《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

富雄川流域探索「五仙堂村」

2021年03月28日 | Weblog

スーパーマーケット・中村屋の北側に五仙堂橋があり、
西に向かって細い道の田圃と田圃の間を進むと左側に「
五仙堂」と下部に彫られた石柱がある。
上部には「皇威赫八絋 皇徳昭六合 五仙堂」。
皇威=天皇の威光。八紘=全世界、八方、八極。
赫=かがやくさま、名誉をたたえ顕彰するのに云う。
右側面には「和十六年」とある。
明治45(1912)年発行の国土地理院地図を見ると
「土橋」の北側に「五仙堂」と記載されている。
「㏍GOSENDO」と社名のあるお住まいの方にお声がけすると
「当時5,6軒位の村「五仙堂村」だったところで、
(株)五仙堂は明治の頃大阪四ツ橋で、
衣類や日用品を商う店だった。
今は店を閉じて、㈱五仙堂も今年(平成29年)末をもって看板も降ろすと…」とのお話し。
石柱を左へ坂を登ると井戸がある。
近くの方の話によると、昔の村の共同井戸で今も
「盛り塩」がなされお祀りをされているとか。
さらに坂道を登ると住宅と思える建物の「聖法山・観音寺」がある。


富雄川流域探索「志賀直哉著『日曜日』4」

2021年03月12日 | Weblog

すっぽんを入れた魚籠は桜の枝につるした。
桜の幹にも柳の枝にも同じ高さで、藁くずやごみがひっかかっていた。
これは水が出た時、水がここまで来た跡だ。
…帰途(かえり)、酒屋に立ち寄り婆さんにすっぽんを見せた。
亀はいるが、すっぽんはこの川でも珍しいと、大変喜んでくれた。
二、三人見に出てきた男の一人が笑いながら、
『かみに、養殖している人がありま。そこから逃げた奴だっしゃろ』といった。
野生のつもりでいたので、これは少し興ざめした。…」とある。
富雄駅の鉄橋から富雄川を南へ向かって歩く様子を語っている。
「酒屋」とあるが昭和30年ごろ、現・富雄中学校の隣に酒蔵があったが今、
「ボトルワールドOK富雄店」になっている。


富雄川流域探索「志賀直哉著『日曜日』3」

2021年03月11日 | Weblog

一軒離れて、間口の広い造り酒屋がある。
その前の立木の中を分水した方の水が流れている。
丁度前かきの幅だけなので、
それを入れて子供達に下流から叉手(さで)で追はしたが、
何度やつても一尾も入らなかつた。
…十二、三軒人家のかたまった所を通りぬけると、
真直ぐな一本道に出た。左は田圃、右は川で、遠く、
大な榎が四辻においかぶさっている砂茶屋という所まで、それが続いている。
此辺の川には綺麗な洲があり、葭(よし)が生え、
何となく親しみ易い景色だった。
路から一間ほど下り、草原の木陰で持って来た物をひらいた。
すっぽんを入れた魚籠は桜の枝につるした。
桜の幹にも柳の枝にも同じ高さで、藁くずやごみがひっかかっていた。
これは水が出た時、水がここまで来た跡だ。
…帰途(かえり)、酒屋に立ち寄り婆さんにすっぽんを見せた。
亀はいるが、すっぽんはこの川でも珍しいと、大変喜んでくれた。
二、三人見に出てきた男の一人が笑いながら、
『かみに、養殖している人がありま。そこから逃げた奴だっしゃろ』といった。


富雄川流域探索「志賀直哉著『日曜日』2」

2021年03月10日 | Weblog

「…次の日曜(六月四日、晴れ)それを持って、
うち中で富雄川へ出かけた。
大概の生きものは好きだが、捕ることは甚(ひど)く不得手で、
魚捕りも好きではないが、此日は前かきで多少の興味を持ちながら行った。
電車を降り、線路について片側人家のだらだら坂を下りきると、
直角に、それが富雄川だ。幅、四、五間の川床で、水は砂地を残し、
もっと狭い幅で流れている。岸から、一寸した草原があり、
其所に枝のよく広がった桜が一列にならんでいる。
赤いのや、もう黒く熟した小な桜ン坊が沢山ついていた。
桜並木と往来との間に上流で分水した小さな流れが
下の川よりもなみなみと勢いよく流れている…」。