか、それとも開発で人為的に失われたのか?画像は国宝の合掌土偶(BC1300年頃・高さ19.8㎝)

土偶展3

2012年12月26日 | Weblog
「禁忌を意味する『タブー』は英探検家クック船長がポリネシアから欧州に持ち帰った言葉と云う。太平洋の島々のアニミズム(精霊信仰)は、いたく西洋人の興味を引きつけたようで、メラネシアの『マナ(神秘的な力の源)』という言葉も英宣教師が世界に広めた…」と毎日新聞の余禄にあった。日本の縄文人にもこのような『精霊信仰』があった。木々や石、山の峰々の精霊と人形(ひとがた)を繋ぎたかった。「中国民話の中には巨乳の男性英雄が登場する」と云う話もあるので、乳房=女性とは限らない。一寸強引すぎるかも?ヘリポートのような頭上を持つ「みみずく土偶(BC1300年頃・高さ13.2㎝)」

土偶展2

2012年12月24日 | Weblog
縄文人が土偶を作り始めてから数千年後、土偶には頭や手足がつけられて国宝の「縄文ビーナス(BC3300年頃・高さ27㎝)」のような土偶が誕生する(画像)。そしてどんどん「人」形になり丁寧に埋葬され、女神として祀られるようになる。その後は遮光器土偶などを筆頭に綺麗な色彩や細かい彫刻が施された土偶へと変化してゆく。

土偶展1

2012年12月23日 | Weblog
滋賀県信楽にある「ミホ・ミュージアム」で、日本全国から集まった、国宝3点を含む縄文土偶が約220点展示されていた。縄文初期の土偶には頭、手、足も下半身もなかった。それは小さな物で大切な宝物の様だったようだ。画像土偶は滋賀県東近江市で見つかった現在日本最古(BC11000年頃)の土偶とされている、高さが3.1㎝程の郵便切手位の大きさのもの。