《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道を歩く1・奈良街道「アスピア山城図書館」

2014年07月30日 | Weblog

JR棚倉駅から西に向かい、県道70号線に戻り北に向かうと総合文化センターが左手にあり、近代的な建物アスピア山城図書館が現れる。「図書館内の一角に山城町の埋蔵文化財を紹介する特別展示室があります。椿井大塚山古墳から出土した副葬品の中から、中国古来の神仙思想に基づく三角縁神獣を描いた銅鏡32面のレプリカが展示され、貴重な埋蔵文化財を通して、郷土の豊かな歴史の息吹にふれることができます」HP山城町商工会にある。


旧街道を歩く1・奈良街道「湧出神社」

2014年07月28日 | Weblog

JR棚倉駅前にある和伎(わき)神社ともいう。治承・寿永の乱(1180-1185、源平内乱)により焼失しその後、現在地に遷されたともみられている。 鎌倉時代、初代鎌倉幕府将軍・源頼朝(1147-1199)が再建したという。1969年より境内での発掘調査が行われ、湧出宮遺跡といわれている。 縄文時代前期(紀元前7000- 5500)の土器、石器、弥生時代中期(紀元前370-紀元100)の土器片、石器などが発見された。縄文時代の竪穴式住居跡も確認され、当時の集落があったとみられている。HP京都風光より抜粋


旧街道を歩く1・奈良街道「椿井大塚山古墳」

2014年07月27日 | Weblog

明治27年(1894)奈良鉄道(JR奈良線)の線路敷設の際、後円部の前寄りが切断され昭和8年(1953)保線工事で法面を広げる工事中大雨で墳丘の一部が崩れ、石室が発見され遺物が出土し調査が行われた。3世紀末~4世紀初頭に築かれた山城随一の大規模な前方後円墳。32面の舶載鏡が出土しており、古代における鏡の分有関係に大きな問題を投げかけた。木津川、淀川を経て瀬戸内海に通じるこの地の葬られた首長は同笵鏡を配布するのに重要な位置にいたことが想像される(街道資料Ⅰより抜粋)


旧街道を歩く1・奈良街道「こっそり持ち出された…」

2014年07月25日 | Weblog

昭和28年4月に椿井大塚山古墳の京都大学の発掘調査は終わり石室は埋め戻されたが「もうこの貴重な遺跡が二度と見られない」と嘆いた地元の人が、工事の人に話を持ちかけて、こっそりと持ち出された「椿井大塚山古墳の天井石」の幾つかが、山城中学校の校庭に置かれてる。その気持ちわかるな~っ。