昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   最愛の人との再会 ①

2010年10月23日 | 日記

一か月後。初夏の日差しが爽やかな日曜日。僕は益田市の外れにある料亭の玄関の軒先で、親父と二人並んでタバコを吸っていた。

約束の時間を過ぎること20分。親父のお見合い相手の人は、まだやってこない。

「おかしいなあ」と連発しながら、親父は時々僕の顔を窺う。三人でお昼ごはんでも、というのは、親父のセッティングらしかった。

「まあ、時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり待とうよ」「そりゃあええんじゃが、遅れる人じゃないけえ」「ん?心配になってる?」。恋人を父親に紹介する少年のようにおたおたする姿が、僕は面白くて仕方がない。

「あ!あれじゃ!」。3本目のタバコに火を点けようとした時、親父が叫んだ。背伸びをし指差す方向を見ると、1台の疾走してくるバイク。跨っているのは女性のように見える。

「間違いない。あれじゃ」。指差したまま振り向いた無邪気な笑顔に「あの人なの?元気そうだねえ」と言うと、「そりゃあ元気ええでえ。わしの九つ下じゃしのお」と少し頬を赤らめる。「親父、もう…」。言いかけた時、バイクは目の前で急停車。件の女性がヘルメットを脱ぎながら、近づいてくる。「ごめんなさい。遅れたねえ。待ったかね」。二人に言いながら、我々の先へ行く。

屈託ない笑顔と明るい声に挨拶のタイミングを奪われ、僕は口を開けたままだ。慌ててタバコを灰皿に揉み消し、さっさと暖簾をくぐっていく彼女の後を追う親父の肩を捕まえる。

「ん?」と親父が振り返るのと同時に、一旦くぐった暖簾を掻き分け、彼女が顔出てくる。

「まあ、挨拶もせんで失礼したねえ。あんたが洋一さん?遠くから大変じゃったねえ。まあこんなとこじゃけど、入って、入って」と、また店内に消える。その後ろ姿から察すると、身長160cm。体重50㎏台後半といったところか。親父より一回り大きい。

失礼ながら、偉丈夫という言葉が浮かぶ。

二人で暖簾をくぐると、廊下を数歩先まで進んでいた彼女がくるりと振り向く。「早う、上がりんちゃい」と声を掛けられ、僕は「はい!」と子供のような返事をしてしまう。そして、親父の背中を叩く。「うん?」と振り向いた親父の鼻先に親指と人差し指で作った丸印を突き出す。

「合格!合格だよ、親父~~。最高じゃない。いい人だよ。て言うか、決め.てんでしょ?もう」と肩を抱くと、うれしそうな顔で見上げてくる。

見て欲しかったんじゃない、と僕は思う。見せたかったんだ!

 

座敷に通されてからは、彼女の独壇場だった。今回のセッティングが彼女によるものだということもすぐにわかった。

店の仲居さんとも親しく、料理が出てくるたびに、噂話や冗談が飛び交う。とにかく底抜けに明るい。それでいて、時折見せる親父への心遣い、僕への気遣いはさりげなく繊細だ。乱暴にも見える物言いにも、むしろ優しさが滲む。彼女の職業について聞いた時などは、典型だった。

「どんなお仕事、なさってんですか?」「養老院で働いとるんよ。だから私は、ジジイは得意よ~~」と、親父をちらっと見る。親父はただただ微笑んでいる。次いで僕の方を向き、少し膝を乗り出し、声を潜めるようにして「だからねえ。洋一さんのお父さんだったら、片手でひょいと摘みあげて運べるよ~~」と目くばせする。親父が「何かひどいこと言うてなあかい?」と口をはさむと、すかさず「まあ!耳はええんじゃねえ、まだ」とくる。

次々と運ばれてくる料理をつまみ、勧められるままにお酒を飲み、時間は楽しくおいしく、過ぎ去っていく。

僕の中には、お酒と一緒に心地よい喜びと安心が染み渡っていった。この二人はきっといい夫婦になるだろう、と思った。

店を出た後、3人で浴びた夕方の川風が、心地よかった。
 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記

 


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