とっちゃんの転職
とっちゃんを連れて相談カウンターへ。係員の目が量るようにとっちゃんに鋭く注がれ、すぐに緩む。緊張に引き締まったとっちゃんの横顔は、常識をわきまえた男に見えなくもない。
申し込み書類に書き込むよう誘い、耳元に小声で指示を出す。
「なに?ここでええの?ここか?」
とっちゃんの大きな確認の声が僕の気遣いをかき消す。係員が皮肉な笑みを向けてくる。睨み返したい気持ちを抑え、なんとか . . . 本文を読む
宵山の翌日。新たな行動へ。
言葉が途切れた一瞬に、“ぽっこり”の前から逃げるように立ち去り、ゆっくりと鴨川沿いに下宿へと向かった。喧騒が後ろに遠くなるに従い、“とっちゃんの宵山は終わってしまったんだなあ”という想いが強くなっていった。
大沢さんと桑原君には、“おっさん”たちの嘘を知らせなくてはならない、定かではない実体と、 . . . 本文を読む
意欲のなさを横顔に露わにしながら、怠惰な動きで“おっさん”は作業を続けていた。屋台を完成する頃には、沈み始めている陽は落ちてしまい、とっぷりと暗くなってしまうのではないかと思わせるほどだった。道路脇の提灯が集蛾灯のように人を引き寄せ、辺りはこれから混雑を極めていく予感に満ち満ちていた。
「もう、帰ろう」。人混みと暗さに“おっさん”の姿も見えにくくな . . . 本文を読む
やけに静かになったとっちゃんを従え、御池通りを越える。河原町通りいっぱいに広がった人波は、まだ肩と肩がぶつかるほどではない。30以上と聞いている各町内で保存されている山鉾の一部でも見ようと先を急ぐ。何処に何があるかわかってはいないが、尋ね歩けば大丈夫だろうと高をくくっていた。
ずらりとぶら下げられた道路脇の提灯には灯が入り、これからのさらなる賑わいを予感させている。歩道に沿って並んだ屋台の一部は . . . 本文を読む
7月11日は、すぐにやってきた。
その日は、朝刊の配達が始まる前から、とっちゃんは上機嫌だった。
朝一番の「ガキガキ~~、おはよう。ええ天気やなあ。宵山日和やで~~~」という挨拶に、僕の配達の足取りは重くなり、いつもより10分以上配達終了が遅くなったほどだった。
販売所に帰ってくると、迎えてくれたのもとっちゃんの陽気なねぎらいだった。「ガキガキ~~~。お疲れさ~~ん。まあまあ。お茶でも飲みい . . . 本文を読む
いつものように配達が終わり、いつものようにお菓子が出され、いつものようにとっちゃんがむさぼってはポケットに押し込み、いつものように4人で残り物を食べる……。
銭湯に行った翌日から、そんな風景の空気が変わった。
桑原君は山下君と額を寄せ合い、大沢さんは僕と話をしたいと思っているようだった。
とっちゃんはそんな4人を階段から高みの見物といった風情。“おばち . . . 本文を読む
“おっさん”とその仲間
何度か、仕事終わりにみんなで銭湯、というパターンに持ち込もうとしたが、失敗した。銭湯に行くにしても、銭湯から帰るにしても、誰かを待つことになるのではないか、というのがとっちゃんが嫌がった理由だった。僕たちの“おっさん”への好奇心は気取られることはなかった。
僕たちは準備をした。大沢さんの部屋にタオルと着替え . . . 本文を読む
とっちゃんの将棋
そんな頃、大沢さんからの「とっちゃんは、一緒に遊んであげた方がええんちゃうかなあ」という話に、僕は乗った。遊んで親しくなれば、“おっさん”のことや給料の預け場所なども聞き出せるのでは、という期待が大いにあったからだった。
「何して遊びましょう?」と大沢さんに訊くと、「将棋がええんちゃう?」と応えた。その瞬間、桑原君はぶほっと飲みかけていたお茶を吹き出し . . . 本文を読む
1969年4月7日。僕は、19歳の新聞配達少年になった。自堕落な生活が身に付いてしまっている僕の心配はただ一つ。起床時間だった。しかし、それをもっと心配してくれたのは、下宿のおばあさんだった。
お蔭で僕は、初日から遅刻という失敗をすることもなく、カズさんの指導を受けることになった。スタート地点まで新聞を自転車で運び、ポストの形態とサイズに合わせて3種類の新聞の折り方を使い分けながら、ずっと走って . . . 本文を読む
玄関ガラス扉を開けて正面、2階へと続く階段の下から3段目に、とっちゃんは大股開きで座っていた。タバコを挟んだ人差し指と中指を鼻の穴に突っ込み、入り口に向かってVサインをしているように見えた。
「ごめんくださ~い」。ちょっとひるんだ僕は、ぺこりと頭を下げ、小声で挨拶をした。
するととっちゃんは、フィルター部分まですっぽり口の中に納まっていたタバコを引き抜いた。ジュポンと音がしたような気がした。
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