《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

富雄川流域探索「浄福寺の巨樹」

2021年07月24日 | Weblog

大倭神宮南東約70mには、浄土真宗本願寺派・浄福寺がある。
「小野妹子の玄孫・小野福麿をと弔うために
建立された六福寺の一つ」との伝承がある。
境内にはクロガネモチの大木があり
環境省・巨樹・巨木データーベース、2000年6月22日確認によると
「樹齢推定200~199年、幹の周り315㎝、樹高=20m」とある。
手を伸ばし幹に触れてみる。


富雄川流域探索「大倭神宮」

2021年07月13日 | Weblog

大倭神宮は聖徳寺と道を挟んで向かい側にあり、
木々や竹藪に囲まれた中に磐座がある。
「熊野を迂回して大和に攻め込んだ
狭野命(神武天皇は幼少時代)の軍は連戦連敗だった。
登美の軍(長髄彦)が勝ち鬨を挙げようとした時、
一天にわかにかき曇り氷雨の襲来とともに、
金鵄の瑞光があって、両軍矛を納めて大地に平伏した。
この天啓によって両軍和議が成立、
長曽根日子命が差し出した条件を狭野命が無条件に受諾、
長曽根日子命はヤマト国を狭野命に譲り、
媛蹈鞴五十鈴媛命を正妃としてヤマトの婿養子となったと言う。
また、物部、蘇我戦争の際に祖先のトミノオミトイチヒは
聖徳太子の矢を背負ったことから
"矢追"と言う名を賜ったと伝えている」とHPにある。