珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネットにまつわるあれこれ24

2018-12-15 | ネットにまつわるあれこれ
「ピアノが届きました」
これは娘が小学校の時、不審者が校内に侵入した場合にアナウンスされる暗号だったそうである。
「ママの小学校の時は何だったの?」
「いやママの時代は、校門に施錠もしなかった呑気な時代だったから…」
こんな質問をされるとは、私の時代とはいろいろと違うもんだなあと思う。

それだけストレスが多くなったのか、精神的に脆い人が増えてしまったのか、物騒な事件を起こす人は年々増えてきていると思う。
何の関わり合いもないアカの他人を「むしゃくしゃしていたからやった」とサンドバックのように憂さ晴らしの対象にする精神性。

なんで?と、これ他人事と思うことなかれ。

こんな犯罪者と自分は無縁だもんねーという顔をしながら、パソコンを開いては会ったこともない人間に暴言を吐いてスッキリしている「善良な人」は山ほどいる。
その誹謗中傷を苦に病んだり自殺したりしている人が後を絶たないというのに、そこまでは想像をめぐらせず、絶対に特定されないとか、皆がやってるからと罪の意識ももたないのが怖いところと思う。
罪の意識?
バレないものなんで?というところだろうか。

ちなみに実際に、「まさか」という展開になって、そんな何気ない自分が特定されて詰め寄られた時、殆どの人はこう供述するそうである。
「ネットに洗脳された」「ネットに騙された」
「悪いのはウソの情報を垂れ流した人だ」
 
最終的にごくごく平凡な、おとなしそうな主婦だったりが、
「仕事のストレス」「人間関係の悩み」「離婚をして辛かった」「私生活がうまくいかず、ムシャクシャしてやった」
とこぼすそうである。

加害者なのに、自分が責任を問われると一転して責任を人になすりつけて被害者意識にすりかえてしまう。

これは、ネットで毒舌を書いている自分自身にも問うていることである。
過去のことはしょうがないけど、これをよくよく考えて、今年を締められたらいいなあと思っている。



私はガラスのツリー派です(^^)
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コートの思い出

2018-12-14 | 日記
娘に通学用のコートを買わなくちゃというと
「勝手に買わないで!!変なの買われたら困るから」
と怒られた。
買ってくれば何でも喜んで着てくれた季節も遠にすぎたo(T^T)o
自分の娘くらいの年代を思い出してもそうだったが、いろいろとうっさいのである。

私が中高の時は、今みたいなお洒落なダウンやモッズコートやダッフルコートではなくて、紺の、いかにも制服の上に着る無地のロングコートしか認められなかった。
それでも流行りがあって、高校のある時「隠しボタン」のコートが流行った。
ある時周りを見たら、皆がほとんどそれを着ていることに気がついた。
私は中学が家の目の前にあったので、中学の時から着ていたコートは全く傷んでおらず、高校でも同じものを着ていた。

でも「皆が着ている」を見たら、それが欲しくて欲しくて今着ているコートがダサくてたまらく思えてしまった。
結局母親と大喧嘩した挙句そのコートを買ってもらったが、今思うとそこまでして買ってもらったコートの、ボタンが隠れてるからってそれが何?
「皆が着ているから」ってだから何?
本当にそのデザインがいいと思ったわけじゃないのに、今思えばつまらない価値観にふりまわされていたもんだと思う。

 ぐるりと歳月がまわって娘のコートを買う時、ふと思い出した話である。
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タイトルを間違えた

2018-12-13 | S教団関係
私は以前、S教団のアンチブログを書いていた。
その時なぜSが嫌いかという人の声を集めると
嘘をつくから。
都合のわるいことは逃げてとぼけるから。
正義のためなら、汚い言葉で人を罵倒するから。

と言われた。
私もそう思った。

でも後に、「それはMCされた故でございました」というアンチだって、人によっては平気で嘘はつくし、都合のわるいことはとぼけて逃げるし、汚い言葉で人を罵倒することがわかった。
その度合となると、むしろアンチの方が酷いくらいだった。
そんなことはSもアンチも(元Sだろうが外部だろうが)関係ないのである。

人による。
しない人はしない。

アンチブログを書くなら
世界一楽しい、嘘をついて、都合のわるいことは逃げてすっとぼけて、自分のストレスと正義のためなら、汚い言葉で人を罵倒することに喜びを感じて自分を保つ人のアンチブログ
にすべきだった。
金なんかより、よほど注目すべきヘンテコな価値観。
失敗したなあ。

根本はこれ。
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学校事情6

2018-12-12 | 娘と夫の話
PTAに行くと大半のお母さんは活動より、受験対策の情報交換に夢中で花が咲く。
内申書の点数の話で熱く盛り上がるお母さんの中で、「内申書?それって美味しいの?」という私にも、皆やさしくそのシビアなシステムを教えてくれたりする。

私が呑気なのか皆が着実なのか、学校というのは、行けば幾つになっても頭が痛くなる勉強をさせられる。
そして「知らないと大変なことになりますよ」と、相変わらず脅してくるところ所である( ;∀;)

しかし皆、すごいなあ。
ここまで受験に必死になったら、その先にはバラ色の未来が約束されてると疑わないその確信が。

かつていろんな理屈を習った。
こうすれば幸せになりますとか、運気が上がりますとか、こんなことしたら不幸になりますとか。
それらに、やらないとこの世の終わりみたいな「脅し」をかけてくる人もいた。
そんな人はどこの世界にもいる。
でも、言われたところでマジメに聞いて実践できるかといれば、それはまた別。
つまらない話は居眠りして忘れることもあったし、そんなの教科書通りにはやってられなかった。

最近、娘の隣のクラスに転入生が来て、同じ部活に入った。
その子は小学校が同じで、中学受験したはずが学校になじめず、地元の公立中学に戻ってきたそうである。
あそこまで白熱して受験戦争を闘いながら、毎年そのようなケースが何人かいると聞く。

少なからず私の経験からも、設計図通りに事が進んだことの方が少ない。
というより、かっちり計画して行動する方ではないのだが。

まあなるようになるさ。
学校に行く度、ややひきつって笑ってみる母である。
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過去

2018-12-11 | 日記
今年の私の年明け早々は、生まれて初めての大阪から始まった。
一泊二日のほんの小さな一人旅だった。
これまで全く縁がなかった大阪は、私にとっては未知の世界でドキドキワクワクした。
行った先の、眺めた景色も聞いた言葉も、食べたものも交わした言葉も新鮮で、くったくなく笑った記憶しかない。

その時一緒に街を歩いた人は、後に喧嘩別れしてしまったけど、その時楽しかったことはそのままである。
その時のことはその時の自分のもの。
その時の私には、大事なひと時だったのだから。

過去なんてどうせ消えていく。
愉快なことも不快なことも、同じように過去になって終わっていく。

変えられないものを、必死に白にしたり黒にしたりすることに私は興味がない。




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仕事の話3

2018-12-10 | 仕事の話
ワイドショーなど殆ど見ないが、私は今年「相撲部屋を閉鎖した親方とその離婚」にだけは驚いてしまった。
個人に興味があったわけではなくて、働き盛りの一家の大黒柱が責任ある仕事を自ら放棄したことに
「そんなこともあるの?」
と思ったのである。

私の夫も年中、仕事の理不尽をボヤいている。
生まれ変わったら愚痴を言わない人と結婚したいと思うほど私は愚痴聞きが得意ではないが、でも、それで仕事を投げ出さないんだったら、それは私が「投げ出してはいけないこと」なのかなと思う。

仕事なんて理不尽なもの。
そういう理不尽を背負って、割り切れるところは割り切って、落としどころを見つけてやるからこそお金が貰えるんじゃないの?
それが誰かを支えて、何かの役に立つんじゃないの?
 「苦あれば楽あり」で、そんな忍耐する人の先にはいいこともあるよ。


たいした経験もないけど、私は仕事に関してはそういう結論を持っている。
「仕事がない」「仕事をしない」という、もっともっと酷い世界を知っているからである。

一生懸命働く人に、私は日々エールを贈りたい。
本年の仕事納めまで、ワーカーの皆さまガンバローぜ\(^▽^)/
(ちなみに私は大晦日も元旦も仕事だよ)




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本音

2018-12-09 | ちゃんねる攻防
忙しい忙しいと言う人ほど暇。
私の中で、今年一番のためになった言葉である。
教えてくれた人にとても感謝している。

大袈裟にアピールしている人がいたら、そんな部分こそが、だいたいが嘘か虚栄。
見渡せばそうだったのでは?

テレビタレントでもいた。
いかに夫婦仲がいいか、夫が素敵すぎるか、はいはいわかりましたってぐらいアピールする人ほど、人知れず苦悩して離婚した。

人は、好きとか嫌いとか本当の大事な思いを、不特定多数の者なんかに触られたいわけがない。
言うわけないのである。

名無し故に、本音とばかり言いたい放題しているかような5chの住人が決して明かさないこと。
それは自分の正体である。
決してアピールしない、本当の本音が「ここにある」ように。
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映画の話

2018-12-07 | 日記
最近、CSで高倉健さんの映画を立て続けに観た。
任侠ものではないカタギ?の話なんだけど、めちゃくちゃ衝撃だった。
私は失礼ながら、あまりにも偉大なこの方のことを殆ど存じていなかったのだけれど、観ていて圧倒された。

何というか…この人ゴルゴ13みたい…と思ったら、高倉さん、ゴルゴの映画に出演されていたんですね。
んで、さいとうたかおさんは、高倉健さんをモデルにゴルゴを描かれたんですね。
(ホント何もかも今さらでスイマセン(__))

この人よくここまで無口でいられるなあ(゚Д゚;)
余計なこと言わない…
これに尽きるというか…

女は喋る。
思ったことを当然のように口にする。
彼はそれを黙って聞く。

余計なことを言わず、愛想もおべんちゃらもなく、でも黙って聞く。

こんな人っているんだろうか?
不思議な世界を見ている気分になった。

映画って心を酔わせるよね。
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誰に書きたい?

2018-12-06 | ちゃんねる攻防
ネットでよく言われることに
「面と向かっては言われたことがないような言葉を受けることが、ネット上では珍しくない」
というのがある。
最近某お笑い芸人が、先輩に向かってリアルで「オバハン」とか「更年期障害」と言って、社会的制裁を受けたが、私はオバハンどころか「更年期のババア」と
シラフで言われたけどね?(しかも違うしv('▽^*)

娘のテストの結果を聞いて微動だにしなくなったのと同様、私はくだらん環境適応能力が身についているようで、それもネタにしているが、これを甘く見ることなかれ。

人によっては、人間不信になって、外出できないなど神経症的な症状があらわれてしまうこともある。
以前、バスジャック事件を起こした17歳の少年も、掲示板で傷ついて怒りを爆発させた一人だそうである。


さてあなたは、
人間不信になって、外出できないなど神経症的な症状があらわれてしまうような人に書きたいですか?
それともバスジャック事件を起こすような人に書きたい?
海は無痛人間で、笑って流してくれるから遠慮なく書きたい?
そんなことなど思考停止して、ストレス解消で書きたい?

ちなみに私は、面と向かって言えないことをただの一度もネットに書いたことはない。
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自己肯定力

2018-12-05 | 娘と夫の話
出産祝いに頂いた育児本は殆ど読まなかったけど「自己肯定力」をつけなさいと、それはどの本にも口酸っぱく書かれていた。
自己肯定力?
なんですかそれ?

眠くて疲れた頭にむずかしいことはさっぱり入らなかった。
が、どうやら
「人は幸福になるには、自尊心を持って心が安定していることが大事。乳幼児期に愛情をいっぱい注いで可愛がればそういうふうに育つ」らしいと知って、これだけ丸暗記した。

ちょっと成長してから、どれどれ。
どうなん、その「自己肯定力?」と娘を見たら
「私って何やってもダメ。いつも失敗ばっかり」とボヤいてばかりいるではないか。
なんで…?
ワタシ、育児本通り超マジメにやっりましたがな~o(T◇T)o

だが後に、彼女は人の悪口は殆ど言わないことに気づいた。
たまに友達から嫌なこと言われたとボヤくことはあっても、追求すると口を閉ざして話をそらす。
人の噂話にもまず乗ってこない。
自分から人をからかう、バカにするとなると皆無である。

改めてそれを読み直したら、こう書いてあった。

他の人を見下したり悪口を言ったりする人は、自己肯定感や自尊心に問題アリ。
人を見下す、バカにする人は実はか弱い。
こういう人・集団は例外なく、「自己肯定感が薄い・満たされていない」
という特徴があります。
 「自分は価値のある人間だ」という自己肯定感を持てないからこそ、他の人を下げて自我を保とうとするわけです。


確かに娘は見た目より「か弱く」はない。
少なからず「友達の悪口は言ってはいけません」なんて説教もしたことがない毒舌ブロガーの母をもちながら、「私は私」と、我が道をゆく気の強さである。

娘が乳幼児期に私が何をしていたにしろ、その時期はネットなど知らず、娘しか見てなかったことに感謝すべきかもしれない。



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娘との会話11

2018-12-04 | 娘と夫の話
娘が帰宅後、制服を脱ぎ散らかしながら一気にまくしたてた。
「ああ、私頭おかしい。狂ってる。そういう病気だと思う。無理。すべてが無理。
頭も回らないし、あのね、私、ないはずの声が聞こえてくるの。
で、今日オネエに話しかけられたんだけど、それは逆に聞こえなくて、え?!ってびっくりして。
集中できる授業はまあできて、ちゃんと落書きもしないでいられるんだけど、ダメな時は全然ダメで、変になって、息が苦しくて、自分が何やってるかもわからなくて、心がなんというか、気持ちわるい?ウウッて吐きそうになる。
もうあああああああーーー!!って叫びたくなる。
人って嫌いなことしてるとおかしくなるよ。病気。そういう病気」


「ないはずの声が聞こえてくる?それ幻聴やん( ;∀;)

まあよほど、何もかもが嫌なんだろう。
やりたくないことを、制服を着て、ジッと椅子に座って、時間割を決められて発狂寸前なんだと思う。
発狂してもいいが、頼むから卒業まで待ってくれ~(T人T)

以前友人に「××がブログ書いてるの知ってる?教えてあげようか」と言われたことがあったが、私はその人が、好きか嫌いかふつうかというと嫌いだった。
だから言下に断った。

嫌いなものを悪口を言うのが楽しくて見るという人がいるが、人は本当に嫌いなものなら見ない。
貴重な自分の時間を、自分に関するものならいざ知らず、不愉快なものに注ぎたいわけがないからである。
楽しいなら、それは人を見下す優越感程度のものなんだろう。

楽しいって、もっと「浸食を忘れることくらいのもの」を私なら欲しくてたまらないが。

劣等感しか知らない娘も何だけど、早くトンネルを抜けて、そのくらい好きなことを見つけてほしいと、これだけは切に願うことである。
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幸せなサンタクロース

2018-12-03 | 娘と夫の話
娘が小さい時、近所に住んでいた女の子に
「サンタクロースってどこから来るのか知ってる?」
と訊かれた。
一瞬とまどったら
「知らないの?」
とびっくりされて、まっすぐに目を見つめられて、こう教えられた。
「フィンランドだよ」

その子は「サンタクロースの本」という絵本を大事そうに読んでいた。
プレゼントは誰から貰っても嬉しいものだけど、もちろん家族から貰っても嬉しいけど、
年に一度、サンタクロースという不思議な人がプレゼントを運んでくれるというドキドキ感が、子どもにとっては特別なものなんだと思った。

その真っすぐな瞳に私は恥じて、誓った。
ヨッシャーーー!!
 そのドキドキ感を娘にプレゼントしたるわ!!


というわけで、私はあの手この手を使って、娘に小学校4年生までサンタを本気で信じさせることに成功した。
それも前もって真顔で言っておいた。
「いい?サンタが子どもにプレゼントをくれるのは10歳までなの。誕生日にばらつきがあるから、日本では小4までに統一されている。
それ以降は信じてくれない残念な子が出てくるから、そう決まってるのよ」

朝起きて、サンタのために用意しておいたクッキーやミルクがちょっと減ったのを逃さず見て
「ああ!!サンタさん、ちゃんと食べてくれた!!」
と叫んだ娘を冷めさせたのは、凡人な友達だったけれど、
少なくともそれは、それまでは、我が家に格別な幸せなひと時を与えてくれたのである。

信じることで幸せをもたらすなら、何でも信じたらいいと私は思う。

余談だが、娘の通った幼稚園は小さな山を所有しており、その山には「天狗さん」が住んでいると言われていた。
「お泊り保育」でキャンプファイヤーをしていたら、その幻の天狗さんが現れて野太い声で園児にメッセージを送り、プレゼントを残して消えていったそうである。

後にそれを卒業記念のDVDで見た時、それはずいぶんとオッパイの大きい天狗さんだった。

「こんな中途半端はダメやねん!!なんでそんな巨乳にやらすかヾ(--;)
詰めが甘い…」
と思った。

個人的な感想である。





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ファンの話

2018-12-02 | 娘と夫の話
娘から「この曲知ってる?」とか「この人知ってる?」とテレビタレントだか歌手だかを言われて
「何それ?」
「ヤバいよ」
となって久しい。
そういう娘も、同じ歳頃の子に比べたらその辺はさっぱり疎いのに、その疎い娘でさえ知っている一つ、二つの超有名らしい名前も私にはわからないらしい。
今日も一つ教わったが、え?と思われたくないので書かないでおく( ;∀;)

いや私だって娘の歳の頃は、テレビにかじりついていた昭和のミーハーだったのである。
今みたいにパソコンもスマホもなかったけど、いろんなミーハー雑誌を読んでいたし、切り抜きもしたし、ポスターもベタベタ貼ったし、返事がきたらどうしよう?とドキドキしながらファンレターも書いたもんである。
人気タレントやヒット曲を知らないなんて「信じられないヤバイ人」に見えたし、自分に限り、歳をとっても時代に乗った、感覚の若い人でいられると軽く思っていた。
が、気づけば相当にヤバい人になってしまった。

私だけじゃなく、あの夫でさえ、昔むかしは人並みにアイドルにキャーキャーしたと言っていたぞ。
娘より小さい時に、
「キャンディーズの解散コンサートにどうしても行きたい!!」
と何度も何度も母親にお願いしたのに、却下されたのが残念でしょうがなかったと言っていた。
(何といっても「ワナ」を歌うミキちゃんがよかったらしい)

まさかそれから何年も後に、その憧れのキャンディーズの、ミキちゃんではなかったけど、ランちゃんとスーちゃんとは何度も仕事をすることになるなんて夢にも思わずに。

それってかなり幸せなことではないかと私は思うのだけど、夫はヤバくなるのが私よりかなり早かったみたいで、うんそうだねと曖昧に笑っていた。

会えもしない人に失神するほどに胸を焦がして、夢中になるなんて時は、気がつけば遠い昔になっていたら寂しい。
あまり冷めた目でばかり世の中を見てないで、いつまでも狂うぐらいはしゃげるって幸せなことだなあと思う。
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アピール度

2018-12-01 | 娘と夫の話
娘は夜泣き「ゼロ」の赤ちゃんだった。
冗談ではなくて、本当に一日もなかった。
うちに来たその夜から、夜中にお腹がすくとぱちっと目を開けて手足をパタバタするのがサイン。
横で寝ている私がそれを察して、寝ぼけながら無言でミルクをあげたらおとなしくコクコクと飲んで、すぐパタッと眠ってしまう。
双方無言の、静かすぎる親子。

夫は仕事が忙しくなると、夜中に帰ってきて明け方に出ていくので、 貴重な睡眠時間を削られることを私はすごく心配していた。
そんな中で赤ちゃんは夜泣きするものと聞いていたので静かやん!!と拍子抜けした。

そういうわけで赤ちゃんの頃からあまり泣かなかった娘は、乳幼児に受けるすべての予防接種でも泣かなかった。
初めての歯医者でも泣かなかった。

泣いても、気を引こうとするようには泣かなくて、 目にいっぱい涙をためて、口をキュッと結んで泣くような泣き方をする。
でも負けず嫌いできかん坊なのかというと、全くそういうわけではなかった。
クラスでもいるかいないかみたいにおとなしくて、「皆から軽く見られている」と本人は言っている。

小三の時、娘はウイルスに感染して手足が激痛を伴って腫れあがって、三日ほど入院したことがあった。
病気や治療には一切の泣き言を言わなかった娘が、面会時間がすぎて私と夫が帰った時。
窓からこっそり覗いてみたら、必死に唇を噛んで声を出さず肩を震わせていた。
ワンワン泣けばいいものを、彼女はそういうところを人にはあまり見せないのである。

子どもを13年くらい育ててみて、強いとか弱いとか傷つきやすいとか痛みを感じるとか、そういうのは個人差なのかなあと漠然と思っていたが、一つわかったのは「アピールするかしないか」があると思う。
同じくらい辛くても、辛さを強く訴える子と、主張せずに呑み込む子がいる。
訴えないからといって、決して平気なわけではないのである。
そういうことが苦手だったり嫌いだったりなのか、人前で見せることをよしとしないだけ。

かつて檀上で熱っぽく語られる「体験談」をよく聞いたけど、今はアピールした声を聞かされても白けるようになった。
母親としての経験値だろうか、それともただ図太くなったのだろうか( ;∀;)
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