昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   最愛の人との再会 ④

2010年10月26日 | 日記

9月15日。午前10時からの法事に、僕は20分遅れで駆けつけた。医光寺の若い住職の読経は、もう始まっていた。医光寺は、雪舟の庭園で有名な臨済宗のお寺。親父とも浅からぬ因縁がある。

親父は臨済宗のお寺で育てられた男。再婚にあたって結婚式を挙げたのは、医光寺だった。僕も出席し、一緒に三々九度を上げさせられたのを憶えている。

そして、高校入学と同時に越してきたのが医光寺の近く。檀家になったということもあって、墓地も医光寺の一角にある。

親父は住職の左後方に座り、仏壇に飾られた遺影を見つめながら読経している。また一回り小さくなったように見える親父の周りの空気だけが、やけに熱い。

親戚の方々の「さ、前へ。前へ」との気遣いを固辞し、僕は親父の右後方から横顔を見つめ続ける。

しばらく経つと、ふと親父の心がわかったような気がする。親父は今きっと、最愛の人に再会の日が近いことを伝えているのではないか。二人の楽しかった過去を語りかけ、悲しく苦しかった別れの時を想い、そしてまた、もうすぐやってくる再会の時を伝える……。

20分後、読経が終わる。親父は振り向くこともなく、手を合わせたまま頭を垂れている。僕も邪魔にならないよう、じっとしたまま親父を見つめ続ける。

やがて親父は、よし!と言わんばかりに潔く頭を上げ、きっぱりと立ち上がる。そして、仏壇の周りのチェックを始める。お線香の火、お供え物の向き、仏具の位置……。

ひと通り終わった頃を見計らい、仏壇の前ににじり出る。「おう!」。初めて僕を認めた親父の目には、張りがある。「うん!」と、僕は応じる。途端に、親父の目が緩む。身を屈め、僕の腕を引き寄せる。「遠くから、大変じゃったのお。まあ、でも、今回は大事な日じゃけえ」と耳元で囁く。「わかってるよ。大丈夫だよ、僕は」と応えて、仏壇に手を合わせる。

いつも遺影に語りかけていた言葉を、胸の中で繰り返す。

ありがとうございました。一緒に暮らした8年間、親父は本当に幸せでした。これから……とまで言った後が出てこない。

と、いきなり親父に肩を叩かれる。「そろそろお墓に行くぞ!」。そこには手早く段取りをこなしていく時の、親父がいる。もう一度仏壇の周囲のチェックをする親父に付き合い、灰皿やガスのチェックをする。さあ、お墓参りだ……。

 

ミツルさんの孫も含め総勢14人が、玄関を出て一塊になる。最後に出てきた親父が、先頭に出る。全員が従って歩き始める。背筋を伸ばし、相変わらずの早足で前を行く親父は、もう小さくは見えない。時々振り返り、全員がついてきているかどうか確認し、また前を急ぐ。

花を買う。バケツに水を汲む。すべてを自ら手際よくこなしていく。墓地への階段を上がっていく。残暑の強い日差しが照りつけている。

“倶会一処”と刻まれた墓石の前に着く。そこには、僕の育ての母も眠っている。「死んだらみんな一緒。仲良くせにゃあ」と親父が言っていたのを思い出す。

全員が到着すると、にわかに慌ただしくなる。お花を…。線香を…。お酒を…。住職の読経を…。

ひと段落すると、順番にお参りが始まる。実の息子ではない僕は、最後方に控える。そしてまた、親父を見つめる。

親父の額は汗で光っている。お墓の周りの小さな雑草を引き抜き、卒塔婆の位置を直し、汲んできた水を掛けている。その一つひとつに懸命だ。

と、突然、親父は素手でお墓を磨き始める。端から端まで。水を掛けては磨く。磨く…。

しばらくして僕は、親父の看病の姿を思い出す。そうか、磨いているんじゃない。撫でているんだ。

愛おしくて、愛おしくて、撫でて、撫でて、撫でているんだ。

60代半ばに出会った最愛の人。何でも話し、どこにも一緒に行っていた人。いつも手をつないで散歩し、周囲の微笑みを誘っていた二人……。

「9歳も年下なんだから、最後まで面倒見てあげるからね」という彼女の言葉に、「頼むでえ~」と照れくさそうに、しかしうれしそうに小声で応えていた親父。

墓石を撫でながら親父は、また手をつなぎ一緒に歩こうね、と語りかけていたのかもしれない…。

 

その夜、二人きりになった仏壇の前で、親父は制癌剤治療を中止すると宣言した。もう僕は止めなかった。「な~に、癌と共生していけばいいんじゃ。仲良くすれば結構いけるで、わしも」と、親父は笑っていた。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットの犬・猫のこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記

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