遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『超訳 ブッダの言葉』 小池龍之介  ディスカヴァー

2012-02-19 01:30:55 | レビュー
 本書を読んで見て、発行部数を伸ばす理由がわかった。
 ブッダが弟子たちに語ったフレースは様々な経典に編纂されている。主にそれらが漢訳されて伝来された。一方、近代に入りパーリ語等の原典からの翻訳も順次仏教研究者等の翻訳で読めるようになってきた。しかし、ある時点でなされた翻訳が現代の我々にとって読みやすいかどうかは別物である。

 現代人に対し、ブッダが伝えたかったことに触れて欲しいという意図で、「ブッダの言葉」を著者自身が解釈し受けとめ直し、現代語の文脈で表現したものが本書なのだと理解した。だから研究者が原典に忠実に翻訳する立場をとってはいない。原文の文脈に多少の意訳を加えてわかりやすく訳したという観点でもない。パーリ語、サンスクリット語等で書かれた経典を読む力がないので、私には断言できないが、いくつかの翻訳書と該当章句を対比して読んで見て、やはりそう感じる。

 著者自身は、序文ではっきりと「フレーズの核心を保存しつつも大胆に言葉を省いたり、あるいは反対に筆者なりの発想を付け足したり、あるいは置きかえたりしたものもたくさんあります。」と記している。本書は「ブッダが直弟子の出家修行者に説いていた内容」の核心を著者流にアレンジして伝えようとした成果物だといえる。「悟りし人ブッダによる、私たちの心の核心まで迫り揺さぶってくる言葉」について、この超訳により受け止められるよう、分かりやすく読みやすく、ある意味でかみくだいた言葉に変容されていると感じた。現代の生活文脈に併せて話し言葉に書き直されたものと言えようか。
 ブッダの教えが、様々に変容し仏教の諸宗派という形で存在するように、この書もブッダの教えを現代人に伝えるための一種の転換であり変容であると思う。
 ただし、ブッダを神格化したり、権威付けたりするためではなく、ブッダを「2500年前に生きて死んだ、ひとりの教師」として捉え直し、彼のメッセージの核心を、現代人に伝えることに眼目を置いた形での変容という意味である。

 本書では、著者好みのブツダのフレーズが12のテーマに分類されてまとめられている。
1. 起こらない 2. 比べない 3. 求めない 4. 業(カルマ)を変える 5. 友を選ぶ
6. 幸せ(ハピネス)を知る 7. 自分を知る 8. 身体(からだ)を見つめる
9. 自由になる 10. 慈悲を習う 11. 悟る  12. 死と向き合う
という構成だ。
 著者はこの分類を意図的に配列している。そのねらいは、序文をお読みいただきたい。
そして末尾に、”ブツダの生涯「超」ダイジェスト”の一文と「あとがき」「参考文献」が付されている。

 本書だけ読んでみても、その変容の違いは見えない。
 本書にはブッダのフレーズが5つの古い経典群から選ばれている。その一つ『小部経典(クッダカ・ニカーヤ)』所収の『ダンマパダ』と『スッタニパータ』から一つずつ取りあげて、既存の翻訳と比較してみよう。比較によって、初めてその様相の違いが見えてくる。
 『ダンマパダ』を著者は『法句経』と訳し、手許にある本でみると、中村元訳の岩波文庫本では『ブッダの真理のことば』と訳されている。また、友松圓諦氏(講談社本)と荻原雲来氏(岩波文庫本)は『法句経』とされている。『スッタニパータ』を著者は『経集』と訳され、中村元氏は岩波文庫本で『ブッダのことば -スッタニパータ-』とされている。

 本書の「1.怒らない」の第18番は、「法句経221」を取りあげている。
 著者はブッダのフレーズをこう「超訳」する。

”プライドをすんなり手放す

 怒りを、ポイッと捨てること。
 「俺様は偉い」
 「私は賞賛されるに値する」
 「私のセンスは抜群だ」
 「僕は大事に扱われて当然だ」

 これらの生意気さ(プライド)を君が隠し持つからこそ、そうでない現実に直面するたび、怒りが君を支配する。
 これらの生意気さに気づいて、それをすんなり手放せるように。
 すべての精神的しがらみを乗り越えて、心にも身体にもこだわらず、
何にもしがみつくことがないのなら、もはや君は怒ることも苦しむこともなくなるだろう。”

 対比として、三つの訳を掲げてみよう。
 中村元氏訳
 「怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。」  

 荻原雲来氏訳
 「忿を棄てよ、慢を離れよ、一切の結を越えよ、精神と物質とに著せざる無所有の人に諸苦随ふことなし。」   

 友松圓諦氏訳  (漢訳文を併記して和訳文が掲載されている。)
 「いかりをすて
  たかぶりを離れ
  ありとある結(まつわり)をこえよ
  ひと若(も)し
  概念(ことば)と形式(すがた)に
  著(じゃく)するなく
  まこと 所有(わがもの)の思いなくば
  かかる人に
  すべてのくるしみはきたらず  」     

 著者の「超訳」は、少なくとも文章がすんなり目に入ってくる。言葉を言葉の意味レベルで読み進めていくことができる。他の三者の訳はそれぞれに個性がある。理解を深めるためには、訳された言葉の含意を自分なりに咀嚼するというワンステップが必要とされるように思う。だが、原文の単語の意味は、これらの訳の方がより近いのかもしれない。

 もう一例を、『スッタニパータ』のフレーズで取りあげてみよう。こちらは、残念ながら、中村元氏訳しかないが・・・・

 「2.比べない」の冒頭に、第26番として、著者は「経集782」をとりあげている。
 著者はこのように「超訳」している。

”君が聞かれもしないのに
 自分についてしゃべるとき
 
 自分がどれだけがんばったかということや、
 自分が成し遂げたことや、
 自分が有名人と知り合いであることや、
 自分の立派そうな職業について質問されてもいないのにしゃべる人。
 君がそんな生意気な人になるのなら、
 優れた人々から君は、「浅ましい」と敬遠されるだろう。 ”

 中村元氏訳では、
 「質問されないのに、他人に向かって、自分の戒律と道徳を言いふらす人、自分で自分のことを言いふらす人があれば、かれは聖なる真理をたもっていない人である、と真理に達した人々は語る。」

 中村氏訳を読む限り、本書の著者は修行者という枠をとっぱらい、一般人の立場に置き換えた行為で表現し、そのフレーズの核心を伝えようとしているようだ。

 ある意味、それぞれの訳し方の違いは、富士山の登り方にもいろいろあるようなものと言えるかもしれない。本書の第一の強味は、その読みやすさと言える。現代人、特に若者にブッダのフレーズを伝えるには、わかりやすく抵抗感も少ないに違いない。

 本書と他書の違いを一つ押さえておく必要がある。本書は、大きくは5つの経典の中から「私の好みで選んだ190本」のフレーズを分類し、章立てる形でアレンジされた「ブッダの言葉」である。他者の翻訳は、『ダンマパダ』あるいは『スッタニパータ』の原典あるいは漢訳本の全体そのものの翻訳が目的になっている。そこには目的の違いがある。

 著者の超訳に親しんだ後、出典となった各経典に目が向いたとき、ここに対比的に取りあげた翻訳書がその入口への一歩となるのかも知れない。
 
 今回私は、本書超訳の「法句経」の箇所について、友松氏訳を併用しながら読んで見た。ああ、こんな風に著者はフレーズの解釈を広げているのか、転換させているのか、わかりやすくしているのか・・・・という読み比べの面白さや納得感を味わえた。

 仏教経典なんて・・・・という色メガネをはずし、著者の心と発想のフィルタリングを通してブッダのフレーズの意味を感じてみる、ブッダが語ろうとしたことって何だろうということを考えてみる、本書はそのためにはとりつきやすいものだと思う。


ご一読、ありがとうございます。

付記1 
 「1. 怒らない」の末尾第25番の出典が「法句経657」となっている。3つの他者訳『ダンマパダ』はいずれも合計423項目である。中村訳『ブッダのことば』の第657番に対応するものでもなさそうでる。単純なミスだと思うが、出典はどこなのだろう。

付記2
 『ブッダの真理のことば・感興のことば』 中村 元訳 岩波文庫(1978年1月発行)
 『ブッダのことば -スッタニパータ-』 中村 元訳 岩波文庫(1958年9月発行)
 『法句経』 萩原雲来訳 岩波文庫  (1935年6月発行)
 『法句経』 友松圓諦訳 講談社 (1975年11月発行)
   (友松氏の本書は、現在、講談社学術文庫にて刊行されています)

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 本書の「超訳」の出典や語句に関してちょっとネット検索してみた。

パーリ語 :ウィキペディア
サンスクリット :ウィキペディア

南伝大蔵経 → 経典  :ウィキペディア
北伝大蔵経 → 経典  :ウィキペディア
パーリ語経典  :ウィキペディア
法句経 :ウィキペディア
法句經 荻原雲來訳註
法句経.net
スッタニパータ :ウィキペディア
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳> :宝彩有菜のスッタニパータ

中部経典
  中部経典のパーリ語タイトルと南伝大蔵経での和文タイトルとの対応
長部経典
  長部経典のパーリ語タイトルと南伝大蔵経での和文タイトルとの対応
相応部  :ウィキペディア
阿含経  :ウィキペディア

初期仏教 :ウィキペディア

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