2杯目のジンライムを受け取り、僕は横にいる夏美さんを真っ直ぐ見つめた。覚悟を決めた顔付で隣のストゥールに腰掛け、「パトカー襲撃事件?」と夏美さんは聞き返してきた。
「はい」と応える僕を見返す力の強さに、目を伏せてしまう。僕の中の疑念を見抜いているようだ。
「新聞に書いてあったこと以上は知らへんのよ」
「そうですか。起きてもおかしくない事件なんやけど、ターゲットがパトカーて…」
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「ちょうどよかった、思うたんよ、私。小杉君には悪いけど」
伏せていた目を上げ、夏美さんは語り始めた。長くなりそうな予感がした。僕は、もう質問はしないことにした。夏美さんの目を見つめ、首だけを上下させた。
「店が赤字でねえ、困ってたんよ、実は。なんとなく、わかってたでしょ?」
確かに不思議だった。いつもほぼ同じ顔ぶれがカウンターに並び、ただジンライムをあおっているだけの店が続くはずはない。少し . . . 本文を読む
しばらく経って、店の中の変化がやっとわかってきた。以前はウェイターはいなかったのに、ウェイトレスらしき女の子が慣れた仕草で立ち働いている。お客も女性客が増えているようだ。カウンターからウェイトレスに次々とお酒や料理を渡している夏美さんの横顔には、以前は見たこともない輝きが感じられた。
カウンターから丸見えだったキッチンはカーテン一枚に遮られ、カーテンの向こうからは香ばしい匂いが漂ってきていた。溜 . . . 本文を読む
一瞬立ち止まり逡巡したが、僕は“ディキシー”を通り過ぎた。強く後ろ髪引かれる思いだったが、奈緒子に会う前の僕に引き戻される不安が先に立った。とにかく今は、アルバイト探しだ。
先を急ごうと歩を進めると、視界の端左側を“アルバイト募集中!”の文字がかすめる。“ディキシー”から10メートルばかりの距離は近すぎると思ったが、立ち止ま . . . 本文を読む
三泊四日の東京への旅は終わった。僕の中には、奈緒子と過ごした時間の記憶が鮮烈に残った。そして、それは、僕の周りの風景をすっかり変えてしまったようだった。
東山仁王門の三畳の部屋はよそよそしく、天井の節目は、身の置き所なく寝転がっている僕を冷たく見下ろしていた。
一週間は、ただただ漫然と過ごした。奈緒子と遠く離れていることが時々痛くてたまらなかった。そんな時は、近くの店に買い物に行った。そして、 . . . 本文を読む