《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

橿原市・今井町「煉瓦の橋脚」

2017年08月31日 | Weblog

近鉄・八木駅から飛鳥川の「きんしばし」を渡り通称「神武里道」を南(左)に進むとJR桜井線の下をくぐる。
このJRの橋脚が少し変わっていたので調べてみた。
奈良県教育委員会からの「奈良県近代化産業遺産報告書」を参考にすると
「飛鳥川の西に隣接する橋台、橋脚は共にイギリス積み。
橋脚平面より南側に突頭型張り出し(水切)があることが大きな特徴…」。
いつ頃の物か等について詳しくは記載されていないが、
現・まほろば線(桜井線)の開通は明治26(1893)年とwikipediaにある。
堺煉瓦、岸和田煉瓦、大阪窯業、貝塚煉瓦、日本煉瓦などは当時の日本を代表する煉瓦製造所で、
その煉瓦は鉄道や多くの建築物に使われた。
堺煉瓦の刻印がある。

≪河童≫の覗いたファインダー、更新致しましたのでお立ち寄り下さい。


橿原・今井町探索「今更ながらの今井町とは」

2017年08月30日 | Weblog

愚痴:夏休みも終わりに近づき、昨日のミサイルも落ち着いたか、今日はネットが繋がった。
奈良県橿原市にある今井町を訪れた。近鉄八木駅からすぐの所にある。
戦国の世、天文年間(1532~1555)、一向宗・今井兵部郷豊寿によって稱念寺を開き、濠をめぐらした寺内町だ。
織田信長に反旗を翻したが天正3(1575)年に光秀らのとりなしにより降服して事なきを得た。
江戸時代には、「大和の金は今井に七分」「金の虫干し玄関まで」と言われるほどに繁栄していた町だ。
前回から9年目となる探索だ。


ちょこっと東京「あ~よかったっ」

2017年08月21日 | Weblog

日本武道館で日本大学の入学式が行われていた。
地下鉄九段駅に着いた時も、靖国神社参拝を終え出てきたときもこのような人波。
しかも途切れることなく続いていたようだ。
千数百人の新入学生と父兄(多分)の人、人、人。
この人たちが地下鉄駅に雪崩れ込んだら…と思うと、
コース変更も考えなくてはと思ったが、幸い彼らのほとんどは徒歩で学校へ向かって行った。