花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

国立新美術館「メトロポリタン美術館展」チケット販売開始!

2022-01-09 16:07:19 | 展覧会

国立新美術館「メトロポリタン美術館展」のチケット先行販売が始まった。

https://www.nikkei4946.com/2022/met_tokyo3/

日経ID決済で先行割引にて日時指定入場券

 ・先行販売期間:2022年1月7日(金)~1月24日(月)

 ・特別価格:1,900円(200円割引)

 ・観覧予約対象期間:2022年2月9日(水)~3月31日(木)

◎通常販売(日時指定入場券)

 ・通常販売期間 :2022年1月26日(水)~

 ・通常価格:2,100円

コロナ感染拡大のため、東京都美術館「フェルメールとオランダ17世紀絵画展」の開催が延期されたが、この国立新美術館「メトロポリタン美術館展」もどうなるのか予断が許されないところだ。無事の開催を祈るしかないだろう。



最新の画像もっと見る

17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
メトロポリタン美術館展のカラヴァッジョ作「音楽家たち」 (むろさん)
2022-03-28 00:30:46
そろそろメトロポリタン美術館展に行くつもりで、出品作のうち興味のあるものについて、資料を調べているところです。その中でカラヴァッジョの「音楽家たち」について、いくつかの気になることがあったので投稿します。(チケット販売の話題ではありませんが、Met展出品作のことなので、一番新しいここに書きます。)

まず、第一に「音楽家たち」の修復の件。少し前にカジノ・ルドビージ売却に関連して、ここにあるカラヴァッジョの天井画のことを調べていたら、美術出版社世界の巨匠シリーズCARAVAGGIO(アルフレッド・モワール著、若桑みどり訳 1984年発行)にこの天井画の修復前の写真(下半身を布で覆っている)が出ていました。さらに今回この本の「音楽家たち」の解説と写真を見ていたら、この絵も修復によって以前の状態と現状がかなり変わっていることに気づきました。それは、①左下の後世に書かれたカラヴァッジョの銘が削除された ②中央下にあるバイオリンの弦のところにあるめくれ上がった楽譜の紙が修復以前は隠されていた ③その同じ楽譜の本の右側にある白と赤の布の状態が異なる ④左端のキューピッドの羽や髪の毛が明るくなり見やすくなった などです。また、このモワールの本ではコピー作品の写真が(白黒で)1枚出ていて、これにより現在のMetの絵の左端が5cmぐらい切り落とされていることも分かります(解説に書かれています)。「音楽家たち」のコピー作品はSpikeのカタログレゾネ(2001)によれば、文献上の記録で数点と19世紀にロンドンのクリスティーズで競売にかけられたものなどが書かれていますが、私の確認できた範囲では写真が出ていたのはこのモワールの本だけです。

次にこの作品の年代判定に関する問題。カラヴァッジョの初期作品の中で、この作品の位置づけを知っておこうと思い、手っ取り早く知るために、TASCHENの大型本CARAVAGGIO(S.Schütze 2009、邦訳版は2010)のカタログ部分から、Ⅱ章1592-1599年(聖マタイ連作で公式デビューする前のローマ時代)の部分に相当する作品を拾ったら、帰属作品の「果物を剥く少年」からバルベリーニの「ユディトとホロフェルネス」まで20数点の作品がありました。この中で「音楽家たち」(TASCHENの大型本では「若者たちの合奏」)については1594/95年となっています。一方、最近(2011年)に紹介された1597年7月11日の資料(警察沙汰の記録で、カラヴァッジョがマントを拾って知り合いの床屋に預けたとするもの)によれば、カラヴァッジョがローマに来たのは1595年後半から1596年3月までの間で、デルモンテ枢機卿の館に住むことになったのは1597年ということです(この件については、2016年西美カラヴァッジョ展図録P16のヴォドレ氏論考と、P241の新資料に関する川瀬氏解説、2016年の石鍋氏カラヴァッジョ伝記集P129、コンスタンティーノ・ドラツィオ著 カラヴァッジョの秘密2017年P49に詳しい)。2010年頃までに出された研究では1592年から1599年までの8年間に描かれたと考えられていた初期作品が、1595年から99年までの5年間に描かれたとしなくてはならないことになり、たった3年ですが、この影響は結構大きくて、研究者の間では未だに明確な回答は出ていないようです。上記のコンスタンティーノ・ドラツィオの本では「年代がはっきり特定されるまでは制作年は記さない」(P10)と評価を放棄しているし、2019年の札幌、名古屋、大阪巡回のカラヴァッジョ展図録のNo.2「病めるバッカス」(札幌限定出品)解説で小佐野氏は同作品の制作年を従来説の1594年頃とする一方で、「新発見の資料や~から1597年に描いたとする新説もある(ヴォドレ2016)」と両論併記の形を取っています。Metの「音楽家たち」については、①複数人の構図がまだあまりうまくできていない ②音楽家たちというテーマからデルモンテ枢機卿の依頼によるものであることはほぼ確実 といった状況から、2011年の新資料を信じる限り、デルモンテ枢機卿の館に住むことになった1597年以降の作ということになります。MetのHPでも1597年としていますが、本当にこれでいいのか、他の作品との前後関係も再検討を迫られていると思います。例えばキンベルの「いかさま師」は、従来この絵が売られているのを見てデルモンテ枢機卿はカラヴァッジョを雇うことにした、とされていますが、「いかさま師」の方が人物配置等の表現は「音楽家たち」より優れているのではないかと思います。では、どちらが先なのか?といったことです。

上記のTASCHEN大型本から拾った20数点の初期作品の制作順は素人が見ても大体納得できるようなものですが、現代の研究者が頭で考えた「様式発展」の理論というものが必ずしも信頼できないということは、石鍋氏が「ありがとうジヨット」のP203で聖マタイ連作の制作順序(ロンギのような大学者や若桑先生も間違っている)について警告を発している通りです。8年間であれ5年間であれ、この20数点の初期作品を現代人の思考で割り振るという年代設定は多分真実とはかなり違うものでしょう。でも真実の解明は新しい資料でも発見されない限り無理だと思います。

この初期作品の制作順序についての年代設定は、今後世界の研究者で少しずつ出されていくと思っていますが、日本では石鍋氏が現在カラヴァッジョの本を執筆されていて、初期のミラノ時代なども詳しく書かれる予定だそうですから、これに期待したいと思います。ただ、石鍋氏は作者判定については美術館所属の研究者など、その判定結果が直接影響するような立場の人がやるべき仕事というお考えのようで、年代設定についてもあまり積極的ではないかもしれません。また、宮下氏は聖マタイ連作以前のカラヴァッジョ初期作品のことは重視していないようなので、この件については期待できないと思っています。

次に「音楽家たち」の関連として、カラヴァッジョ作品の音楽と楽器について。このテーマに関しては、「カラヴァッジョ鑑」収録の岡部宗吉著「カラヴァッジョが描いた『音楽』」に詳しいので、参考になります。私も今回読み直してみました。ただ、「リュート弾き」2点や「エジプト逃避途上の休息」については画面上の楽譜を読み取ることが可能で、曲名も判明しているので、制作背景解明の手助けになるのですが、「音楽家たち」は保存状態が悪くて、楽譜が読み取れないのは残念です。
返信する
むろさんさん (花耀亭)
2022-03-29 23:39:14
いよいよ「メトロポリタン美術館展」をご覧になる直前準備ですね!!良いですね~(^^)。私が観に行けるのは東北新幹線が再開してから、それもコロナ次第になりそうです😢。
で、むろさんさんのおかげで《音楽家たち》の事前勉強になりました(^^)v。ありがとうございます!!
修復後は確かに画面が明るくなり、色彩も豊かに戻りましたね。私的には特に葡萄の静物画表現に目を見張りました。コピー作品と比べ、現在のMetの絵の左端が5cmぐらい切り落とされているのは残念ですよね。
年代判定に関しては、あの床屋事件(?!)で研究者の皆さんもすっかり混乱しているでしょうね(^^;。ブログに写真を出す際、年代をどうしようか私も困ってますし(;'∀')

>「様式発展」の理論というものが必ずしも信頼できない
本当にそう思います。カラヴァッジョ作品には特に様OO式として捉え難さがありますから。私も石鍋先生の新しい著書が早く出版されることを期待しています。

>作者判定については美術館所属の研究者など
「疑惑のカラヴァッジョ」を想起してしまいますね(;'∀')
《音楽家たち》は保存状態が悪かったため、楽譜が読めないのは残念ですが、修復で蘇ったことは喜ばしいと思っています。むろさんさん、しっかり楽しんでご覧になってくださいね(^^)
返信する
コメントの追加 (むろさん)
2022-03-30 00:15:31
上記コメントで書かなかったこと、それ以降に確認できたことを追加します。
1)絵の修復の件
上記モワールの本に出ているコピー作品とMet作品の修復前の状態、そしてMet作品の現状、この3点の写真を並べて比較することにより「音楽家たち」の現状の色々なことが見えてきました。上に書いた①~④の他、⑤自画像とされる角笛を持つ男の角笛の吹き口の部分が、修復前は右手の上(後ろ向きの男の目と鼻の間との空間)に描かれていたが、現状では削除されている(コピー作品でも表現されていない) ⑥手前のバイオリンや楽譜の周辺の布が修復前は赤色だったが、現状では白色 ⑦コピー作品では左端のキューピッドの右腕腋の下に矢筒が見えているが、現状では正面のリュートを弾く男の右腕の赤い衣(マント)によって見えなくなっている(修復前も同様)。なお、このキューピッドの胸にある矢筒を背負う紐は、修復前では消されていたが、コピー作品には描かれていて、現状では復活している などです。キューピッドの羽や矢筒は誤って後に追加されたものと判断されて、不適切な修理によって消されていたそうですが、近年(1983)の修復時にも矢筒の部分は復元できなかったようです。MetのHPには「音楽家たち」のX線画像とコピー作品のカラー写真が出ています(下記URL)。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/435844
コピー作品の方は多分モワールの本に出ている白黒写真と同じ作品だと思います(白黒写真は暗い部分がかなり見にくい状態ですが、これはHPの方のカラー写真が、このコピー作品を修復した後の写真?であるためだと思います)。また、X線画像の方もよく見ましたが、角笛の吹き口、矢筒、めくれ上がった楽譜の紙の部分は判別できませんでした。
なお、今回のMet展で私が特に注目している作品はカラヴァッジョの「音楽家たち」、フィリッポ・リッピの「聖母子と天使」、クリヴェッリの「Lentiの聖母子」の3点ですが、このうちのカラヴァッジョとリッピの2作品があまり保存状態が良くないことはちょっと残念に思っています。

私がこういった修復前後の状態の差にこだわるのは、日本美術での経験などから、オリジナルと後補の部分を見極めることが(誤った解釈をしないために)重要と思っているからです。例えば東大寺戒壇院の国宝四天王の腕や手先、持物は明治頃の古い写真を見ると、ほとんどが失われた状態であり、現状の腕または手から先の多くは後補です。今日本に来ているドレスデンのフェルメールの絵は、最近の修復により背後の壁からキューピッドの画中画が現れ、絵の解釈に大きく影響することになりました。また、コピー作品については、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は数点のコピー作品が残っていますが、これがオリジナルの状態を推定する参考になっています。これからMet展に行かれる方で、カラヴァッジョの「音楽家たち」に関心を持たれている方は、美術出版社世界の巨匠シリーズのモワールの本に出ている修復前の写真とMet HPに出ているコピー作品の写真を出品作と比べることをお勧めします。

2)年代判定の件
上記のコメント投稿をした後で、デズモンド・スワード著「カラヴァッジョ 灼熱の生涯」(石鍋真澄訳2000.9.白水社発行)を読み直していたら、1597年7月の記録についてちょっと気になる記載がありました。それはP68の「マダーマ邸 1596~1600年」の章に書かれた「このマダーマ邸に寄寓していた時期の、カラヴァッジョに関する最も早い記述は1597年7月のもので、彼はある暴力事件の目撃者として登場し~コンスタンティーノ・スパーダによれば、この頃のカラヴァッジョは小柄で黒い髭をやや伸ばし~」という部分です。上記コメントで書いた2016年西美カラヴァッジョ展図録のヴォドレ氏論考と川瀬氏解説に書かれている同じ文書が、既にこのスワードの本(原書発行は1998年)の時点で一部研究者には知られていたということになります。

さらに、この件でもう少し研究書などで何か情報がないか、手持ち資料で調べたところ、ヒントになりそうなことを見つけました。それはCatherine Puglisi著Caravaggio(PHAIDON 1998)という英文著書(私のものは2000年のペーパーバック版)です。この中の 第3章デルモンテ枢機卿の家 の項目中に「1597年夏の夕方にカラヴァッジョと友人のオルシが酒場で夕食をとっていた時に~」というこの事件に関する記載があり、その出典として、Sandro Corradini and Maurizio Mariniの「The earliest account of Caravaggio in Rome」、Burlington Magazine,vol 140(1998)という注が出ていました。つまり、この論文で紹介された文書がデズモンド・スワードの本の元になっていたということです。(現在コロナ禍で芸大図書館等バーリントンマガジンなどの美術洋雑誌を閲覧できる場所が近くにはないので、この論文の確認はコロナ禍が収束して、一般人が入館できるようになった時の宿題としておきます)

2016年のカラヴァッジョ展図録P241で西美の川瀬氏は「2011年のローマでのカラヴァッジョに関する古文書史料の展覧会で初めて紹介された」としていますが、実際にはこの文書がバーリントンマガジンで公表されてから2011年の展覧会時点まで10年以上の間、ほとんど全てのカラヴァッジョ研究者はカラヴァッジョがローマに来た時期を1592年頃と思っていて、初期作品の年代も見直しをしなかったということです(この文書と四旬節の時期などのその他の事情から、カラヴァッジョがローマに来た時期を見直したり、初期作品の年代に大きな影響を与えるということに誰も気がつかなかった―2011年になって初めてそのような論文が出たということ)。

この新説に従うと、カラヴァッジョがローマに来てから、聖マタイ連作を描くまでの5年間は、1595~1597年のデルモンテ枢機卿の館に住む前と住んでから後の1597~1599年に分けられると思いますが、バリオーネらの伝記の記述にも混乱、不正確な部分があるようで、「いかさま師」やカピトリーノの「女占い師」が店頭で売られているのを見てデルモンテ枢機卿がカラヴァッジョを雇ったという話もどこまで事実なのか疑わしく思えるし、前半に描かれたと思われる絵が「病めるバッカス」他数点になるのに対し、「音楽家たち」を筆頭に20数点のうちの残る多くの作品は後半に入れなくてはならないということになります(結局これは前コメントで書いた、現代人の考え方=様式発展の理論 で作品の年代を判定していることの限界ということになるのでしょう)。こういった問題が現在でも研究者の頭を悩ましているので、初期作品の多くに対してなかなかこの新説による年代判定が出されないのだと思います。(前コメントで書いた2019年のカラヴァッジョ展図録で「病めるバッカス」を「従来説の1594年頃とする考えと新説の1597年とする考えの両方がある」という小佐野氏の解説を考えてみると、同じ1597年にカラヴァッジョは、デルモンテ枢機卿の館に住む前でモデルを雇う金に困っていた時に鏡を見て自画像の「病めるバッカス」を描き、その直後に館に住むようになって「音楽家たち」を描いたということになります。この2作の表現技術の差を同じ頃としてよいものなのでしょうか?)
返信する
むろさんさん (花耀亭)
2022-03-31 01:26:13
1)絵の修復の件
詳細なご確認、ありがとうございました!!さすが!むろさんさんチェックは念入りですね(^_-)-☆
で、コピー作品対比のお話で、私もMetサイトをチェックしておりました。確かに左端カットも残念でしたが、それ以上に画面自体が痛んでいたことが残念です。そして、モワール本は要チェックですね!!
むろさんさんの修復前後の状態の差への拘りは、勉強になりましたし、なるほど!でした。
実は、NHK-BSP「ゴッドハンド 闇より来たる修復師」を見て、修復師の技の凄さに驚くと同時に、オリジナルとは何なのだろう?と考えてしまいました。難しいですね。
https://www.nhk.jp/p/ts/33X62ZW25R/episode/te/M9Z5LPX56N/

2)年代判定の件
なるほど!!です。
>スワードの本(原書発行は1998年)の時点で一部研究者には知られていた
やはり、むろさんさんのご指摘のように、研究者の思い込みがあったのかもしれませんね。バーリントンマガジンが早く閲覧できるようになると良いですね!!

ちなみに、カラヴァッジョはミラノを出てローマに来るまで、各地で多くの絵を貪欲に観ているはずです。ローマに来てからもそうでしょう。元々の優れた資質が試行錯誤をしながら、短期間で加速度的に花開いた可能性もあると思うのです。早描きだし、作品の質のムラも年代測定を難しくしている一因かもしれませんね(;'∀')
返信する
オリジナル・修復・コピー (むろさん)
2022-04-03 00:24:28
カラヴァッジョ作品の真贋問題やコピー作品の意味について、宮下氏の「カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン」第5章「真贋の森」1「カラヴァッジョの複数作品」(初出は目黒・岡崎でのカラヴァッジョ展図録2001)を再度読み直しました。これと上記コメントで取り上げた石鍋氏の「ありがとうジヨット」に書かれていることを踏まえ、この件について考えてみると、

現在多数残っている同一内容の作品のうち、最も出来のいい1枚だけをオリジナルとし、他の全てを追随者によるコピー作品とする考え方は正しいのか。カラヴァッジョ本人が複数枚描いた可能性はないか。
「聖マタイと天使」の第1作と2作について石鍋氏が言うように、引き取りを拒否された作品でも欲しいという人がいた場合は、収入が倍になって喜んだのではないか。芸術家のプライドを傷つけられたという考えは現代の芸術家像にとらわれ過ぎているのでは。
公的注文以外でも評判がいい作品なら何枚でも描いたのではないか。「リュート弾き」の2つのヴァージョンが存在することはこの問題のヒントになる(旧Met版はドッピオ作品=本人が描いたレプリカ)。「病めるバッカス」「いかさま師」「音楽家たち」の制作順について疑問に思うことも、このことから考えられないか。デルモンテ枢機卿が店で見た「いかさま師」はもっと早い頃の(出来が悪い)作品(今あるコピーとされる作品のどれか)であった可能性とか、「病めるバッカス」が複数枚あった可能性とか。
X線によりペンティメントが見つかった作品をオリジナルとし、それがない作品をコピーとする考えは、メデューサの2つのヴァージョンのように、ペンティメントがあるものが試作品、ないものが本番であるという例もあるので、一概には言えない。

これらのことと <作品の質のムラ や保存状態が悪い作品の解釈なども含めて、カラヴァッジョ作品のどれがオリジナルで、制作順はどうかということを考えるのは難しくもあり、また楽しいことでもあります。今回Met展の「音楽家たち」を予習したことをきっかけに色々考えることができました。まだ結論は出ていませんが。

<NHK-BSP「ゴッドハンド 闇より来たる修復師」を見て~オリジナルとは何なのだろう?
明日の日曜美術館(下記URL)もこのテーマですが、私がオリジナルの意味・価値とは何か?を考える時によく思い出すのは、同じ日本美術の京都東寺の彫刻の例です。それは東寺講堂にある平安時代初期の仏像群の中の一体で、近年「イケメン仏像」として人気の高い帝釈天騎象像です(最近出版された古寺の本でも表紙になっています。下記URL)。2019年の東博東寺展にも出品され、唯一写真撮影可能な作品となっていましたので、ご覧になった方も多いと思います。実はこの像、専門書*によれば、あのイケメンの顔は平安初期当初のものではなく、多分室町時代のものです。同書に掲載されている構造及び後補部の図で、平安初期当初の部分は胴体、左腕(手先を除く)、右足先程度で、他の部分は頭部も象も含め後補です。講堂の諸像は鎌倉時代初期の建久年間に運慶一門が修理した他、室町時代の文明の土一揆による火災後の修理(明応2年1493~)を受けています。鎌倉時代初期の運慶一派による梵天・帝釈天の例として、この東寺講堂像を修理した経験から作った像が岡崎市瀧山寺に残っていて、帝釈天(下記URL)は運慶作らしい表情をしています。東寺講堂の帝釈天の顔はこの瀧山寺像とは全く違うので、室町時代の作ということになります。従来、日本の仏像彫刻は飛鳥~鎌倉時代のものは美術的価値が高いが、それ以降は見るべきものがあまりないとされてきました。近年は南北朝時代以降の彫刻史に関する研究も進み、国指定重要文化財も増えてきましたが、それはあくまで歴史的価値に注目してのものであり、未だに美術的には価値が低いと見なされています(一休宗純や天海僧正などの肖像彫刻は室町時代、江戸時代でも美術的価値が高いとされ、これらは例外です)。私は東博東寺展の時には、「帝釈天の頭部はどうせ室町時代」であるとしてさっと眺め、「ここに瀧山寺帝釈天と同じような頭部が載っていたら運慶一門の修理の証拠だったのに」と思っていましたが、一方、帝釈天の近くに展示されていた大威徳明王(水牛に乗っている像)は「頭部正面の小さな頭上面が鎌倉時代初期の運慶工房の作である可能性が高い」として、この頭上面を長時間拡大鏡で眺めていました。これなどはまさに「南北朝・室町時代以降の仏像は価値が低い」という偏見で見ていたのであり、帝釈天の頭部が何時代のものであれ、現代の価値観でそこに「イケメン仏像」という評価を与えたのならば、それはそれでいいのではないか、とも思います。ただこの帝釈天の顔が室町時代としては例外的にいい顔をしている稀有な例であり、同時期と考えられる同じ東寺講堂内の本尊大日如来は室町時代の仏像の一般的な顔をしています。

https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/schedule/
*日本彫刻史基礎資料集成平安時代重要作品編1中央公論美術出版1973
https://twitter.com/koji_ikou/status/1499982007669256194/photo/1
http://takisanji.net/jihou_hou_taishaku.html

ミケランジェロの最後の審判では、腰布も歴史の一部として残された部分もありますが、フェルメールの今来ている絵やボルゲーゼのラファエロ作「一角獣を抱く婦人」のように、作者本人が描いたもの以外は全て除去するというのが西洋絵画では一般的なようで、なかなか難しい問題ですね。
返信する
むろさんさん (花耀亭)
2022-04-04 00:42:40
カラヴァッジョはレプリカも描いてますよね。注文があれば画家はなんでも描くはずです。当時は著作権も無いし(^^;。
むろさんさんの挙げた作品の他にも、例えば、ドーリア=パンフィーリの《洗礼者聖ヨハネ(笑うイサク)》も。研究者によって見解は異なるかもしれませんが、私的にはレプリカ良品だと思っています。
で、おっしゃる通り、確かに複数のレプリカの存在は(質の違いも含め)、オリジナル判定や年代測定をとしては難しくする要因になりますね。定説はどうなるのか、私も興味深く見守っているところです。

Eテレ「日曜美術館」を見ました。BSPの内容と殆ど同じでしたね。藤田美術館の新装オープンに合わせた事が了解できました。
で、仏像は修理を重ねながら後世へと伝えられて行くのですねぇ。仏像は私にはよくわからない世界ですが、確かにオリジナルとは言えない様式の異なる部分もあるでしょうが、それも含めて信仰の対象だったはずだと思います。平安→鎌倉→室町、むろさんさんのおっしゃる通り、先入観無しでフラットな眼で観ることが大切ですね。(自戒も込めてです(^^;)

私はずっとオリジナル復元修復こそが良いと考えていたのですが、ドレスデンのフェルメールや、今回の藤田美術館の青磁修復で、なんだかよくわからなくなってしまいました(^^;。難しいですが、よく考える機会なのかもしれませんね。
返信する
カラヴァッジョ初期作品の編年のことなど (むろさん)
2022-04-04 22:55:45
<モワール本は要チェックですね
カラヴァッジョのように研究の進歩が早い画家の場合、古い本は役に立たないと研究者の方から言われました。私が好きなボッティチェリやフィリッポ・リッピでは、1970~80年代に出たカタログレゾネ(ライトボーンの2巻本、ルダの本)は今でもこれ以上のものは出ていないので重宝していますが、カラヴァッジョではRizzoliのあのシリーズのカラヴァッジョ(フラマリオンとペンギンの2冊、著者も別)などの古い本は最近ほとんど見ることもありません。美術出版社のモワール著、若桑訳の本は、多くのコピー作品が白黒ですが比較的大きく掲載されている(音楽家たちの他にも、果物を剥く少年、法悦のマグダラのマリア、いかさま師、キリストの捕縛など)、2016年西美カラヴァッジョ展出品作でPapiが真筆としたマッフェオ・バルベリーニの肖像をモワールも(数少ない研究者として)真筆としているなどの点で(カジノ・ルドビージ天井画や音楽家たちの修復前のカラー図版が出ていること以外にも)役に立つ本だと思います。ネットでも1000円台で買えるようです。

カラヴァッジョ初期作品の編年
2016年西美カラヴァッジョ展図録P241の新資料に関する川瀬氏解説で、「本展覧会及び図録は、カラヴァッジョの初期作品の編年をこうした想定に基づいて再検討する2011年以降初めての機会となる」とあるので、それ以降、研究者はこの問題をどう扱っているのか、もう少し調べてみました。

宮下氏は、著書「闇の美術史」2016.5(西美カラヴァッジョ展直後)のP39に「カラヴァッジョは~1595年頃ローマに出る」とあり、その文章の注5(P203)では、西美カラヴァッジョ展図録を引いて「(ローマに来た年は)1592年と思われていたが、3年ほど遅らせる説が登場した。だが、これも検討に値する」として、新説を採用するか明確にはしていません。その後の同氏の著書「一枚の絵で学ぶ美術史 カラヴァッジョ 聖マタイの召命」2020.2では、P33に「(1592年に母の遺産を兄弟で分け)その後まもなく、1595年頃までにローマに出ました」、P48に「カラヴァッジョがローマに来た1592年に即位した教皇クレメンス八世は」と、明確に新説を否定しています。これはP34,35に掲載の図でキンベルの「いかさま師」とエルミタージュの「リュート弾き」をともに1595年頃としている(新説ではカラヴァッジョがデルモンテ枢機卿の家に入った時期を1597年頃としているので、この2作もその頃となる)ことからも、同氏が新説を採用していないことが分かります。

石鍋氏については、2016年の西美カラヴァッジョ展直前に書かれた「カラヴァッジョ伝記集」のP129にその文書記録と新説が紹介されていますが、初期作品の編年については触れていません。2020年の同氏論文「カラヴァッジョの聖マタイ伝連作をめぐる二、三の考察」(成城美学美術史論集22号、下記URL)では直接この問題には触れていませんが、P57の注35に「カラヴァッジョの評伝を準備している」とあるので、上記最初のコメントでも書いたように、この新説に関する同氏の評価と初期作品の編年も当然取り上げることになると思っています。なお、同氏の「ありがとうジョット」に書かれた聖マタイ伝連作の制作順に関する美術史研究者への警告を上記のコメントで書きましたが、「ありがとうジョット」の該当部分は講演録で一般聴取者向けであり、かなり昔のものなので、この美学美術史論集22号に書かれた同様の内容と合わせて読むことにより、(追加の記載もあるので)理解が深まると思います。
https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=5858&item_no=1&page_id=13&block_id=17

これ以外の最近のカラヴァッジョ研究者(木村太郎氏、吉住磨子氏等)では、この新説に関する論考は見つけられませんでした。
私は2016年以降海外旅行には行っていないので、最近の海外のカラヴァッジョ展図録などはほとんど把握していません。そこで花耀亭様にお願いなのですが、2016年以降の海外の図録等でこの問題(ローマに来た時期、デルモンテの館に入った時期、初期作品の編年等)に関する新説の評価について書かれたものを何かご存じなら教えてください。

なお、初期作品については、内外を問わずカラヴァッジョに関する多くの本の表紙に扱われているので、後期作品のように早描きで闇が深くなった絵よりも人気が高いことがうかがわれます。芸術新潮のカラヴァッジョ特集は2回とも「ホロフェルネスとユディト」でした。私も初期作品の方が好きなので、新説による編年については特に気になっています。また、現在日本語で読める多くの本は従来説による編年で書かれたものばかりなので、多くの人がこれをそのまま信じてしまうだろうと思っています(私も最近まであまり気にしていませんでしたから)。

<藤田美術館の青磁修復
日曜美術館の陶磁器修復師親子の話を見て、修復の跡が分からなくする修復方法というのははたして正しいことなのか?と思いました。
ボッティチェリのフレスコ画でウフィツィ美術館にサンマルティーノの受胎告知という大きな絵があります。2001年西美と2015年ブンカムラの2回来日しているので、ご覧になった方も多いと思いますが、この作品は20年以上前に破損部分を修復しています。その修復方法は「遠くから見ると目立たないが、近くで見ると斜めの線のハッチングが分かるような描き方」です(この修復方法は結構多いようです)。昔ウフィツィで見た時は修復前でしたが、2001年の来日時は修復後であり、近寄ると修復部分がよく分かりました。また、ミケランジェロのヴァチカンのピエタは暴漢に壊されたマリアの鼻先などを修復する時に、大理石の破片接続用の樹脂に蛍光剤のような物質を混ぜたものを使い、特定の光を当てれば蛍光により修復箇所が分かるようにしたそうです(リーダーズダイジェスト1975年8月号「ピエタ像はよみがえった」)。これらは文化財として良心的な修復方法だと思いますが、個人の財産である陶磁器などには難しいでしょうね(所有者としては自分の財産の金銭的価値が高くなるような修復を望むのは当然のことですから)。修復の問題は、ルネサンス絵画でもレオナルドの最後の晩餐やフィレンツェ・サンタクローチェのチマブエ作キリスト磔刑像の修復結果に対する賛否両論の議論とか、日本の仏像彫刻でもお寺側は信仰対象として金箔押しの状態や失われた手の復元等を望むのに対し、行政側は古色仕上げや手の補作をしないことを推奨するといったこともあり、修復費用の公費負担のことも絡むのでなかなか難しい問題だと思います。
返信する
むろさんさん (花耀亭)
2022-04-06 01:06:48
>研究者はこの問題をどう扱っているのか
調べていただき、ありがとうございました!! 多分、研究者の皆さんもお困り状態なのだろうなぁと思いますね(^^;

>2016年以降の海外の図録等でこの問題
カラヴァッジョ関連で海外最後に観たのが、2019年ユトレヒトの展覧会ですが、主にユトレヒトカラヴァッジェスキに焦点を当てていたので、制作年問題は触れていませんが、図録ではMET《音楽家たち》の制作年は1597年になっています。ちなみに、2016年のティッセン=ボルネミッサ「カラヴァッジョと北方の画家展」では《音楽家たち》は1595年だった記憶があります。現在Magazine形式のネット解説が海外からのアクセスがブロックされています😢。

>従来説による編年で書かれたものばかりなので、多くの人がこれをそのまま信じてしまうだろう
マタイ=若者説と同じで、仕方が無いのだろうと思います。本当のカラヴァッジョ好きは、むろさんさんのように自分で調べ考えるはずですし。

>修復の跡が分からなくする修復方法
青磁修復が凄すぎて、自分が他の青磁作品まで疑って見そうでこわいです(^^;
ちなみに、仏像修復にはお寺側と行政側の意向の相違と修復費用の公費負担問題があるのですねぇ(^^;。勉強させて頂きました。
返信する
メトロポリタン美術館展に関する情報 (むろさん)
2022-04-08 23:15:47
このブログ記事のテーマと直接関係ないコメント投稿が続いたので、本来の記事の内容に少しは関係するチケットのことなどを書きます。

まず、昨日7日にメトロポリタン美術館展に行ってきました。これに先立つ3月末頃に国立新美術館に電話して(03-6812-9900)、状況などを問い合わせたところ、開始日からその時までで当日券が完売したのは、約50日間のうち、2日間だけとのこと(いつだったかは聞き漏らしましたが、土日だそうです。2/12,13か?)。私がこのことを聞いた理由は、日時予約をすると変更ができないとされているためです。さらに詳しく聞いたところ、予約日に行かれなくなった場合は、後日いつでもその券を持っていけば入場できるそうで、無駄にはならないとのこと。ただ、今後混んできて当日券が完売するようになった時に、予約日以降のいつでも好きな日、時間に入れるのか、ちょっと不安があったので、当日券が買えるなら予約しないで行った方がいいと判断しました。昨日は開館15分ぐらい前に行き、当日券販売の列に並びましたが、開館直後の10:05頃には中に入れました。今後どうなるかは分かりませんが、行ける日が決まったら、一度問い合わせをして、当日券の状況を聞くといいのではないかと思います。なお、3月末の同じ日に(六波羅蜜寺展のついでに)問い合わせた東博のポンペイ展については、残る会期が数日だったため、全ての日で予約分が完売となり、当日券もないと言ってましたので、メトロポリタン美術館展も5月下旬になって会期末が近づくと予約分も当日券もどうなるか分かりませんので、東北新幹線が全線開通したら、なるべく早く行かれる方がよろしいかと思います(コロナの状況と連休前、後のどちらがいいかということもありますが)。

また、メトロポリタン美術館展は再入場不可ということなので、ロッカー(中にはない)の使用や昼食についても注意が必要です。図録については、ショップは会場出口の外にあるのですが、その外にさらに最終的な出口というのがあり、ショップで買物をした後に(最終出口を出ないで)半券を見せれば再度展示室に戻れます。私は最初から中で図録を見ながら絵を見るつもりだったので、入口でこの仕組みをよく聞いてから中に入りました。会場内では図録を持っている人は誰も見かけませんでしたが、こんな展覧会も珍しいと思います。

混み具合については、それほどではなかったと思います。人が集まっている場所は避けて、他の絵を見ていればいいし、時間によってはほとんど絵の前に誰もいなくなるということもよくありました。これは30分毎に予約を区切っているため、例えば12時頃ならば11:50~12:00ぐらいの間は最初の部屋のクリヴェッリやフィリッポ・リッピの絵の前などには人が少なくなり、12:00過ぎるとまた増える、そしてそれに続く部屋はこれが少し時間遅れで同じような状況になるということです。また、18時の閉館時間が近くなると(どの展覧会でも同じですが)、最初の部屋の方から人が少なくなり、例えば17時頃にはクリヴェッリやリッピの絵はほとんど独占状態という至福の時間を楽しめました。

作品についての感想は、長くなるのでまたあとで書きます。
返信する
むろさんさん (花耀亭)
2022-04-10 01:12:22
おお、ご覧になったのですね!!クリヴェッリやリッピ作品を独占状態でなんて(*^^*)
で、貴重な情報をありがとうございました!! 時間制の状況や混み具合など、とても参考になりました。東北新幹線も14日に臨時ダイヤで運行再開が決まったので、私も考えなくてはいけないと思っています。問題はコロナなのですがね😢。
作品についてのご感想もお待ちしてますね(^^)/
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。