《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

幸村探索・九度山「メーン道路は商店街」

2016年12月31日 | Weblog

幸村が父・昌幸と共に14年間にわたり住んだ九度山。信行からの仕送りもあってそれなり過ごしていた。
一子・大助と共に紀の川で泳いだり、平織の紐を「真田紐」として行商させ、家康の状況も探っていた。
弘法大師母子、真田親子も歩いたであろう、「真田のみち」と呼ばれるメーンロードは今、店舗が左右に並ぶ。


幸村探索・九度山「何だかなー」

2016年12月30日 | Weblog

九度山・幸村探索は北に紀の川、南に丹生川の蛇行部分に囲まれた「島」のよな、高野山への通り道に当たるところ。
弘法大師の母親が高野山を一目見ようと四国からこの高野山町にやってきた。
しかし当時、高野山は女人禁制であったためこの町に留まった。
大師は月に9回(九度)高野山から母を訪ねて来たと伝わり、それがこの町の名前の由来だと云う。
その弘法大師と母が会った場所が「対面石」と言われているこの場所と云うのだがだが…


幸村探索・九度山「伝説が多いなー」

2016年12月28日 | Weblog

我が古民家の庭にうす氷張ったり、8時過ぎには空から白いものが舞い降りる朝だった。
さて、パンフレットによると「この穴の向こうは大阪城に続いていて、
かつて真田幸村はこの穴を使って戦場へ出向いた。
という伝説が残っている。実際は古墳時代後期の円墳」とある。
墳丘は削られていて道端にあり、石室天井部が地表面と同じ高さにある横穴石室。
「雷封じの井戸」といい、上手く見せるものだ。