《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

卑弥呼は何処「纏向遺跡6」

2010年02月25日 | Weblog
当時日本では栽培されていなかったベニ花の花粉が見つかった。染色に使われていたのではないかと思われるが、斑鳩の藤ノ木古墳からも多く見つかっている。その後の飛鳥時代にはベニ花は漢方薬として、虫下しなどに使われていたのではないかと思われている。江戸時代においては、山形県最上川流域がベニ花の一大産地となり、京都や大阪に送られて大変重宝されました。
(今日の歴史=681年天武天皇が律令の制定を命ずる・天武令)

卑弥呼は何処「纏向遺跡4」

2010年02月23日 | Weblog
纒向遺跡には西は大分県国東半島、東は今の東京や静岡の沿岸から多くの土器が持ち込まれていて、それらはその地方から来た人々が煮炊きに使っていたと見られる。人口の10人に3人はそれら地方から集められた、または荷物を運んできた人たちではなかったと思われる。
(今日の歴史=1576年信長が安土城に移る)

卑弥呼は何処「纏向遺跡3」

2010年02月22日 | Weblog
今回は3世紀後半の庄内式期の大型建物跡が見つかったが、今後布留式期の部分の発掘が大いに待たれる。周辺には纒向石塚古墳、纒向矢塚古墳、巻向勝山古墳、東田大塚古墳、ホケノ山古墳、そして箸墓古墳などが6基の古墳がある。
(今日の歴史=749年陸奥から始めて黄金が献上される)