注文していたウィッグが届いた。
レミー人毛100%という高級な人毛にしたので、さすがに髪質はいい。
ただ「人毛」というのが生理的に受け付けず、なんだかぞっとする。
調べてみると、人毛というのは、主に中国の貧しい農村の女性が生活のために髪の毛を伸ばして売ったものが多いらしい・・・
想像力豊かな私には結構ヘヴィーなエピソードで、ウィッグの髪を触っていると、農村の貧しい女性が涙を流しながら髪を切っている様子が浮かび、なんだかどんよりとした気持ちになってしまうのだ。
じゃあ、なぜ人毛にしたのかといえば、ファイバー(人工の毛)と比べてみたところ、やっぱり人毛には負けてしまい、ニセモノ感が出てしまうのがわかったからだ。
それに、人毛のほうが長持ちするとか、カラーリングもできるとか、いろんなよさがある。
ただ、扱いやすさ、安定感などで考えればファイバーのほうが楽な面もあり、これは一長一短なのだが・・・。
とにかく高級人毛にした。
そこに置いているだけで怨念が詰まっているようで恐ろしく、想像力が爆発してなかなか眠れなかった。
(そんなに怖いならファイバーにすべきだったと後悔中・・・)
ちなみに値段は6万円程度。
もっと高級なものは20万円くらいするので、まあ、ウィッグ全体で見れば「中の上」くらいのものだろう。
しかし、届いたのはいいが、「好きにアレンジしてください」的な意味もあって、前髪があごくらいまである。
ワンレンにする気はないし、横の髪も思っていたより長いこともあったので、美容室でカットしてもらうことにした。
すぐかぶれると思っていたのに・・・!
もう地毛で外に出られるのも時間の問題なので、原稿が進んでいないのは気になったが、仕方なく夕方美容院へ向かった。
ウィッグを買ったところと提携している美容院を予約。もちろん初めてだ。
谷町六丁目にある「arbre hair design」さん
美容師全員が医療美容師という認定資格を持っていて、ウィッグのカットなどにも力を入れている美容室だ。
髪が抜け出してから初めて地毛で外出したのでヒヤヒヤしたが、到着すると美容師さんに「髪の毛多いですね!」と言われた
「これでも脱毛始まって、かなりすいた状態なんですよ」と言うとびっくりしていた。
髪の毛が多くてよかったのか、何なのか・・・。
とりあえず、ウィッグをかぶり、今のショートと同じ感じにカットしてもらった。
シャンプーもブローもしないからカットだけなのに、1時間以上もかけて、すごく丁寧にしてくださった。
ウィッグの扱い方などもいろいろお話してくれて・・・。
とてもいい美容師さんだった。
それに、スタッフ全員でお客様の気持ちや不自由度を理解するため、皆でウィッグをかぶって自転車に乗ったりスポーツをしたりするということもしているのだとか。
どれくらい暑いか、ズレるか、どんなところが気になるか等、理解しようとしてくれているのだというのを聞いて、なんていい美容室なんだ!と感動した。
他県から来る人もいるというのも頷ける。
「こういう美容室がもっと増えるといいんですけどね」と美容師さんも話されていた。
また、長さを調整するだけでなく、前髪を上げたときの自然な産毛やもみ上げなども作ってくれた。
「細かいことですけど、これがあるかないかでリアリティが違うので」と。
ウィッグの専門店に対して、最初からもみ上げを作ってほしいという提案も出しているそうだ。
最終的に、今の地毛ショートとほとんど変わらない感じに仕上がった。
それも、1時間以上もかけてくれたのに、カット代金がたったの3400円!!(初回なので20%オフだった)
また何かあれば、ウィッグのことはこの美容室にお願いしようと思う。
なんというか・・・「信念」のある仕事をしている人っていいね。
きっと、こういう髪の毛をなくした人が少しでも髪のおしゃれを楽しんで豊かに生きられるようにと、そんな信念を持って「医療美容師」というのを掲げているのだと思うので。
帰りはかぶって帰った。
ドキドキした。
ハゲたおっちゃんがカツラをかぶるときって、こんな感じなのかなぁと思った。
周りがみんな私を「あの人、ヅラや」と思っているような気がして仕方がないし、電車やホームで人の前に立ちたくなくて、すぐ後ろへとまわってしまう。
座れば座ったで、つむじを上から見られるのが怖いし、風が吹くと慌てて頭を押さえるし・・・。
ああ、これがヅラ生活!!
でも・・・なんだろう。
負け惜しみでもないし、無理やりポジティブシンキングでもなく、こういういろんな経験ができたことは本当によかったと思っているのだ。
病気の人の気持ちも、仕事ができなくなる恐怖も、夫婦の絆も、ヅラ生活の面倒も、本当に豊かに生きるということの意味も、自分が何をして生きていきたいかも、周りの人の優しさも友情も、いろんなことがよくわかった。
小さなことで怒らなくなったし、くよくよしなくなった。
自分のダメっぷりに打ちのめされそうな出来事があっても、なんか、まあ、こんな人間でもいいかなと、そんな気持ちになっている。
でも、よく言うところの「生きてるだけで丸儲け」とか、「生きているんだからそれだけでいい」みたいな、そういうのとは違うと思っている。
「生かされている」=「やるべきことがある」のだと、私は思うのだ。
生かされたことに甘えたくはない。
これまで以上に深く、生かされた意味を考えたいし、生きている限り、生産することや人のために役立つことをしていかなければと強く思う。
そういう信念を持っていれば、またきっと宇宙は私に味方してくれる。いろんなキセキがまた起きる。
きっと「病気になったのは、そういう意味があったのか」と、納得できる日が来る。
そんなことを考えた、ヅラ生活の第1日目であった。
レミー人毛100%という高級な人毛にしたので、さすがに髪質はいい。
ただ「人毛」というのが生理的に受け付けず、なんだかぞっとする。
調べてみると、人毛というのは、主に中国の貧しい農村の女性が生活のために髪の毛を伸ばして売ったものが多いらしい・・・
想像力豊かな私には結構ヘヴィーなエピソードで、ウィッグの髪を触っていると、農村の貧しい女性が涙を流しながら髪を切っている様子が浮かび、なんだかどんよりとした気持ちになってしまうのだ。
じゃあ、なぜ人毛にしたのかといえば、ファイバー(人工の毛)と比べてみたところ、やっぱり人毛には負けてしまい、ニセモノ感が出てしまうのがわかったからだ。
それに、人毛のほうが長持ちするとか、カラーリングもできるとか、いろんなよさがある。
ただ、扱いやすさ、安定感などで考えればファイバーのほうが楽な面もあり、これは一長一短なのだが・・・。
とにかく高級人毛にした。
そこに置いているだけで怨念が詰まっているようで恐ろしく、想像力が爆発してなかなか眠れなかった。
(そんなに怖いならファイバーにすべきだったと後悔中・・・)
ちなみに値段は6万円程度。
もっと高級なものは20万円くらいするので、まあ、ウィッグ全体で見れば「中の上」くらいのものだろう。
しかし、届いたのはいいが、「好きにアレンジしてください」的な意味もあって、前髪があごくらいまである。
ワンレンにする気はないし、横の髪も思っていたより長いこともあったので、美容室でカットしてもらうことにした。
すぐかぶれると思っていたのに・・・!
もう地毛で外に出られるのも時間の問題なので、原稿が進んでいないのは気になったが、仕方なく夕方美容院へ向かった。
ウィッグを買ったところと提携している美容院を予約。もちろん初めてだ。
谷町六丁目にある「arbre hair design」さん
美容師全員が医療美容師という認定資格を持っていて、ウィッグのカットなどにも力を入れている美容室だ。
髪が抜け出してから初めて地毛で外出したのでヒヤヒヤしたが、到着すると美容師さんに「髪の毛多いですね!」と言われた
「これでも脱毛始まって、かなりすいた状態なんですよ」と言うとびっくりしていた。
髪の毛が多くてよかったのか、何なのか・・・。
とりあえず、ウィッグをかぶり、今のショートと同じ感じにカットしてもらった。
シャンプーもブローもしないからカットだけなのに、1時間以上もかけて、すごく丁寧にしてくださった。
ウィッグの扱い方などもいろいろお話してくれて・・・。
とてもいい美容師さんだった。
それに、スタッフ全員でお客様の気持ちや不自由度を理解するため、皆でウィッグをかぶって自転車に乗ったりスポーツをしたりするということもしているのだとか。
どれくらい暑いか、ズレるか、どんなところが気になるか等、理解しようとしてくれているのだというのを聞いて、なんていい美容室なんだ!と感動した。
他県から来る人もいるというのも頷ける。
「こういう美容室がもっと増えるといいんですけどね」と美容師さんも話されていた。
また、長さを調整するだけでなく、前髪を上げたときの自然な産毛やもみ上げなども作ってくれた。
「細かいことですけど、これがあるかないかでリアリティが違うので」と。
ウィッグの専門店に対して、最初からもみ上げを作ってほしいという提案も出しているそうだ。
最終的に、今の地毛ショートとほとんど変わらない感じに仕上がった。
それも、1時間以上もかけてくれたのに、カット代金がたったの3400円!!(初回なので20%オフだった)
また何かあれば、ウィッグのことはこの美容室にお願いしようと思う。
なんというか・・・「信念」のある仕事をしている人っていいね。
きっと、こういう髪の毛をなくした人が少しでも髪のおしゃれを楽しんで豊かに生きられるようにと、そんな信念を持って「医療美容師」というのを掲げているのだと思うので。
帰りはかぶって帰った。
ドキドキした。
ハゲたおっちゃんがカツラをかぶるときって、こんな感じなのかなぁと思った。
周りがみんな私を「あの人、ヅラや」と思っているような気がして仕方がないし、電車やホームで人の前に立ちたくなくて、すぐ後ろへとまわってしまう。
座れば座ったで、つむじを上から見られるのが怖いし、風が吹くと慌てて頭を押さえるし・・・。
ああ、これがヅラ生活!!
でも・・・なんだろう。
負け惜しみでもないし、無理やりポジティブシンキングでもなく、こういういろんな経験ができたことは本当によかったと思っているのだ。
病気の人の気持ちも、仕事ができなくなる恐怖も、夫婦の絆も、ヅラ生活の面倒も、本当に豊かに生きるということの意味も、自分が何をして生きていきたいかも、周りの人の優しさも友情も、いろんなことがよくわかった。
小さなことで怒らなくなったし、くよくよしなくなった。
自分のダメっぷりに打ちのめされそうな出来事があっても、なんか、まあ、こんな人間でもいいかなと、そんな気持ちになっている。
でも、よく言うところの「生きてるだけで丸儲け」とか、「生きているんだからそれだけでいい」みたいな、そういうのとは違うと思っている。
「生かされている」=「やるべきことがある」のだと、私は思うのだ。
生かされたことに甘えたくはない。
これまで以上に深く、生かされた意味を考えたいし、生きている限り、生産することや人のために役立つことをしていかなければと強く思う。
そういう信念を持っていれば、またきっと宇宙は私に味方してくれる。いろんなキセキがまた起きる。
きっと「病気になったのは、そういう意味があったのか」と、納得できる日が来る。
そんなことを考えた、ヅラ生活の第1日目であった。