《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔奈良名所「神様は酒好き?」

2018年02月27日 | Weblog

車舎の先、二の鳥居から先は古くより乗り物禁止。
これから先の参道は石段が続き、物理的に車は入れない。
車舎は文字通りの車庫で、参詣時に車(牛車)を置いたところ。
現在の建物は寛永9(1632)年のもの。
酒蔵のように積まれた酒樽。
春日大社の多くの神様が出席される酒会はさぞや賑やかであろう。
「いえいえ、お清めのご酒です」

今日の暦:昭和24(1948)年、国宝の松山城が放火により焼失。


寝不足だよねー

2018年02月25日 | Weblog

昨夜は9時ごろからのオリンピック競技のカーリングを最後まで応援した。
「ロコ・ソラーレ(LS)北見」は北海道常呂町のチーム。
この常呂町はかつて北海道旅をしているとき体調を崩し、
常呂町病院でお世話になったことがある。
テレビで応援したからどうのこうのはないが、
最後の最後に「神」さんは味方してくれたのかなーと思う試合だった。
で、今日は寝不足でーす。画像はNHKより。


今昔奈良名所「春日のロマンティックな道」

2018年02月23日 | Weblog

下の禰宜道(しものねぎみち)は、
春日社の神官が住んでいた高畑方面に通じる道が通っている。
高畑の社家町から通じる三つの道の一つで、最も西にある道。
馬酔木のトンネルを抜ける道で「ささやきの小路」という
ロマンティックなニックネームが付けられて、
南へ向かうと高畑町の志賀直哉旧居に通じている。

今日の暦:昭和19(1944)年毎日新聞が「竹槍では間に合わぬ」の記事を掲載。


今昔奈良名所「氷室と春日の三尺問答」

2018年02月22日 | Weblog

バス通りから参道に入ると風景はガラッと変わる。
その昔春日大社が、この辺りの地主である氷室神社に
「この土地の地下三尺だけ譲ってほしい」と言った。
氷室神社は耳が遠かったために「地下」という言葉が聞き取れず、
「三尺四方くらいなら」と承諾してしまった。
春日大社はすぐさま、氷室神社が所有する広大な土地に囲いをした。
氷室神社が「話が違う」と抗議すると、
「私は地下三尺と言ったのに、あなたが聞き取れなかっただけでしょう。
約束通り春日大社境内の樹木は地下三尺より下へは延ばしません」と言う話がある。
この木も「約束」を守り「根」を深く張らずに頑張ってます。

今日の暦:明治10(1877)年西郷隆盛軍が熊本城を包囲する。


今昔奈良名所「恐怖に耐えた鹿」

2018年02月21日 | Weblog

明治34年から武徳会の春日野馬場のあった所で、昭和天皇の即位を記念して、
昭和4(1929)年に現在のコンクリート鹿苑が造られた。
秋には江戸時代の奈良奉行により寛文12(1672)年に始めた「角切」。
当時は町の木戸を締めきって町中で行われていたが、
大正14年には「残酷だっ」と言う意見もあり中断。
後に昭和天皇即位を契機に再開したが、先の大戦でまたも中止されたが、
昭和28年から再開された。

今日の暦:明治5(1872)年日本初の日刊新聞「東京日日新聞」が創刊。