昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   東京へ。そして……。 ①

2010年10月17日 | 日記
そして……。僕は、東京の生活へと戻った……。 僕は少しいい気分だった。為すべきことを為した爽快感があった。親父と一緒に闘い勝利を勝ち取った気になっていた。そしてちょっといい気になっていた。親父の術後の暮らし、特に継続していく癌との闘いを、僕は失念しがちになっていた。 帰京からほぼ一か月。退院した親父に電話した時、「どう?その後。体調は?い . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   雨のち晴れ ③

2010年10月15日 | 日記
「どう?ええかね?入っても」。ドアが薄く開く。親父の義姉のお見舞いだ。親父が再々婚した人のお姉さんで、家が近いこともあって、大変お世話になっている人だ。 型通りのあいさつの後、手術の経緯と状況説明をする。 話をすべて僕に任せながら、親父は時折首を伸ばす。小さく口を挟みたいのだろうが、目で制すると素直に首を枕に戻す。 叔母の心優しい配慮と言葉に、心なしか親父の身体の力が抜けているように思える。 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   雨のち晴れ ②

2010年10月14日 | 日記
休憩室は、珍しく老夫婦一組のみ。2度目だが、前回と同じように、奥さんが二つに千切ったタバコの一方を煙管に差してもらい、旦那がいとおしそうに吸っている。肺癌を警告するポスターが目の前になければ、麗しい光景だ。 ちょこんと僕にお辞儀をし、むせかえりながら、千切られたタバコのもう一方をおねだりする。「駄目、駄目!」とたしなめた険しい顔を緩めながら、奥さんは僕に話しかける。 「肺癌なんですよ~。でも、 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   雨のち晴れ ①

2010年10月13日 | 日記
「おう。起きてるか~~」。わずかにまどろんだ僕を、親父のふんわりとした声が呼ぶ。午前7時半過ぎ。少し落ち着いたとはいえ、外の雨の勢いはまだ強い。 「飛行機は大丈夫なんか~?」の心配に、「8時過ぎに出れば、間に合うから」と起き上がり、親父の顔を覗き込む。 「大変じゃったのお。仕事はせやあないんかい?」「大丈夫、大丈夫」。額に手を当ててみる。少し熱いが、平熱に戻りつつあるようだ。 「朝飯は?」「 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   雨の術後 ④

2010年10月12日 | 日記
しばらく暗い窓外を眺める。激しく落ちてくる雨が巻き起こす風が心地よい。病室の中には雨音しかなく、むしろ静謐を際立たせている。 穏やかで平和な時間を共に慈しむように、毛布の脇から手を忍び込ませ、親父の手を握る。熱に火照った手が握り返してくる。身体の芯から“感謝”の気持ちが湧いてくる。 そのまま手を握り続けていると、突然親父が「晩飯、食ったんか?」と起きる。そのはっきりとし . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   雨の術後 ③

2010年10月11日 | 日記
病院に到着。足音を潜めながら、階段を急ぐ。階段と廊下には、夕食の喧騒の余韻がまだ漂っている。病室にそっと入る。親父は、小さく口を開けて熟睡中だ。病室の奥、ソファの上にポーチを置き、ベッドの左側から親父を覗き込む。 入れ歯のおかげで、親父はいつもの親父の顔に戻っている。厳格でお人よし、照れ屋でプライドが高く、どこか甘えん坊な親父の顔だ。 ひとしきり親父の顔を見つめた後、一晩を過ごす準備に入る。文 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   雨の術後 ②

2010年10月10日 | 日記
午後5時半過ぎ。「う~~ん」と軽く唸り、親父覚醒。いつもの朝を迎えたような横顔だ。握り続けていた手を慌てて離し、中腰で顔を覗きこむ。ぼんやりと宙をさまよう親父の目が僕を見つけるのを待つ。ついつい微笑んでしまう。 細めた目で僕を発見した親父が、首をもたげる。 「ひょおひひ~。ひぃふぇふぁふぉ~。ひぃふぇふぁふぉ~、ふぉっふぇひぃふぇふぅへ~」。 思わず笑いながら、「何?何なの?」と応える。 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   雨の術後 ①

2010年10月09日 | 日記
ベンチに戻り腰を下ろすと、恥ずかしさは自分に対する怒りへと変わっていった。ベンチと膝を交互に拳で殴る。次に、「そうだ!」と小さく口に出し、3階の踊り場からホテルに電話。事情を説明すると、快くキャンセルを承諾してもらう。手術室の前で、親父が出てくるのを待つ。ベッドの動く音が聞こえ、次いで扉が開く電気音。足から出てきた親父の表情を見て取ることはできない。「部屋に行きますからね」。ベッドを押す看護師の一 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   手術本番へ ④

2010年10月08日 | 日記
手術室前のベンチに、文庫本が2冊ぽつねんとしている。「手術中」の赤ランプも点いたまま。静かだ。手術が終わる気配は全くない。 ただじっと、扉が開くのを待つことにする。時計を見ないようにするために、文庫本を開く。ひたすら文字を目で追う。 いつの間にか数10ページ進んでいる。内容は全く頭に入っていないが、江戸物の小説の空気感だけは伝わってきている。 と、突然、「先生!」という叫び声。僕は跳ね上がり、扉に . . . 本文を読む

第一章:親父への旅   手術本番へ ③

2010年10月07日 | 日記
麻酔室の前でしばし佇み、手術の2時間のことを考える。長い長い2時間だ。手術後の時間は、イメージすることさえできない。病院の中の日常から懐かしい日常へ、するりと、エアカーテンを抜けるように戻って行けることを願うばかりだ。 病室に戻ると、親父のいないベッドに、親父の身体分の空白ができているような気がする。そこにすっぽりと収まるように、親父は戻ってくるのだろう。 午後12時半少し前。「昼飯、食べんと!」 . . . 本文を読む