イスパノフラメンコ様式についてちょっと知りたいと思い、「スペイン美術史入門」(NHKブックス)をサクッと読んだ。
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000912512018.html
で、興味深かったのは(第二章のP141-P142をサクッとまとめると)…
ヤン・ファン・エイクはフィリップ・ル・ボンの使節団の一員として、1428年から29年にかけての10か月間、ポルトガルとスペインに滞在した。しかし、イザボーの肖像画を除き、ヤンが旅の間に何らかの作品を制作した痕跡はなく、ヤンと現地の画家たちとの接触を裏付ける記録も残されていない。したがって、来訪をイスパノフラメンコ様式誕生の要因とみなすことはできない。むしろ、この様式を生んだ当時のスペインとフランドルとの緊密な関係性の象徴ととらえるべきであろう、とのこと。(ちなみに、第二章の著者である松原典子氏は、イスパノフラメンコ作品はヤンの技法よりも、むしろロヒール・ファン・デル・ウェイデンに着想源を求めている、と見ている。)
ヤンとの直接的な接点を持ったという意味で例外的なのは、イスパノフラメンコ様式の最初期の画家リュイス・ダルマウ(Luis o Lluís Dalmau,バルセロナで1428-1461年活動)である。彼はアルフォンソ5世の命により、1431年から5年間フランドルに滞在し、ヤンの工房に迎えられた。ヤンが《ヘント祭壇》の仕上げにかかっていた時期と重なっている。ダルマウが帰国後にバルセロナ市庁舎の礼拝堂を飾る祭壇画として描いた《市参事会員の聖母》は本場での油彩画技法の習得修行の成果を示し、ヤンの作品からの引用も見て取ることができる、とのこと。
ということで、画像を探して見ると...本当にそうだった...
リュイス・ダルマウ《市参事会員の聖母》(1443-45年頃)カタルーニャ美術館
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dalmau_Mare_de_Deu_dels_Consellers.jpg
拡大してみると、合唱天使たちがそっくりで(;'∀')、ダルマウはヤン工房でちゃんと修行したのだなぁと、なんだかほっこりしてしまったのだった。
ちなみに、カタールニャ美術館には以前行ったことがあるのだが、観た記憶が無いのが残念と言うか...。
・カタルーニャ美術館訪問時に一部展示室が(改修のため)閉鎖されていたこと。
・当時は北方絵画への興味があまりなかったこと(^^;
・この作品自体が印象が薄い絵だったかも?
上記が原因だと思うのです(汗)
山科さんも「みえない絵」を経験されているようですが、私など美術ド素人なのでよくあります(^^;。自分の興味が広がると、絵画も見えてくるのが不思議です。なので、同じ美術館に何度も足を運ぶことになるのですよね(^^ゞ
おそらく、この絵は図像的に酷似していても質的にはかなり劣るものではないかと思います。だから、鑑賞した貴女が無視してしまったのではないでしょうか? 絵画の質は写真イメージではなかなかわかりません。プラドの「生命の泉(教会とシナゴークの争い)」も当方にとって一回目は「みえない絵画」でした。
勿論、偶然、貸し出されていたりラボにあって、ギャラリーになかった、ということもあると思います。
ファン・エイク流派の作品でも質が高くて「カーネーションをもつ男」(ベルリン)や「インスホールの聖母子」(メルボルン)のように、長く代表作の中に入っていた作品も少なくないようですが。