まず、引っ越しと東京旅行に必要な費用を大まかに計算した。下宿は、大学の学生課に貼り出されている町屋の2階であれば、3~4000円/月で見つかるだろう。引っ越しは免許を持っている友達のレンタカーで済ませばいい。東京旅行の宿泊は、高校時代の友人の下宿を次々と泊まり歩くとして、全て合わせて5万円あれば事足りると判断した。
大雑把な安産を繰り返しながら仕事を終えキッチンを掃除していると、コックの「まあまあ、もう掃除ええから。こっち来て一杯やれへんか?」という声がした。テーブルにビールを置き手招きをしている。
「いやあ、耕介のことで悪いことしたなあ」
勢いよくビールを注ぎながら、コックは空いた手を額に持っていく。
「いやいや」と慌てて口をコップに持っていく僕を下から見つめ、一気にコップを空けたのを見届け、次の一杯を注いでくる。
「実は、しばらく店を手伝ってもらおうと思うてるんやけど……」
何か曰くありげに、話を切り出した。
お昼過ぎにあった電話と午後3時頃に時計を気にしながら出かけて行ったコックの風
情に、弟とまた何か起きていると感じていた僕は、語尾の“やけど……”に二人の仲直りと耕介の店への復帰を読み取った。
「僕、一応学生ですし。ずっとお手伝いできるわけでもないですし」
僕は牽制しつつ、僕の計画を切り出すタイミングを計ることにした。
「それはようわかってるんやけどな。なんせ耕介がああやろ~」
僕は、僕の読みが当たっていると確信した。
「とは言うても弟さんですし。頼りにしてはるん違います?」
上目使いだったコックの表情が緩む。
「そやねん。小っちゃい時から、何かというと“お兄ちゃ~ん”言うてなあ、すがってきてたんや。お母んも耕介には甘うてなあ、いつも“うちは貧乏やから”言うてお菓子も買ってくれへんのに、耕介にはこっそり買ってやってたみたいやしなあ」
コックの生い立ちへと話は発展しながら逸れていく。僕は少し苛立ち、ビールの瓶を手元に引き寄せ、ビールを自分のコップに注ぎ切る。
「頼られるのは嫌いやないんやけどなあ。ずるずる頼られると、突然ブチッと切れてまうんやなあ。そいうことあるやろ?」
俯き加減だった眼を上げビール瓶が空になっていることに気付いたコックは、話を中断。「あと2~3本持って来た方がよさそうやなあ」と立ち上がり、冷蔵庫に向かった。
コックの家族の話に、最初は苛立っていた僕だったが、途中からはすっかりほのぼのとした気分になっていた。アルコールのせいもあるかもしれないが、そのいかにも庶民的な家族関係や暮らしぶりが僕の心を動かしていることは間違いなかった。コックとその弟をかわいいと思う気持ちさえ生まれていた。
学生運動の活動家たちがよく口にする“小市民”を彼らに見出すことなどできない、と思った。それにしても“小”という語に込められた軽蔑は一体何だ?などと、優しい気持ちの中に生まれてきた小さな怒りを見つめようとしていると、カチカチと音を立てながら両手に2本ずつのビール瓶を、コックが持って来た。
「ほな、安心して飲もか~~」
僕はその言葉に、我に返ったように話を戻す。この気前良さは怪しい。飲み過ぎる前に本題に入っておかなければ……。
「ところで、何の話でしたかねえ」
ビールの栓を抜いているコックに言うと、「それや。それやがな」とコックは座り直し、あっさりと本題に入った。
「耕介が、やっぱりここで働かせてくれへんかなあ、言いよんね。わし顔が立たへんやないか、柿本君に頭下げたばっかりやで、言うたらな…」
「他に頼む人おれへんねん。兄ちゃんだけやねん。て言われたんでしょう」
「何で知ってんねん」
僕が口を挟むと、少し不思議そうな顔をしたが、すぐに「そうか~~。さっき子供の頃の話で出したわな~~、耕介の殺し文句。……そうそう、そやねん。それでまたやられた兄ちゃんだったわけや」
「さっきも言いましたけど、僕、学生ですし。いつまでもお手伝いできませんし。構いませんよ。………ただ……」
僕は口籠った。大雑把な暗算では、引っ越しと東京旅行の費用の捻出には、最低でも4か月を必要としていたからだ。もちろん、その間の給料と住む場所は店が頼りだ。
すると、「わかってる。わかってるて。無茶言うてるもんな。…で、退職金払うことにしてるんや、柿本君に。耕介も、そうしたって、言うてるし。……で、退職金やけど」
と意外なことを言い始めた。
“しめた!”と心では思いつつ、「いやあ、それは……」と再び口籠ると、「いや、すぐ引っ越してくれとか辞めてくれとか言わへんから。ま、そこらへんは話おうて、ということでどやろ?3万円でええか?退職金」
どんどん僕にとって好都合な方へと話は勝手に進展していく。もちろん、いいに決まっている。暗算してみると、2か月後には行動に移せるようになるはずだ。
「もう1万円足そうか?それでどやろ?」
暗算する僕の顔つきと沈黙を金額に対する不満と勘違いしたコックは、さらに条件を吊り上げると、険しい表情になっていった。
「どうもこうも……。ありがとうございます。無理していただいて。とっても、助かります」
申し訳なさと恥ずかしさに無理をして出した好条件を不満に思っていると勘違いされたままで、ブチッと切れてしまわれたらたまらない。本当に有り難い話であることを伝えねばと、僕は立ち上がり、深々と頭を下げた。少し、よろめいた。
「そうか~~。納得してくれるか~~。……休み取って京都行ったやろ?急に辞めてくれ、引っ越ししてくれ言われて、友達に相談に行ってたんやろ?そら、大変やわなあ
、急に言われてもなあ。ワシらも経験あんねん。なんせ貧乏やったからなあ……」
表情が和らぎ、また昔話に戻っていくコックに頷きながら、僕は再び暗算とスケジュール作りに頭を働かせていた。心の片隅にほんの少し、コックさんに悪いなあ、ずるいのはこちらかも知れないなあ、という思いを抱えながら……。
つづきをお楽しみに~~。
Kakky(柿本)
第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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第二章“とっちゃんの宵山” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/14d4cdc5b7f8c92ae8b95894960f7a02
再開、楽しみにしてたんです。
大学生のやり取り、まるであの頃の小説読んでるみたいで。
実際には時代が違うようですが、「されど我らが日々」とか「赤頭巾ちゃん気をつけて」を高校の頃、読んだ記憶があります。
高校二年生の時、三島事件が起きたことを担任の現国の先生が教室に入るなり、口にし「?何、冗談言ってるんだろう?」と思ったことも。
その頃から、小市民、プチブルといった言葉には嫌悪感を持っていました。言葉そのものより、それを口にする大学生に、でした。