順調な船出
1980年4月7日。有限会社KOUは開業した。社名は公平が決めた。公平のKOUと義朗の息子幸助のKOUを表しているとのことだった。
「きちんとやっていけるようになるまでは俺が支える。それが、俺のKOUだ。もう一つのKOUは、幸助のKOUだ。お前が頑張って会社を続け、幸助がお前の跡を継げるようになればいいなあ、という願いが込められてるんだ。現在のKOUから未来のKOUへというわけだ」 . . . 本文を読む
義朗が起業の決意をした日
従業員9名を抱える公平の土木・建築会社“倉田興業”は、創業11年にして地元では中堅以上に位置する企業となっていた。
義朗は、いつか正社員にしてもらえるという希望を抱きながら、既に10年間、アルバイトとして“倉田興業”で働いていた。
生活が安定していないのは確かだが、義朗としては口に出しかねる「俺を正社員 . . . 本文を読む
希望の雨
義朗は、ワイパーのスイッチを強にした。
「来てるぞ、来てるぞ!」
ハンドルを掴む手に力がこもる。身を乗り出し、激しく音を立てて左右に動くワイパーの隙間から前方を窺う。ゆるやかにくねる堤防の上にクルマの影はない。濃密な雨筋の向こうに大橋の影が微かに認められるだけだ。
「いいぞ~~~!」
興奮を抑えられず、義朗はハンドルを叩きクラクションを鳴らす。前方を凝視する目は . . . 本文を読む
新たな漂流へ。
マスターに別れを告げ、“Big Boy”を後にした。鴨川まで来て、バイト代の受け取りについて確認していなかったことを思い出したが、引き返す気にはなれなかった。不意に辞めることになったマスターにあげてもいいと思った。
足は自然とテッちゃんの小屋跡へと向かった。“Big Boy”を出て行った数人の後姿が思い出された。田 . . . 本文を読む
そして、“Big Boy”……
“Big Boy”のドアを開けると、マスターが笑顔で迎えてくれた。トレイにコップを載せ、奥の席へといざなってくれる。客としてやって来るのを予期していたかのようだ。
いざなわれた席に向かいながらレコードジャケット・スタンドを振り向くと、マッコイ・タイナーだった。少し気持ちが . . . 本文を読む