石室の中をのぞくと枯葉の絨毯だった。ここの敷地にはこの弁天塚古墳と、富士神社、厳島神社が仲良くお祭りされている。富士神社は富士山浅間山大社がそして厳島神社には宮島の神さんが鎮まり「特に富士山参拝登山にはここの砂を持参すれば、山中霧雨は晴れるとされている」とある。
道は細く風情のある集落である。飛鳥、藤原京から平城京へとつづく当時の「中ツ道」といわれている、この東側山裾に山辺の道がある。この「山辺の道」の呼称は近畿日本鉄道が観光用に付けた名称とか?それはさておき細い道をさらに進み集落の中に入ってゆく。
中には石棺の蓋が置かれている。1辺40メートル以上の方墳と推測されていて、横穴式石室で、石室の奥行きは17メートル余りあり県内でも屈指の大きさの古墳とか。家型石棺3基が出土していおり、羨道からは鉄釘もみつかっいて木棺が追葬されていた可能性もあるとされている。それにしても道からの案内が必要と思う。