花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

国立西洋美術館「アルチンボルド展」感想(4)

2017-07-06 23:32:26 | 展覧会

今回のアルチンボルド展 「第4章 自然の奇跡」では、大航海時代によって広がった新しい文物や驚異の世界に、恐れと嫌悪と好奇心を持って接した事例が紹介されている。 

ボローニャ出身のウリッセ・アルドロヴァンディ(Ulisse Aldrovandi、1522 – 1605年)の『怪物誌』には「いまだ観察と伝統的な知に根差した空想とがないまぜ」(図録より引用)になっており、その中で紹介されている多毛症のペドロ・ゴンザレス(カナリア諸島出身)とその家族たちの肖像がそれを物語っていた。 

悲しい事に当時は多毛症についての知識が無いから、ゴンザレス一家は解説のように、「自然の驚異」であり「宮廷の野人」として好奇の対象であり、贈り物として宮廷から宮廷へとさすらったようだ。彼らを描いた肖像画も驚異収集の対象となっていたことは現代人の私には驚きだった。

私的に興味深かったのは、ゴンザレス一家は1589年頃、当時のネーデルラント総督であったパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼの元に送られ、1591年には本拠地パルマの宮廷にたどり着いていることで、ファルネーゼ家も絵を描かせている。

アゴスティーノ・カラッチ《多毛のアッリーゴ(エンリコ・ゴンザレス)、狂ったピエトロと小さなアモン》(1598年頃)カポディモンテ美術館 

「カポディモンテ美術館展」でも展示されていた作品だが、観ていると奇形の人々に対する当時の宮廷人の見方が推測できるような気がする。大体ファルネーゼ家って尊大だし、ケチだし、アンニバレなんて鬱になるほどだし、エンリコだって可哀そうだと思う。

ちなみに、アゴスティーノの絵はローマのパラッツォ・ファルネーゼと隣接したパラツェット・ファルネーゼに展示されていたとのこと。(詳細は図録の渡辺晋輔氏の論文をご参照あれ) 

ええ、確かにカンポ・ディ・フィオーリに面したパラッツォ・ファルネーゼの裏側に細い道があり、その上に通路が渡っている建物があったけど、あれがパラツェットだったのねぇ(・・;) 

上の写真はパラッツォ・ファルネーゼの中庭。写真を撮った位置がパラツェットとの間の小道ということになるのだと思う。 

いずれにしても、当時「自然の驚異」であり「宮廷の野人」として扱われたゴンザレス一家は哀れである。 

で、先週、某大学の図書館で偶然見つけたのがアルベルト・マングェル『奇想の美術館-イメージを読み解く12章』(白水社)だった。(ちなみに、カラヴァッジョも扱われている(^^ゞ)

  

表紙を見て、多毛症のゴンザレス家の一員を描いた絵であることがすぐにわかった。

ラヴィニア・フォンターナ『アントニエッタ・ゴンザレスの肖像』(1595年頃) ブロワ城美術館 

描いた画家はボローニャ生まれのラヴィニア・フォンターナ(Lavinia Fontana, 1552- 1614年)、描かれた少女はアントニエッタ・ゴンザレス(ペドロ・ゴンザレスの娘)、アントニエッタは当時パルマ公国のソラーニャ侯爵夫人の屋敷の住人となっていた。この絵からも当時の宮廷人たちの好奇の対象であったことが想像できよう。