フランチェスコ・デル・コッサ(Francesco del Cossa, 1430頃 - 1477年頃)は、イタリア初期ルネサンス、フェッラーラ派の画家であり、スキファノイア宮(Palazzo Schifanoia)のフレスコ画制作にコスメ・トゥーラと共に参加している。
フランチェスコ・デル・コッサ「スキファノイア宮壁画」《4月の寓意:ヴィーナスの勝利》(1470年頃)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Francesco_del_Cossa_003.jpg
Wikipedia によれば…
「『4月の寓意』には、3人の美の女神が描かれていて、女神たちが裸で寄り添って踊るその描写は、ポスト=古典描写の最も初期のものの一つである。ちなみに、サンドロ・ボッティチェッリの『プリマヴェーラ』の日付は1482年から始まっているし、ラファエロ・サンティの『3人の美の女神』の制作も1501年からで、コッサの没年が正しければ、コッサが死んだ後のことになる。」
《4月の寓意:ヴィーナス(金星)の勝利》の一部拡大
2013年にフェッラーラに行った折、スキファノイア宮でこのフレスコ画を観てはいたが、美術ド素人の勉強不足で、装飾プログラムや細部まで良く観察していなかった(汗)。確かに《三美神》が描かれているのだよね。
ニッコロ・スピネッリのメダル裏面《三美神(le Tre Grazie)》も1486年頃だから、デル・コッサのものは本当に最も初期のものの一つだと思う。するとコッサのイメージ 着想源は、やはりピッコローミニ枢機卿が所有していた群像彫刻あたりに求められるのだろうか? また、ラファエッロはフェッラーラのフレスコ画を観たのだろうか? という素朴な疑問も生じてくる。
それとは別に、しみじみ画面を見ていると、奇岩の造形や樹木の枝先のとんがりっぺ具合とか、なにやらヒエロニムス・ボスの描く風景に似ているように思えるのが面白い。コスメ・トゥーラもだが、フェッラーラ派の奇想と言うべきなのだろうか。次回、フェッラーラに行ける機会があったら、ぜひスキファノイア宮を再訪したいなぁと思っている。
で、実は土曜日、ドレスデン・アルテマイスターのデル・コッサ《受胎告知》についてお勉強し、ついでにコッサを調べて「三美神」に気が付いた訳だが、《受胎告知》も実に興味深い作品なのである。
ということで、次回は《受胎告知》について書きたい。
こそっと情報...幸福輝氏がファン・エイク本を執筆中だそうで、何年か後には中央公論美術出版から出るようだ。
フェッラーラにはファン・デル・ウェイデンも訪れているので、北方絵画の影響も取り入れているように思われます。
ちなみに、コッサの絵にはピエロ・デッラ・フランチェスカの影響も見てしまいます(^^;