月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

人との付き合い方

2012-07-30 | 生活
今月はいい感じでブログも更新できていたが、先週末はバタバタして途切れてしまった。

木曜は、あやと会った。
ふみこの家がリフォームしたので今度お披露目会に行く。その時に渡すお祝いを買いに行った。
あまり人と一緒に買い物しないので、なんだか楽しかったなぁ

そして、その後はもちろん飲んだ
目をつけていた、お初天神にあるワイン居酒屋「ブラッスリーランコン」。
昨年オープンしたばかりのようであまり情報もなかったので(クチコミなど)、どうかなぁと思ったのだが、やはり私の「美味しいものアンテナ」は性能が良い!
気取ったところのない、まさに「ワイン居酒屋」。バー使いもできそう。
ソムリエのオーナーがまた気さくで感じが良くて
お料理も美味しいし、ワインの種類もめっちゃ多いしで、非常に居心地良いお店だった。

まずはビール。
エビスの生だけでなく、エルディンガー・ヴァイスビアというドイツの生ビールがあって(大阪では生を出すのはここだけらしい)、あやもおすすめだったので飲んでみた。


美味しい~!

お料理も手頃な値段で心惹かれるものがいろいろある。
とりあえず、オイルサーディンのカナッペを。
これが予想以上のうまさ!


それから、豆とソーセージの煮込み。
いいねぇ、なんか(行ったことないけど)フランスの居酒屋メニューって感じで。


ホロホロ鶏のフリカッセ。
ホロホロ鶏ときのこをクリーム煮込みにしてある。
こちらはバゲットももらって、ソースもしっかりつけて食べた。


それから、食べたかったキッシュ。
2個で700円だから、オトクな感じ!
アツアツで美味しかった~


ワインは、まずは白をグラスで注文した後、赤のボトルを開けた。
本当に種類が多くて何を頼んだらいいのかわからないので、とりあえずは値段で候補を絞った。
安いもので3000円台。高いと何万円もする。
もちろん、私たちは3000円~4000円台前半を狙った。
あやが「これが気になる」というので、注文。
ソムリエのオーナーに聞くと、オーナーもこの値段ではオススメとのこと。
1996年と年代は古いけれど、熟成感というよりフレッシュな味わいがあって非常に美味しかった。


盛り上がりすぎて、最後にもう1杯ずつ赤ワインを注文。
料理もワインも美味しいし、あっと言う間の4時間半。
話題は、原発やいじめなどの社会問題から、夫や友達のこと、私の仕事のこと、あやがドイツやベルギーに滞在していたときのことなどなど、とにかく話は尽きなかった。
あと3日間くらいはしゃべり続けられそうだった。
彼女は本当にいろんなことを考えている。
そして、その考えを正確に言葉にして話し、相手の意見を聞き、また考えを深めるという能力に長けている。
普段からいろんなことを「考えている」ということの大切さをしみじみと感じた時間だった。
また、そういった考えを交換できる友がいるということは本当に貴重なことで、身震いするほど嬉しかった。

「どうしてかおりちゃんと友達になったんだっけ?」とあやが聞いた。
二人で記憶を辿る。
もともとは私とふみこがガッチリと仲良くて、中学を卒業して高校が離れても休みの日には「お茶会」と称した「おしゃべり会」を催して会っていた。
そこに、あやも誘っていたのでは・・・?と思い出した。
でも、中学の終わり頃には、あやと私の間にも確かに強いつながりはできていたので、「お茶会」は3人で会うことになったきっかけに過ぎないような・・・。

何にしろ、数年後に私の幼馴染と勝手にあやは出逢って結婚することになるわけで、そこにはきっと私たちにはわからない、見えない「何か」があるのだといつも思う。
「運命の糸」なんて言葉を使ってしまうと、あまりにも陳腐ではあるが、まあそういう類のもの。
そんなのが現実にあるとしたら、確かに糸でつながっていると感じる。

友達は本当に宝物。
今になって人から「友達がたくさんいていいねー」なんて言われることもあるけど、それは付き合い方の問題だと思っている。
私は、自分が欠落した人間であることを知っていたから、「みんな」と仲良くしたいとは一度も思ったことがないのだ。
「みんな」の中には絶対イライラする人がいるし、私を好まない人もいる。
そんな人たちと愛想笑いを浮かべて、無駄な時間を一緒に過ごしたくはなかった。
その時々は一人ぼっちでどんなに淋しい想いをしたとしても、「一生付き合える人」とだけ親密に過ごしたいと思っていた。
そういう頑なな人との接し方が、20年、30年と経って、ようやくカタチになったのではないだろうか。
そして、別にこの接し方が優れているとも思っていない。
ただ、「そうしかできなかった」だけだ。
いろんな場面で、社交的にふるまえて、皆に好かれて、いつも笑っている人をどれほど羨ましく思ったことか。

学校にいたときは、決して友達が多いほうではなかったし、今も付き合いのある友達と縁が切れる恐れは何度だってあった。
「社交的」とか「誰にでも好かれるタイプ」とか「クラスの人気者」なんていう存在とは本当に間逆。
内気だった小学生時代、反抗的だった中学生時代、変わり者で敬遠されていた高校時代、世を捨てたがっていた大学時代。
社会に出ても組織に属さなかったから、毎日顔を合わせるようなつながりは作りにくかった。
唯一、友達だと思って10年も一緒に仕事をしていた仲間には見捨てられ、後で独りよがりだったことに気づかされた。
塾でも他の講師はみんな仲良くグループを作って遊んでいたけれど、私は誰からもどこからも誘われなかった。
個人的には私を好いてくれる人は何人かいて、1対1では今もつながりはあるけれど、「私」という存在は大勢の中ではいつでも歓迎されなかった。
何が、どこが、どう他の人と違うのかわからないけれど、「私」という存在によって、平和に楽しく保たれている均衡みたいなものが崩れるんだろうなぁと、なんとなく思っていた。

情緒不安定で、自己主張が激しくて、ややこしい性格。
基本的には、人に好かれない。
敵・味方がはっきりして、それをはっきりさせない人たちの中には馴染めないタイプ。

でも、たまーに、私を好きになってくれる人がいるのだ。
こういう人を「面白い」と思ってくれたり、私の奥にある熱いものや、人への情や、そういうものを感じ取ってくれて、つながっていたいと思ってくれる人がいるのだ。
そういう人は、私にとって貴重な存在だから、私はとても情熱を注ぐ。大切にする。
もし私がこんなにマメな人間じゃなかったら、切れていた縁もあっただろうけれど、幸いマメな性格だったのもよかった。

こうちゃんなんて、中学のときから私に意地悪ばっかりして、高校卒業したら東京の専門学校へ行くと言って、私が淋しいと言っても「知らん」と言って、最後はケンカみたいになったまま東京へ行ってしまった。
だけど、私は手紙を書いた。何度も何度も書いた。東京へも押しかけた。
数年後、こうちゃんが大阪に戻ってきて、また一緒に飲んだりするようになった。
いつか酔っ払ったとき、「東京に行ったとき、遊びに来てくれて、ずーっと手紙を書き続けてくれたのは、かおりちゃんだけだった。感謝してるねん。他にそんな人はおらん」というようなことを言われた。
「私、マメやから」と返したけど、涙が出るくらい嬉しかったことを覚えている。

せっかく出逢えた大好きな友達を、たかが「距離」くらいで失いたくはなかったのだ。
結局、もう30年も一緒にいる。。。

でも、夫に「あなたは本当に自分に自信がないんやな」と驚かれることがあるけれど、私はこうして20年、30年と付き合っている友達でさえ、「いつか嫌われて見捨てられるかもしれない」と心のどこかで思っている。
(意識はしていないけれど、潜在的にそういう気持ちがある)
例えば、メールの返事がないというだけで、「何か私が悪いことをしたんじゃないか?」と不安になって、前に会ったときのことを思い返したり、メールの内容を確認したりするほどだ。
そういう私を見て、夫は笑って時々おちょくってきたりもする。
「心配やなー(笑)○○ちゃんからメールなくて、不安やなぁ
「メール来たんか(笑)よかったなぁ。嫌われてなかったなぁ」などなど・・・
夫から見ても、そういうところは不思議なんだろうな。
これだけ固い絆のような友情関係があって、何をそんなにビクビクして生きているのか・・・。

それは、たぶん、私が、もう絶対的に、私という存在を否定しているからなんだろう。

昔はそれを頑なに守ろうとしていた。
否定することを守るって、変な感じだけど、まさにそうだった。
今は毎日頑張って「否定すること」を否定しようとして生きている。
自分で自分を認めてやること、好きになること、幸せになること。
そうでなければ、周りの誰も幸せにすることはできないと知ってから、私は自分を否定することをやめる努力を始めた。
夫と出会ってからは、それが自然にできるようになっているので、今はもう意識して努力なんてしていない。
だけど、ちょっとしたことで、それが表に出ることがあるのだ。
そういう自分に気づくとき、「あー、私もまだまだやなぁ」と思う・・・
人に対してマメである自分をやめられたら、その時こそ心の底から自分を肯定できたときなのかもしれない。

まあ、なんか流れで久しぶりにこんなこと考えて書いてみたけれど、今はここに書いたほどややこしいことを毎日考えながら生きているわけではない。
もう少し気楽だ。(と思う)

とりあえず、新しい出会いと周りの人たちを大切にして、できるだけ楽しく有意義な時間をたくさん作っていけたらいいな。
そして、これから先、周りの人が困っているときに手を差し出せるよう、自分自身の力もたくわえておきたい。
(残念ながら、お金は貯えられそうもないが・・・

思えば、助けてもらってばかりの人生だった。
(物理的な助けではなく精神的に)
今はただ、人に、世の中に、恩返しができるよう、まずは自分自身がしっかりと生きることを考えている。