《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

柳生街道「春日奥山分岐点」

2008年11月29日 | Weblog
バス停・破石町から東へ志賀直哉旧居、薬師寺を右方向に見て進む。春日大社の神体山の原生林御蓋山(みかさやま)に入ってゆく道がある。春日原生林は平安時代から樹木の伐採が禁じられてきたため鬱蒼と木々に覆われている。また平城京の守護神でもあり、遣唐使はこの山を伏し拝んで、はるか海を渡り西の国へと出発したと云われている。

柳生街道「新薬師寺2」

2008年11月28日 | Weblog
新薬師寺より西へ約120メートルの所にある、奈良教育大学構内で2008年8月から始まった埋蔵文化財調査で、奈良時代に造られた基壇の一部が見つかった。見つかったこの基壇を推定復元すると、廂を入れると68メートルの幅が推定され、階段の推定幅約52メートルとなり大仏殿に次ぐ大きさ。新薬師寺の金堂、または講堂跡と考えられている。(配布資料より抜粋)

柳生街道「新薬師寺1」

2008年11月27日 | Weblog
10月24日毎日新聞朝刊「幻の古代寺院が、初めてベールを脱いだ」と云う見出しに続き、「奈良教育大学構内で金堂と見られる遺構が見つかった新薬師寺は、東大寺や興福寺など南都七大寺に匹敵する伽藍を誇ったと伝えられながら、実態は謎だった。東大寺大仏殿に次ぐ規模。江戸時代に再建された現在の大仏殿に匹敵する。」とあった。再建はされず、紙上の記録しか残されないのが惜しい気がする。

柳生街道「志賀直哉旧居」

2008年11月26日 | Weblog
バス停破石町から東へ進むと1筋北側に一度は解体が決まった志賀直哉旧居がある。洋画家の中村一男氏の保存運動で2009年に改修され全面的に公開される。志賀直哉が自ら設計をし、約10年間を過ごした。他にこの地域には大正末期から昭和初期に滝井孝作、足立源一郎、若山為三などの文人や画家たちが移り住んで交流していた。