昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   旅の終わり

2010年10月27日 | 日記
親父は、翌年平成14(2002)年の春、GW突入直前の4月28日に亡くなった。80歳まで2か月余りの79歳だった。 二つの法事を済ませた後の親父は、癌細胞との共生に成功したかのように思えるほど元気だった。毎朝の読経から始まる日課が、淡々と繰り返されていた。 体調を心配して電話をすると、「癌の奴らとうまく暮らしとるんじゃが、奴ら密かに勢力を拡大しとるかも知れん。まあ、表立った戦いがない限り、平和 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   最愛の人との再会 ④

2010年10月26日 | 日記
9月15日。午前10時からの法事に、僕は20分遅れで駆けつけた。医光寺の若い住職の読経は、もう始まっていた。医光寺は、雪舟の庭園で有名な臨済宗のお寺。親父とも浅からぬ因縁がある。 親父は臨済宗のお寺で育てられた男。再婚にあたって結婚式を挙げたのは、医光寺だった。僕も出席し、一緒に三々九度を上げさせられたのを憶えている。 そして、高校入学と同時に越してきたのが医光寺の近く。檀家になったということ . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   最愛の人との再会 ③

2010年10月25日 | 日記
ミツルさんの子宮癌は、末期だった。しばらく続いていた微熱を風邪と思い、風邪薬を飲み続けていて発見が遅れたとのことだった。健康体だったからこそ、病状の進行が速かったのだとも言われた。いずれにしろ、理不尽で不可解な話に思えてならなかった。 親父の健気なまでの看病が始まった。何度か病院に駆け付けた僕は、その姿に涙が抑えられなかった。 親父は、いつもミツルさんの傍らにいて、動かなかった。いつも彼女を見 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   最愛の人との再会 ②

2010年10月24日 | 日記
親父と彼女ミツルさんは、すぐに一緒に暮らし始めた。間もなく、ミツルさんは養老院を辞めた。 すぐに、朝夕、手をつなぎ近くの堤防の上を散歩する二人の姿が目撃されるようになった。そしてやがて、二人は正式に夫婦になった。 「籍を入れたけえ、帰って来んか?母ちゃんが、ご馳走するらしいし…」。“母ちゃん”はどうかと思ったが、そう言われて帰省した時、挨拶に行った近所のお . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   最愛の人との再会 ①

2010年10月23日 | 日記
一か月後。初夏の日差しが爽やかな日曜日。僕は益田市の外れにある料亭の玄関の軒先で、親父と二人並んでタバコを吸っていた。 約束の時間を過ぎること20分。親父のお見合い相手の人は、まだやってこない。 「おかしいなあ」と連発しながら、親父は時々僕の顔を窺う。三人でお昼ごはんでも、というのは、親父のセッティングらしかった。 「まあ、時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり待とうよ」「そりゃあええんじゃが . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   癌との共生へ。 ②

2010年10月22日 | 日記
それから僕はほとんど毎月帰省し、制癌剤注入のために入院している親父に会いに行った。 その度に親父は、「もうええで。止めようや」と言った。“クウォリティ・オブ・ライフ”という言葉を使うことも多くなっていった。 事実、制癌剤治療が親父に与えるダメージは、僕の想像をはるかに超えていた。6月12日、親父が79歳になった一週間後の第1回目の注入の時。40度を超える高熱が2日続き、 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   癌との共生へ。 ①

2010年10月21日 | 日記
その夜、従兄弟と会食。僕は率直に尋ねた。親父の容体は?治療法は?制癌剤治療以外の方法がないとすれば、制癌剤治療の問題点と患者が注意すべき点は?そして、………余命は? 従兄弟の答えは、優しく誠実な人柄が滲みこんだものだった。 「う~~ん。悪いねえ。はっきり言って治療法はそんなにないと思うねえ。僕も写真見たけど、何しろ無数にあるしねえ。雪が降ったような感じ . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   10か月後の再発。 ③

2010年10月20日 | 日記
5月、連休が明けた7日。僕は午後の便で帰省した。 ぼくは機中でずっと、親父がこの世からいなくなる、僕より先にいなくなる、と思うと涙が止まらなくなった中学2年生の秋を、思い出そうとしていた。あの時の心の動きは遂に思い出せなかったが、悲しさの片鱗は蘇っていた。 空港から病院に直行。階段を上がっていくと、あの少女の悲しさが蘇てきた。二つの悲しさが重なり、僕の中で親父の死は今すぐそこにあるもののように . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   10か月後の再発。 ②

2010年10月19日 | 日記
いつもジャズが流れている和食屋に戻る。 「親父さん?大丈夫なの?」という友人の質問に時計を見ると、20分近くが経過している。「うん…。再発したらしいんだよね」とおおまかに説明する。心配する彼に「ま、詳しいことは、帰って医者に聞いてみるよ。…それより、そっちの話だよ」と、話題を本題へと移す。 ITの先端技術を武器に、数人の技術者集団で起業して1年。ヴェンチャー・キャピ . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   10か月後の再発。 ①

2010年10月18日 | 日記
平成13年春、身辺のざわつきは増していた。失われた10年も終わり、ミレニアムを契機に好転すると期待されていた景気は、街でよく見かけるようになった腰パンのように、低位に留まったまま。事務所を訪れる友人・知人たちの表情にも、疲れが目立つようになっていた。事態を転回させなくては、とあがき努力した挙句、ふっと消えていく会社やクリエーターやプログラマーたちも多くなっていた。 そんな4月。20日の夜のことだ . . . 本文を読む