花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

東京都写真美術館 「光と影」展

2007-01-21 04:05:55 | 展覧会
今年の展覧会初詣は1月4日に観た東京都写真美術館の『光と影 ― はじめに、ひかりが、あった』展だった。

okiさん情報ならずともCARAVAGGIO好きとしては「光と影」には微妙に反応してしまう(笑)。展示は「光と影」という写真の原点を軸に、黎明期の絵画を彷彿させる構図の見られる時代から現代写真作品に至るまで、モノクロ作品(まさに光と影)を中心に、写真芸術の歴史もあわせて知ることができる展覧会だった。




今回の展示を観ながら興味深かったのは現代写真芸術を担うアティストたちの果敢な取り組みで、特に最後に展示されていた小野祐次の自然光による絵画を写した作品は二重の意味で「光と影」というテーマに相応しいものだ。

小野祐次のタブロー・シリーズの展示は4点だった。
カスパー・ネッチェル「音楽の練習(?)」
CARAVAGGIO「病めるバッカス」(ボルゲーゼ美術館)
フェルメール「窓辺で手紙を読む女」(ドレスデン・アルテ・マイスター)
CARAVAGGIO「改悛のマグダラのマリア」(ドーリア・パンフィーリ美術館)

  
(カタログを購入しなかったので不正確だが、大体のイメージとしては右のような感じ)


絵画を写真に撮る場合、大抵はライティングにより画面を明るくするものだが、小野の場合は現場そのままの自然光で真正面から撮影する。作品は画面の絵肌(マチエール)が反射する光をそのままに写し取るので、オランダ・バロック絵画特有の絵肌が平滑なネッチェル作品は殆ど絵そのものが見えない。鮮明に見えるのは額縁だけである。CARAVAGGIO作品やフェルメール作品はかろうじて作品が推測される影を残しながら、やはり写っているのは殆ど反射された絵肌の状態そのままである。

普通は絵画に描かれているものを眺める。絵に光が反射して見えにくい時は観る位置をずらし、何が描かれているかを観る。故に油彩表面の剥落や亀裂をあまり注意しないが、ここでは作為の無い自然光そのものにより絵肌そのものが曝されている。それも、写されている絵画は17世紀バロック絵画、すなわち、新たな発見である作為的な「光と影」により奥行きと劇的表現を獲得した絵画なのだ。何という小野祐次の企みに満ちた挑戦であることか!!

写真芸術の始まりは「光と影」による絵画を意識した挑戦であった。そして、現代の写真芸術は絵画のタブローそのものを「光と影」によって漂白してしまった。恐るべし、写真芸術の世界!(^^;;;