遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『江戸絵画の不都合な真実』 狩野博幸  筑摩書房

2012-02-04 20:22:43 | レビュー
 著者は、大学の助教授から京都国立博物館の学芸員に転進し、数々の企画展を手がけ、再び大学教授になるというちょっと異色の経歴を経ている。「大学の正規の教員が博物館・美術館に勤めを変えることは、明治時代以来、僕が初めてということである」と「あとがき」にある。著者曰く、「机上の空論をひけらかして一生を過ごしたくない、と思った・・・・要するに、早く本物を見る時間が欲しかったのだ」。そして、企画展の煩雑な作業手続きの後に、「日本中から作品を集め、展示時間以後にはたった独りで思う存分眺め尽くすことができるのだ」
 「そうやって観察すると、江戸時代の画家たちの作品にこめた戟しい息づかいまでわかってくるようになる」。本書にはそのような観察を踏まえた結晶なのだろうと感じる箇所が多々ある。

 本書に取りあげられた画家は、ある意味で異色の画家たちばかりだ。当時の伝統的な絵画の主流の中で学ぶ時期があったとしても、その中に安住できずに独自の絵画の境地を追い求めた異人たちが多い。
 「不都合な」というのは、誰にとって、何に対してなのかが問題となる。伝統保守派の宗家や門下の絵師からすれば、その画家の存在そのものが「不都合」だった。また、時の為政者あるいはその側にいる特定の人々にとって「不都合」だったのだ。著者は逆に、様式、形式、伝統に則り一見華麗優美な絵を描く一群の絵師ではなくて、「マシンではなく人間そのものだ」と思う画家をここに選んだようだ。己の思考と己の経験から生まれたものを絵の中にぶつけた人物たちに、迫ろうとしている。本書「あとがき」の末尾に、著者はこのように記す。
 「かれらがかれらの知的認識をどこまで作家活動に生かし得たのか、ということにしか、僕の関心はない」と。

 私は本書のタイトル「不都合」という語句と、目次を見てそこに以前から関心を抱いている絵師「若冲、蕭白、芦雪、北斎」と、葉室麟の小説で関心をもった「英一蝶」が取りあげられていること。また写楽は誰かの謎にも興味を抱いてきていたので、すっと本書を読む気になった。偶然だが、本書でうれしいことに大半の画家がカバーされていた!

 本書で取りあげられている絵師を、まず章ごとにご紹介しょう。
 第1章 岩佐又兵衛  心的外傷の克服
 第2章 英一蝶    蹉跌の真実
 第3章 伊藤若冲   「畸人」の真面目
 第4章 曾我蕭白   ふたりの「狂者」
 第5章 長沢芦雪   自尊の?末
 第6章 岸駒     悪名の権化
 第7章 葛飾北斎   富士信仰の裾野
 第8章 東洲斎写楽  「謎の絵師」という迷妄

 本書にはポイントを絞った画家列伝という趣があり、また著者の見解をストレートに披瀝している点が読んでいて楽しく、おもしろいところだ。また、あれ、そんな側面がこの画家にあったのか・・・と目からウロコという側面もいろいろとあった。また、本書に掲載紹介された絵については、全作品の解説が記されている。企画展で掲示にある絵の解説風だが、著者の見解が出ていて興味深い。本書を読み印象に残った点を感想を交え一部ご紹介しよう。

<岩佐又兵衛>
 私は近年、初めてこの画家の名前を「浮世絵の始祖」という位置づけで新書本から知った。著者は、岩佐又兵衛の芸術創造のエネルギーの源は、彼の父が荒木村重であること。そして、又兵衛が現今しばしば取りあげられる<心的外傷後ストレス>を抱いていたその思いを絵に転換して行ったのだと例証している。「又兵衛は絵を描くことによって、そのPTSDを克服する」(p38)
 著者がこう断言している点がおもしろい。「ひとの心理は複雑きわまる。あたかも野菜の値段を決めるように人間の心理を裁断する人間心理研究を筆者はいっさい信用しない。≪心的外傷後ストレス≫そのものが芸術創造のエネルギーたり得る」(p23)と。
 先日、『風渡る』(葉室麟)を読んで、荒木村重の居城に黒田官兵衛が説得に行き、囚われの身になるというところが出てきたので、又兵衛と村重の関係を知り、岩佐又兵衛という画家が身近になったような気がした。
 著者は、又兵衛の最高傑作は古浄瑠璃絵巻の『山中常磐物語絵巻』だという。

<英一蝶>:はなぶさいっちょう
 葉室麟の小説とネット検索から、一蝶が中橋狩野家から破門された後、風俗画という分野を開拓していったことを知ったのだが、著者は「その本質が『伊達を好んでほそ』い絵であったことは、もっと覚えておくべきだろう」(p53)と記す。そして、「伊達」を通しながら「細い所」を常に喪うことなく保証するのは実に命がけの遊びなのだという。
 一蝶は「生類憐みの令」への揶揄とみられた「馬が物を言う」事件で連座し入牢。この時は詮議未了で釈放されたが、二回目は三宅島送りとなった人だ。著者は一蝶が法華宗不受布施派だったことが島送りの真因だろうと分析している。為政者からみれば、「不都合」な人物だったようだ。
 葉室麟著『乾山晩愁』中の「一蝶幻景」という短編小説の記憶と、本書の列伝記載を重ねあわせると、私には一蝶が生き生きとしてくるように思われる。本書の著者が「一蝶は『内信』あるいいは『法立』だったのではないかと考えている」(p63)という仮説は、ある意味、なる程と思わせる。(葉室氏は内信・法立という設定はしていなかったと記憶するが・・・)

<伊藤若冲>
 若冲が錦小路の青物問屋の息子だったことは知っていたが、絵に関心はあったものの23歳で家督を襲ぎ、四代目枡屋源左衛門となっていたこと。京都錦高倉青物市場の公認問題で、帯屋町の町年寄として自分の命を賭しての活躍をしていたという側面の解説を読み意外だった。また、若冲が相国寺や京都深草の石峯寺と縁がある側面は知っていたが、私の地元、宇治の黄檗山萬福寺とも縁があったとは認識外だった。萬福寺の住持、伯照浩から「時称精妙」(「すぐれて精密な画風が称賛されている」p85)、「奮然能革旧途轍」(「旧態依然の絵画に新機軸を打ち立てたというほどの意味であろう」p85)と評されていたようだ。
 本棚にある若冲を冠した美術展図録を久々に引っ張り出してみた。2000年に京都国立博物館で「若冲 特別展覧会没後200年」展、2003年・なんば高島屋で「若冲と琳派-きらめく日本の美-細見美術館コレクションより」展、2006年・京都国立近代美術館で「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展があった。図録がすぐに見つからなかったが相国寺の承天閣美術館での若冲展も数度あった。改めて、「若冲」展の図録を開くと、冒頭ページは「若冲、こんな絵かきが日本にいた。」であり、総説「伊藤若冲について」は本書の著者が書いていたのを再認識(図録を購入した時は収録画中心に見ていたので・・・)した。本書を読んで、著者の企画展だったことを知った。図録の文中にこんな一文がある。「狩野派の画家に就いて基礎を学び、熱心にその画法を収得するうち、そこでの就学では一層の発展がないとわかると、あっさりとそれを捨て去り、中国宋元画の模写で日々を過ごすようになる。」(p19)伝統の主流派からみれば、また為政者の一部からみても、若冲の人と絵を「不都合」と見ていたことだろう。プライスコレクション展図録にある辻惟雄氏の一文に、プライス氏の発言引用が記されている。「若冲の絵をそうでない絵と区別する方法は簡単だ。この絵をみたまえ。葉の一枚一枚がじつにエキサイティングだ」(p22)

<曾我蕭白>
 2005年に「特別展覧会 曾我蕭白 無頼という愉悦」展が京都国立博物館であった。この図録を見ると、やはり本書著者の企画展だった。図録表紙にこんなキャッチフレーズが記されている。「円山応挙がなんぼのもんじゃ!」この文、まさにここでいう「不都合」に直結していると言える。総説はやはり、著者が「無頼という愉悦 -曾我蕭白の視座-」というタイトルで記していた。
 著者は本章の見出しで「狂者」という語句を使っている。「進取の気象に富むものの、往々にして世俗を超脱する態度(生き方)」(p104)をとる人間を「狂者」と説明する。著者は本章で、蕭白の態度が傲岸不遜と世間から見られていた逸話を取りあげている。態度・行動の何処に着目するかで、見方がごろりと変わるところがなかなかおもしろい。著者は本章で、金龍道人を前半で紹介し、蕭白との二人を「狂者」と述べている。
 上記図録では、「無頼」としてこの二人を解説する。そういう生き方を自分に課したのだと。「誤解を生じ易い生き方であるやもしれない。いうまでもなく、無頼であることは、神経を露出することにほかならない。無頼は、無神経な鈍感さの対極に位置する生き方である。」(p40)
 四点掲載の絵のうち、「鍾馗と鬼図」に私は一番惹かれる。

<長沢芦雪>
 葉室麟著『恋しぐれ』の中の「牡丹散る」という短編小説に芦雪が登場する。この小説には、応挙門下の芦雪の微妙な位置づけが副次的に描かれている。本書の著者の解説で、応挙門下の十哲のひとりに数えられていたことを知った。だが応挙とは対照的な人物である。著者の次の文が印象深い。
 「並外れた画技を有していたがゆえに、回りの人間に無用な刺激を与えてしまう。鬱陶しいことこの上ない。応挙門では圧倒的に町人の子弟が多かった。そうしたなかで、芦雪という才能に溢れる画家が、酔えばかならずその出自が武家であることを強調していたとすれば、おそらくは顔を斜めに伏せながらチッと舌打ちをしたであろう門人らの様子は容易に想像できる。」(p138)この芦雪、大阪で没したそうだが、異常な最後だったという。このことを本書で初めて知った。著者はその逸話を本章で紹介している。
 どうも回りには、「鼻もちならぬ」(p142)という感じをあたえる御仁だったようだ。 だが、掲載されている「虎図」の躍動感や、「朝顔に蛙図」の大胆な構図には大いに惹かれる。

<岸駒>
 この画家の作品も、手許の美術展図録たとえば、上記プライスコレクション図録や「京の絵師は百花繚乱」展(1998年・京都文化博物館)図録に掲載されている。しかし、私にはあまり印象に残っていなかった。本書を読みその人物像に面白みを感じるようになった。当時、岸駒の絵は売れたようだ。京都には多くの作品が残っていると著者はいう。これから関心を持って絵を鑑賞してみようと思っている。
 成り上がり者と位置づけられ、「高い画料でなければ引き受けない」という噂の立った画家らしい。「たしかにひとに対する態度がすこぶる尊大だったことがあるかもしれない。数多くの逸話のすべてが事実と異なるわけでもあるまい。それが何だというのだ」(p178)と著者は激越に記す。というのは、「岸駒が得た画代が、廃寺の修復に費やされた。ひとつの寺といっても、書院を修理して襖も新調し、土塀や石垣まで新たに造営するほか、仏殿を建て山上に鬼子母神堂まで建てる営為に、いかほどの金銀が必要であったか、想像してみるとよい」(p177)と、違った側面を提示している。悪評を放つ輩にとって、これは「不都合」な事実だっただろう。
 p178の続きの文章が私には特に印象深い。「原子爆弾の被災者であることを声高に述べ、”世界平和”のために作画していると公言して文化勲章を貰った画家に較べ、在世中から悪評を投げつけられながら京都の社寺の復興資金を提供していた岸駒を私は支持する。おそらく岸駒への悪評を気にして誰もそのことをいわないのであろう。」
 本書の掲載で初めて見たが、「猛虎図屏風」(サントリー美術館蔵)は迫力がある。

<葛飾北斎>
 北斎を知らない人はいないだろう。本書では、北斎と「冨士講」との関係を取りあげている。こういう視点で北斎を考えたことがないので、参考になった。本章を通じ、私には食行身禄(じきぎょうみろく)という人物の存在を知ったことが副次的な収穫だった。著者は本章で食行身禄略伝を語っていることにもなる。こんな人が江戸時代に居たのだ!
 著者はこう結論づけている。「北斎自身が富士講の信者であったという証拠は、今のところ見出されてはいない。だが、かれが富士講の思想にあるシンパシーを感じていたところまでは、疑いなく確言できるのである」(p207)と。
 「冨獄三十六景」で今まで美術展や本で見たことのない富士の絵が掲載されていて、興味深い。「富士講」の視点を絡めると北斎の富士の絵の見方を一層広げ、深めることになる。

<東洲斎写楽>
 写楽の人物探しはいくつかの小説にも描かれていて興味深いものがあった。本書では、中野三敏氏の研究考証を踏まえ、その実像がほぼ決定したという点を中野氏の論点を祖述して論じている。写楽の実像は?本書を読んでなるほどと思った。
 そして、人物探しはもうやめて、作品自体の美術的研究に専心すべきだと改めて本章で強調している。
 写楽情報に言及した斎藤月岑に著者は触れている。そして次の文を記す。
月岑による追加情報への批判や無視に対しての発言だ。「これらもすべて、斎藤月岑という人物を知らぬ者たちの妄想というほかない。篤実を絵に描いたような月岑、もはや前代に歿したひととはいえ、ここまでその人格を貶める発言は許されるものではなかろう。自戒とともに書き付けておく」この一文、批判する際の戒としてこころに留めておきたい。
 人物探しはこれで終わろうよということに徹した章だった。興味深い章でもある。

 著者自身が、美術研究の分野で、同様に「不都合」な人と思われる存在なのかもしれない、とふと思った。

ご一読、ありがとうございます。

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関連項目をネット検索してみた。
「画像検索結果」には、余分なものも検索にひかかっているようですが、まあそのあたりは見ればおわかりになるでしょう。(ノイズが入っていないともっといいのだけど・・・・)

岩佐又兵衛 :ウィキペディア
山中常盤物語絵巻第1巻 :MOA美術館
岩佐又兵衛 の画像検索結果

英一蝶   :ウィキペディア
英一蝶 の画像検索結果

伊藤若冲:ウィキペディア
伊藤若冲作品のある美術館・神社  :浦島茂世氏
伊藤若冲 の画像検索結果

伊藤若冲 1 :The British Museum
伊藤若冲 2 :The British Museum
伊藤若冲 3 :The British Museum
他にもまだ所蔵品を閲覧できます。

曾我蕭白 :ウィキペディア
曾我蕭白の画像検索結果

長沢芦雪 :ウィキペディア
串本応挙芦雪館 :ウィキペディア

長沢芦雪 掛け軸  :The British Museum

長沢芦雪 の画像検索結果

岸駒   :ウィキペディア
岸駒居住地
岸駒 の画像検索結果

葛飾北斎 :ウィキペディア
冨獄三十六景 凱風快晴:MOA美術館
冨獄三十六景 神奈川沖浪裏:MOA美術館
葛飾北斎 の画像検索結果

富嶽百景 :Museum of Fine Arts Boston
富嶽百景 三篇 :Museum of Fine Arts Boston
冨獄三十六景 諸人登山 :Museum of Fine Arts Boston
ボストン美術館の北斎コレクションは他にもたくさん閲覧できます。

信州・小布施 北斎館
葛飾北斎美術館
森羅万象の絵師・葛飾北斎 :WEBギャラリー
 葛飾北斎の多様な作品の一部を年代順にご紹介するウェブギャラリー

東洲斎写楽 :ウィキペディア
ボストン美術館浮世絵名品展 東洲斎写楽
東洲斎写楽の作品
東洲斎写楽 の画像検索結果

写楽 1 :The British Museum
写楽 2 :The British Museum
写楽 3 :The British Museum
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そのページで絵の画像をかなり閲覧できます。
 「若冲ワンダーランド」2009年秋
 「長沢芦雪 奇は新なり」2011年春


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