月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

誰のために、いつまで生きるのか。

2016-06-27 | 癌について
取材に行った。
酒蔵関連以外の取材はおよそ3ヶ月ぶり。

学生向けの就活ナビサイトの記事作成のため、大阪のものづくり企業を訪れた。
ハシゴや脚立など足場関連のツールを専門で製造しているメーカーで、創業60年。海外展開も積極的に行っている会社だ。
技術力だけでなくブランディングが上手で、イタリアにも通用するようなオシャレな脚立まで造っていた。
社長さんは二代目で、まだ若そう。40代か50代前半というところ。
インタビューにも気さくに朗らかに、しっかりとビジョンや考え方を語ってくれて、取材はとてもやりやすかった。

こういう採用関連の取材は、月に1~3本くらいではあるが、もう10年近くやらせてもらっている。
この仕事が好きなのは、とにかくいろんな企業へ行って、社長などトップの話を聞けるからだ。
大阪の中小企業は製造業が多いのだが、取材で話を聞くと「日本はこういう中小のものづくり企業によって支えられている!」といつも思う。
普段の生活で何気なく使っているモノに、一体どれほど多くの情熱と知恵と工夫と努力が込められていることか。
久しぶりに「新しいもの」を見て聞いて、刺激になった。

取材が終わると17時過ぎ。
同行のカメラマンさんが親しいKさんで、数ヶ月ぶりに再会したので、「ちょっとビールでも1杯行きましょう」ということになり、取材先の近所の居酒屋へ入った。
Kさんとは一緒に飲みに行くくらいの仲だが、病気で休んでいることは知っていても詳細は全く話していなかったので、「ガンなんですよ」と告白すると、とても驚いていた。

枝豆、ピリ辛こんにゃく、アジの南蛮漬けをつまみながら、ビールを1杯。
我ながら数日前に階段を這って上っていたとは思えない回復ぶりで、美味しく飲んだ。
でも、やっぱりたくさんはまだ飲めない。1杯は美味しいのだけど・・・。(そりゃそうだ)

Kさん(46歳)は社会人になってから、ただの1度も「検診」や「人間ドック」などに行ったことがないという。
仕事でも動き回るし、毎日ジムに通ってフルマラソンも参加するくらいの人なので、たぶんあまり病気はしないだろうなぁと思う。
奥さんも専業主婦なので毎日ちゃんとゴハンも食べているようだし・・・。

なぜ検診に行かないのか聞くと、答えはこうだった。
「怖いから」

なるほど。別に健康に自信があるというわけではないのだ。
もし何か見つかった時に、自分はただひたすら落ち込むタイプなので、そこから這い上がれないのだという。
明るく前向きに治療するなんて無理だ、と。
だから、早期発見で治療するくらいなら、見つかった時には手遅れで死にたいのだと言っていた。
あと10年くらいは大丈夫だろうと思っていて、逆にあと10年生きられたら、子供も成人するから死んでもいいかと、そう思っているらしい。

「あと10年」という短い目標があるなら、まあそれでもいいのかなぁと思った。
それでも、自分に置き換えてみれば、普通の人が簡単に「まあ10年くらいは何もしなくても生きられるだろう」と思っている「10年」が、今治療をしなければ、それすら危ういわけで。
ガンになったら病院で「5年生存率」「10年生存率」という話を平然とされる。
今の私にとったら、5年、10年と生きるのもすでに大変な苦労がある。とても重い10年だ。

病気になってからいろんな人と病気や生死の話をするけれど、Kさんみたいな考え方の人は珍しくはない。
私が「10年生きられるか・・・」というと、自分は別に長生きはしなくていいと言う人もいる。
そりゃ、10年後にコロッと心筋梗塞か何かで死んで、辛い治療もせず、病院のお世話にもならず、誰にも迷惑をかけずに死んでいけるならそれもいいが、そんなにうまくはいかないわけで・・・。
例えばガンになったら、「延命措置は必要ない」というスタンスでいても、治療をしないから翌日コロッと死ぬわけではないのだ。
治療をしなければしないで、体は弱っていくし、痛みもあるし、最後は動けなくなり、結局死に切るまで誰かのお世話になる。
今の世の中、なかなか人に迷惑をかけずに死んでいくのは難しい。

あと、この間友達と話していて思ったのは、「自分が」長生きしたいとかしたくないとかではなく、「誰のために」「いつまで」生きなければならないか、ということが重要なんだろうということ。
私も若い頃は漠然と「100歳まで生きてやる!」と思っていたが、今は自分のためには何歳まで生きたいという気持ちはない。
Kさんも「あと10年」と言ったのは、子供が今10歳で「成人するまで」という具体的な目標があるからだ。
別の、まだ子供が小さい友達は、子供が25歳で結婚するとしてもあと22年は生きないと!と言っていた。
そう考えると、私はどうしても長生きしないといけない。
夫が10歳年下で、彼を一人で残していけないので、夫が70歳まで生きるとすると、私は80歳まで生きる必要があるのだ。
あと35年!!!
逆に、夫がもし早くに死んだら、私はもうそこから先の人生は必要ないもんなぁ・・・。
そうならば、おそらくガンになっても延命治療は受けないだろう。

5年、10年先すら今は見えないが、私は夫が生きている限りは80歳を目標に、どんな病気になったとしても治療して生きていきたいと思っている。
2人で仲良く、まだまだ人生を楽しみたいのだ。
そういう目標のある人間にとって「早期発見」は重要なので、私はこれからも定期検診はしっかり受けるだろうし、健康にも気遣って生きていくだろうと思う。

この間、別の友達とも「定期検診に行くか、行かないか」という話をしていて、いろいろ考えていたのだが、Kさんの話を聞いて自分の考えはまとまった。
私は「夫を看取る」という目標を持っているので長生きが必要だが、例えば「見つかってすでに手遅れで5年先に生存できなくてもいい」という考えであれば、別に検診など行く必要もないんだよなぁ・・・。
それこそKさんのように、「病気が見つかった時は死ぬ時。治療は怖いし精神的にももたないから必要ない」というスタンスの人も、なんだか潔くて、さっぱりしていていいと思う。
自然の流れに逆らわない、というか。
もしそれで、残された身内が身のまわりのことや経済的に困ることもなく、自分の死がそれほど誰かの負担にならないのであれば。

でも、自分が病気になって思うのだ。
自分の「生」や「人生」は、決して自分だけのものではないんだなぁと。
それは誰しも同じことで・・・。
人は、多くの人と関わりあって生きているのだから、ある日突然その存在がなくなった時に、まわりに何の影響もないなんてことはない。
こんな私なんかにも「生きていてほしい」と思ってくれる人がたくさんいた。
逆に、自分の周りの人たちに対して、私も「生きていてほしい」と思ってしまう。
だから、Kさんのようにいろんな考え方の人がいるんだから・・・とは思いつつも、最近は友達に会うとすぐ「検診行ったほうがいいよ」「早期発見が大事」と口うるさい小姑のように言ってしまうわけで・・・。
自分のエゴだとわかっていても、やっぱり周りの人には自分のような痛みや苦しみを味わってほしくないし、早々と私を置いてコロッと逝ってしまわれるのも、淋しくて仕方がないから。

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2 コメント

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Unknown (あんこ)
2016-06-29 10:46:25
それ、それ、それやねん。
私を置いて先にコロッと逝ってしまわれたら、たまらない、淋しくてやりきれない。
だからあたしもきっと小姑になるわ(笑)
Unknown (かおり)
2016-06-30 10:59:08
それやな。笑
自分のエゴだとわかっていても、自分の好きな人たちには長生きしてもらいたい、ずっと一緒にいたいと想ってしまうよね。

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