私は高校を卒業してすぐ、はるか遠くの田舎から、単独で上京した。
都会は全くの未知の世界で、電車の乗り方も「さっぱりわからない」中、どこで何して働こう?から始めた。
できたのは日本語が話せることくらいだったけど、日本語が通じればなんとかなった。
とにかく働いた。
着の身着のままで、常に空腹で、暑くて寒くて…だったと思うけど、そんな感傷に浸る暇もなくとにかく働いた。
働かないと生きていけない。
病気にもなれない。
仕事を失ったら、一日も遊んでいられる余裕なんてない。
単純にそれしか頭になかった。
8ヵ月後、私は6畳一間だけど、女の子専用のアパートに引っ越せた。
日当たりがよく、下に大家さんがいて安心な上に、道路を挟んだ真向かいに銭湯があった。
それが嬉しくてたまらなかった。
一円たりとも誰にもお金を借りず、せっせと働いて貯めた自分で借りたお城だった。
最初は布団しかなかった部屋から、テーブルを買って、茶わんや箸やコップ、やかんを揃えて、冷蔵庫を買って、ガスレンジを買った。
自分でお湯を沸かして温かいものを口にできるって、なんて幸せなんだろうとしみじみ思った。
それから鏡を買って、タンスを買って、やがてテレビも映って、欲しかった電話もひけた。(当時はこの権利が高額だった)
そんな暮らしの中でも、私は一年目になけなしのお金の中から1万円の寄付をして、二年目には10万円の寄付をした。
自分だけのためじゃなく、自分以外の人のためにお金を出せることが、私は素直にうれしかった。
その翌年は二十歳の記念で、20万を。
その翌年も、自分の歳の数だけ寄付をした。
僅かの間にそんなことができるようになるなんて、上京したばかりの頃は想像もできなかった。
それが上京して4年後に夫と出会うまでの、寄付の思い出である。
(夫と出会ってからは、結婚資金を貯めたくてそれは止めた)
夫はすでに「親から買ってもらったマンション」に住んでる身分だった。
私が無一文で出てきて、一から一人でやって、貯金もこれだけあるよと言ったら、夫は呆気にとられていた。
どれもこれも私にとっては、「その時」にはやりたくてやった、かけがえのないことである。
嫌々やったことなど何もない。
私はいつも自由だった。
都会は全くの未知の世界で、電車の乗り方も「さっぱりわからない」中、どこで何して働こう?から始めた。
できたのは日本語が話せることくらいだったけど、日本語が通じればなんとかなった。
とにかく働いた。
着の身着のままで、常に空腹で、暑くて寒くて…だったと思うけど、そんな感傷に浸る暇もなくとにかく働いた。
働かないと生きていけない。
病気にもなれない。
仕事を失ったら、一日も遊んでいられる余裕なんてない。
単純にそれしか頭になかった。
8ヵ月後、私は6畳一間だけど、女の子専用のアパートに引っ越せた。
日当たりがよく、下に大家さんがいて安心な上に、道路を挟んだ真向かいに銭湯があった。
それが嬉しくてたまらなかった。
一円たりとも誰にもお金を借りず、せっせと働いて貯めた自分で借りたお城だった。
最初は布団しかなかった部屋から、テーブルを買って、茶わんや箸やコップ、やかんを揃えて、冷蔵庫を買って、ガスレンジを買った。
自分でお湯を沸かして温かいものを口にできるって、なんて幸せなんだろうとしみじみ思った。
それから鏡を買って、タンスを買って、やがてテレビも映って、欲しかった電話もひけた。(当時はこの権利が高額だった)
そんな暮らしの中でも、私は一年目になけなしのお金の中から1万円の寄付をして、二年目には10万円の寄付をした。
自分だけのためじゃなく、自分以外の人のためにお金を出せることが、私は素直にうれしかった。
その翌年は二十歳の記念で、20万を。
その翌年も、自分の歳の数だけ寄付をした。
僅かの間にそんなことができるようになるなんて、上京したばかりの頃は想像もできなかった。
それが上京して4年後に夫と出会うまでの、寄付の思い出である。
(夫と出会ってからは、結婚資金を貯めたくてそれは止めた)
夫はすでに「親から買ってもらったマンション」に住んでる身分だった。
私が無一文で出てきて、一から一人でやって、貯金もこれだけあるよと言ったら、夫は呆気にとられていた。
どれもこれも私にとっては、「その時」にはやりたくてやった、かけがえのないことである。
嫌々やったことなど何もない。
私はいつも自由だった。