店は順調だった。特に特徴のある店ではなくメニューも平凡なものだったが、立地がよかったのだろう。4人掛けのテーブル4つ、16席の小さな店は、12時直前から満員になり、1時間半で約2.5回転。午後は暇だったが、午後5時を過ぎる頃からぽつぽつと客が入り始め、10時の閉店までにお昼時同様、さらに2回転くらいしていた。
コックは店の売上と経費を計算し、伝票に転記しながら、ほとんど毎日「材料費、水道光熱費な . . . 本文を読む
「無政府主義って、どない思う?」。
応急手当てが終わると、桑原君が身を乗り出した。
「絵空事ちゃうか~~?」。僕はそう言いながら立ち上がる。二度使って干してあったティーバッグを3~4個持って流しに行き、行平鍋に水を入れる。「簡単に言いいよんなあ。アナーキズムいうのはなあ、一人ひとりの人間が……」と後ろから聞こえてきたが、水音で聞こえないふりをした。
「なあ、そうい . . . 本文を読む
朝早く、桑原君はやってきた。店の前に毎朝配達されてくる鶏ガラの山を寸胴の中に入れ、白湯スープの準備が終わった頃だった。デモか座り込みの帰りだろうと思った。
「黒ってどこ?」。セクトはヘルメットで色分け。革マルは赤、中核は白、青は文学部のL闘くらいまでは認識できていたが、黒に記憶はなかった。
「黒ヘルって、知らへんか~?」。桑原君は、黒ヘルの頭をポンと叩く。その指先から血が滴っているのに驚き、「 . . . 本文を読む
「ヘルメットの色、変わったやろ?」。深夜にやってきた桑原君は、後ろ手に隠し持っていたヘルメットを畳の上に置いた。ずっと白だったヘルメットが、黒に変わっていた。誇らしげだった。
「なんてセクト?」。そう尋ねて僕は、自分の口から“セクト”という言葉が自然に出たことに驚いていた。
1970年4月中旬。僕は大学生になり、そして中華料理屋店の住込み従業員になっていた。
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