銅像の龍馬さん

2008-10-20 | 旅行
久々に写真や資料を整理していたら、夏に土佐に行った時に読んだ、鳥肌がたった名文を紹介していないのを思い出した。

司馬遼太郎が桂浜の坂本龍馬の銅像の還暦のお祝いに送ったメッセージ。



~銅像還暦によせて~

司馬遼太郎

                                

銅像の龍馬さん、おめでとう。

 あなたは、この場所を気に入っておられるようですね。私もここが大好きです。世界じゅうで、あなたが立つ場所はここしかないのではないかと、私はここに来るたびに思うのです。

 あたなもご存じのように、銅像という芸術様式は、ヨーロッパで興って完成しました。銅像の出来具合以上に、銅像がおかれる空間が大切なのです。その点日本の銅像は、ほとんどが、所を得ていないのです。

 昭和初年、あなたの後輩たちは、あなたを誘(いざな)って、この桂浜の巌頭(がんとう)に案内してきました。

 この地が空間として美しいだけでなく、風景そのものがあなたの精神をことごとく象徴しています。

 大きく弓なりに白い線をえがく桂浜の砂は、あなたの清らかさをあらわしています。この岬は、地球の骨でできあがっているのですが、あなたの動かざる志をあらわしています。さらに絶えまなく岸うつ波の音は、すぐれた音楽のように律動的だったあなたの精神の調べを物語るかのようです。そしてよくいわれるように、大きくひらかれた水平線は、あなたのかぎりない大きさを、私どもに教えてくれているのです。

 「遠くを見よ」

 あなたの生涯は、無言に、私どもに教えてくれました。いまもそのことを諭(さと)すがように、あなたは渺茫(びょうぼう)たる水のかなたと、雪の色をながめているのです。

 あなたをここで仰ぐとき、志半ばで斃(たお)れたあなたを、無限に悲しみます。

 あなたがここではじめて立ったとき、あなたの生前を知っている老婦人が、高知の町から一里の道を歩いてあなたのそばまできて

 「これは龍馬さんぢゃ」

 とつぶやいたといます。彼女は、まぎれもないあなたを、もう一度見たのでした。

 私は三十年前、ここに来て、はじめてあなたに会ったとき、名伏しがたい悲しみに襲(おそ)われました。そのときすでに、私はあなたの文章を通して、精神の肉声を知っていましただけに、そこにあなたが立ちあらわれたような思いをもちました。

「全霊をあげて、あなたの心を書く」

 と、そのときつぶやいたことを、私はきのうのように憶えています。



中略



 ふつう、旅人の目的は、あなたの個人のものでなく、私ども日本人、もしくはアジア人、さらにいえば人類のたれもに、共通する志というものでした。

 あなたは、そういう私どものために、志をもちました。そして、途半(なか)ばにして天に昇ったのです。その無念さが、あなたの大きさに覆われている私どもの心を打ち、かつ慄(ふる)えさせ、そしてここに立たせるのです。

 さらに私どもがここに立つもう一つのわけは、あなたを悼むとともに、あなたが、世界じゅうの青春をたえまなく鼓舞しつづけていることに、よろこびをおぼえるからでもあります。

 「志を持て」

 たとえ中道で斃れようとも、志をもつことがいかにすばらしいかを、あなたは、世界じゅうの若者に、ここに立ち続けることによって、無言で諭しつづけているのです。

 きょうここに集まった人々は、百年後には、もう地上にいないでしょう。あなただけはここにいます。百年後の青春たちへも、どうかよろしく、というのが、今日ここに集まっているひとびとの願いなのです。私の願いでもあります。

 最後にささやかなことを祈ります。この場所のことです。あなたをとりまく桂浜の松も、松をわたる松籟(しょうらい)の音も、あるいは岸打つ波の音も、人類とともに永遠でありますことを。


送信者 かめ


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1 コメント

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Unknown (サトシ)
2008-10-26 14:55:09
また見させていただきました!
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