昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

天使との二泊三日  ⑬

2017年09月16日 | 日記

「手塚さんは、自分の居場所を見つけたね。次は自律だね。で、ナオミさんのその後は?わからずじまい?」

「残念ながら」

「手塚さんとナオミさん、どんな関係だった?」

希子に問われ、隆志は二人の経緯を、同棲開始から隆志のプロポーズ後に至るまで、かいつまんで話した。

「手塚さんのバスルームに残ってた赤と青の染料の跡と紫に染まった生地、ナオミさんからのメッセージだね」

「メッセージ?」

「彼女の動脈と静脈。熱情と理性。愛と涙かもしれない」

「その両方を、僕は目撃したのかもしれない。ナオミさんは、その二つの間で揺れていた」

「心をどちらか一方に寄せてしまうことなんてできない。だから、赤と青を混ぜて自分の色を作ろうとした」

「紫……」

「紫は1色じゃない。他の色と同じ、色数は無限。グレーのようにね」

「グレーだって色だもんね」

「ナオミさんも自分の居場所見つけてるといいな」

「きっと……」

夕暮れのスクランブル交差点や銀杏の枯葉が舞い落ちる表参道で、前を行くスリムジーンズとピンクのトレーナーの後姿にドキッとさせられたことは一度や二度ではない。

ナオミはまだ、きっと居場所を求め続けている……。

「幸せって、点なんだよ」

「一瞬のものってこと?続くものではないってこと?」

「続かないと嫌?それって……」

「執着だよね、幸せであることへの。欲深いよね」

「点だって大きいのや小さいのがあるんだから。大きな点だったらよしとしなくちゃ」

希子はテーブルの上を片付け始める。ラーメン丼をシンクに運ぶ背中からバスタオルが落ちる。露わになった背骨の中心に大きな擦り傷の跡がある。古いものか新しいものかはわからない。

「お腹いっぱい」

くるりとこちらを向いて微笑む。

「さ、私たちの居場所に行こう!」

つつっと近寄り、隆志の脇を持ち上げる。立ち上がると、腰のバスタオルが落ちた。

ベッドルームに向かう。ベッドルームのカーテンは開けられ、ベッド脇に脱ぎ捨ててあったはずの下着は片付けられている。

「もっと大きな点を目指そうか」

希子がそう言ってベッドに体を投げ出す。シーツは新しいものに取り換えられている。

「よ~~し。でっかい点取るぞ~~」

隆志の中を晴れやかな興奮が突き抜ける。開放感が一瞬にして全身を満たす。

隆志は希子の横に倒れ込み、裸の体を力一杯抱きしめた。

 

翌日夕方まで、隆志と希子はトイレとメグの世話以外一歩もベッドを出なかった。抱き合ったまま眠り、窓外を眺め、思い付くままに言葉を交わした。

「あそこ、ガード下で、よく俺を見つけてくれたね」

「見つけたのはメグ」

「よく俺の部屋に来る気になったね。怖くなかったの?」

「危険センサーは発達してるから。それに、いつも隆志の後ろからついて行ってたでしょ?」

「様子見てたんだ」

「もちろん。危険センサーは若いうちに鍛えておいたから」

「危険な目には逢わなかった?」

「少しはね、遭ったよ。一番危険なのは、勝手に幸せだと思い込んでる時」

「執着に囚われてる時だから。……肉体的な危険は?たとえば、背中の……」

「傷跡?あんなの知れてる。心に傷は残らなかったし」

……………

「隆志、ペット飼ったことある?」

「ううん」

「ペットショップ嫌いなんだ、私。人間がペットを金の力で手に入れようとする場所だから。可愛いからとか人懐っこいからとか言ってペットを選ぶなんて傲慢。本当は逆なのに」

「逆って?」

「選ぶのは動物たち。飼ってもらうためじゃなくて、一緒に暮らす相手としてね。共生できる相手かどうか、自分の好きな距離感を保てる相手かどうか。それを見極めるのは動物的勘だから」

「間違うことはない?」

「“運命の勘”は動物の方が断然優れてる。人間では女」

「“運命の勘”に従って失敗した女性を俺はたくさん知ってるよ。身近にもいたし」

「ははは。本当に勘に従ったのかな?ペットショップのケージから逃げ出すために客に媚びる犬がいたっておかしくない。自由の下でこそ動物的勘は生きるものだから」

「“運命の勘”だってそういうことか。自由じゃないと働かない」

「でも、自由には危険が付きもの。安全を求めなくちゃいけない」

「庇護者?」

「とは限らない。庇護者が必要なのは、自分で自分を守ることができない人。女に限らないよ」

「希子は大丈夫だよね」

「危険センサー磨いてるから。知識と経験もあるしね。でも、基本は自律」

「自律できていないと危険センサーが働かない?」

「そう。だから私、こうしてると、時々猛烈に不安になる。今、危険センサー働いてないぞって」

腕枕した頬を上げる。

「100%身を委ねるってできないんだ」

「できるよ。でも、いつもじゃないし、ずっとでもない」

耳朶をまさぐる指が止まる。

「ずっと触られてると不愉快になったりもするでしょ?」

「俺は構わないけど」

「慣れられるのも嫌なんだ」

…………

「ナオミさんのこと聞くよ。いい?」

「いいよ」

「彼女の涙を見たことがあるって言ったよね。その時、彼女抱き締めてあげた?」

「ううん」

「なぜ?」

「手塚さんへの愛情が流させた涙だったし、心の隙を突くようなことはしたくなかった」

「嘘。怖かったんだ。傷つきたくなかったんでしょ」

「いや。むしろ傷つけたくないと思って」

「あああ。馬鹿だなあ、コイツ。受信アンテナの性能悪いなあ。ナオミさん、ケージから脱出するチャンスを待っていたのかもしれないじゃない」

「そうかなあ、それはないと思うなあ」

「隆志なら自由にしてくれるって」

「彼女は十分自由な人だった」

「自由にふるまって見せてたんじゃない?」

「本当は自由じゃなかった?」

「アンビバレントな執着があったから」

「そこまではなんとも……」

「でも、そのくせ、隆志の中には揺れがある。ナオミさんの痕跡に揺れてる。

問題だぞ~~、これは」

…………


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