花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

秋の北イタリア旅行(3)(ヴェネツィア①サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会)

2023-11-22 21:14:15 | 海外旅行

今回の旅行における初期段階の計画ではヴェネツィアに立ち寄る予定は無かった。しかし、Fさんからの展覧会情報により、アカデミア美術館で「Tiziano 1508. Agli esordi di una luminosa carriera (ティツィアーノ 1508年-輝かしいキャリアの始まりに)」展が開催されることを知り、急遽計画に組み入れたのだった。

https://www.gallerieaccademia.it/settembre-2023-tiziano-1508-agli-esordi-di-una-luminosa-carriera

なので、1泊2日のタイトな日程でのヴェネツィア滞在となり、着いた日はヴェネツィアの教会巡り、翌日はアカデミア美術館訪問という計画となった。

ということで、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会(Santi Giovanni e Paolo) は、今までなかなか訪れる機会がなく、今回、ようやくジョヴァンニ・ベッリーニの《聖ヴィチェンツィオ・フォッレーリ多翼祭壇画》を観るという目的を果たすことができた。

サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会(Santi Giovanni e Paolo)(1296-1430年建造)。正面大理石大扉はバルトロメオ・ボン作(1461年)。

サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会の前には、アンドレア・デル・ヴェロッキオによる《コッレオーニ騎馬像》が立っている(コッレオーニ自身はサン・マルコ広場に設置希望だったようだが...)。

 

アンドレア・デル・ヴェロッキオ(&アレッサンドロ・レオパルディ)《コッレオーニ騎馬像》(1486-1496年)

私的にパドヴァのドナテッロによる《ガッタメラータ騎馬像》(1453年)も観ているが、さすがヴェロッキオだなぁと思わせる躍動感あふれる騎馬像になっている。

さて、教会内部は荘厳なゴシック様式である。右奥翼廊には16世紀初めにムラーノ島職人によって作られたステンドグラスが今も美しい色彩を残している。

 

入口を入ってすぐ右壁にはピエトロ・ロンバルド作《ピエトロ・モチェニーゴ記念碑》があり、その他にもヴェネツィア提督(ドージェ)の記念墓碑が並ぶ威容を誇っている。当時のヴェネツィアにおける重要な教会だったことが了解される。

ピエトロ・ロンバルド《ピエトロ・モチェニーゴ記念碑》(1481年)

しかし私の目指すところはジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430年頃-1516年)の祭壇画である

ジョヴァンニ・ベッリーニ《聖ヴィチェンツィオ・フォッレーリ多翼祭壇画》(1464-1470年)

まだ硬さの見えるベッリーニ初期の祭壇画であり、この時代はテンペラによる板絵である。テンペラ画だというのもあるが、人物造形にもマンテーニャの影響が見て取れ、特に聖セバスティアヌスは義兄作品を想起させる。しかし、背景描写にはやはりベッリーニの自然への眼差しが反映されているように思えた。上段中央の天使に抱えられるピエタは後のパターンの先駆的な作画のようにも感じた。大天使 ガブリエルと対峙する聖母マリアも意外に(?)可愛らしい。

興味深いのは、《ペーザロ祭壇画》の作年が1470-83年ごろで、板に油彩で描かれている。アントネッロ・ダ・メッシーナのヴェネツィア滞在が1475年-76年だから、この間のベッリーニの急速な技術吸収と成長が想像されるのだ。

ちなみに、この教会にはもうひとつのベッリーニによる傑作祭壇画があったようだが、1881年の火災で焼失した後、アカデミア美術館所蔵の15世紀の画家による聖母子祭壇画が代替移設されている。

さて、この教会には意外な(?)画家の祭壇画もあったのだ!!

ロレンツォ・ロット《聖アントニウスの施し》(1540-1542年)

ロレンツォ・ロット(Lorenzo Lotto, 1480年頃 - 1556年/1557年)の時代になると祭壇画もカンヴァスに油彩で描かれている。画面にはロットらしい冷ややかな光を感じる。中段の二人の僧たちは民衆からの請願のとりなしをしているらしい。

ロットはヴェネツィアでは不遇をかこち、地方に仕事を求めている。なので、このヴェネツィアの有力教会にロットの祭壇画があることが私には驚きであり意外だったのだ。ドメニコ会の発注だったようだが、右翼曲折、最後は自費で完成させたという(画家のプライドと執念だろうね)。

「ヴェネツィアでは、この作品は、支配的なティツィアーノ主義に同調していなかったため、公的な"intellighenzia"の画家に対するある種の敵意のために、完全な沈黙の下に追いやられた。」(イタリア版Wikipedia)

なるほど、やはりロットの作風はティツィアーノ全盛のヴェネツィアでは不評であり、この祭壇画も無視されたことが了解された。かわいそうなロット...。

で、嬉しかったのは...チーマ・ダ・コネリアーノ(Cima da conegliano, 1459-1517年)の作品もあったのだ! とは言っても、どうやら工房の手も入っているようだが。私がチーマが好きなのはベッリーニの影響はもちろんだが、アントネッロ・ダ・メッシーナの影響も感じることができるからでもある。

チーマ・ダ・コネリアーノ(&工房?)《聖母の戴冠》(1490年)(板に油彩)(ピンぼけ画像ですみません💦)

https://it.m.wikipedia.org/wiki/File:Right_transept_of_Santi_Giovanni_e_Paolo_%28Venice%29_-_Cima_da_conegliano,_incoronazione_della_vergine.jpg

キリストの顔を見ると、ああ、チーマだなぁと思う。でも、この《聖母の戴冠》はなんだかベッリーニ《ペーザロ祭壇画》の中央部分の影響大なんじゃぁないか?とも思った

ジョヴァンニ・ベッリーニ《ペーザロ祭壇画》の中央一部(1470-83年)ペーザロ市立美術館

チーマ作品は翌日訪れたアカデミア美術館でも多数観ることができて嬉しかった

ということで、このサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会にはこの他にもヴェロネーゼの天井画や絵画、ヴィヴァリーニ作品など、見どころが多く詰まった重要な教会であることがよくわかるのだった。

で、次に向かったのはお隣のスクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ(聖マルコ大同信会館)である。

右がサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会、左奥に見える隣接した建物がスクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ、現在は市民病院として使われている。

ということで、次回に続く...。