遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『心に雹の降りしきる』 香納諒一  双葉社

2012-02-06 11:38:26 | レビュー
 書名がちょっと変わっていたので本書を手に取った。この作家については全く知らない。本書との出会いが初めてである。奥書を読み、推理小説の分野で受賞されていることと本格派ハードボイルド作家と見なされていることを知った。

 読み始めて、これが警察小説だということがわかった。そして、今まで読んできた作家達の刑事のキャラクターとはまた違った新たな刑事像の誕生を楽しめた。

 本書をまずおもしろいと感じ始めたのは、警察小説として、その環境が全くのフィクション世界で構築されていることだ。勿論、著者の発想の根底には、現実世界でのいくつかの刑事事件がヒントになっているとは思う。しかし、本書は実在する社会環境には根ざしていない。山下県というローカルな県内の県庁所在地・海坂市とそれに隣接する仏向市、山下市という三都市が舞台になる。その架空県内でほぼ完結している。こういうスタイルの警察小説は、私には初めてだ。

 主人公の都筑寅太郎刑事は県警一課所属である。
 都筑は3歳の時に連れ去られ行方不明になった井狩理絵という女の子の捜査を7年間続けてきた。理絵が既に殺害されているのではないかということを内心思いながらも、外食チェーン店を経営する父親・井狩治夫の熱意と要求もあり、確実な証拠も出てこないことからこの事件捜査を継続している。父親は娘の生存を信じ、情報提供者への謝礼を喧伝し、興信所を雇ったりもしている。有力な情報には100万、娘を連れ帰った者には300万円の報奨金を出すという。都筑は、離婚した後、スナックの女に貢ぎ、競馬に立て続け負けたりして気持ちが荒んでいた2年前に、この井狩に間違った期待を抱かせて報奨金をせしめた暗い罪の意識を引きずっている。このペテンがばれ、それが元でデカを馘になるのではないかと恐れてはいる。捜査活動中もサボってしょっちゅう車で昼寝をする。お好みの昼寝場所まである。彼は単独捜査を好む。この少女行方不明事件については、「胸がすかっとすればいい」と思っている。 

 そんな時、井狩治夫に興信所に勤める梅崎陽介がフリーマーケットでピンク色の子供服を見つけたという話を持ち込む。井狩からの連絡を受けた都筑は、井狩の自宅を訪ね、そこで梅崎に引き合わされる。ここから、事件が再び動き始める。

 井狩邸を出た後、都筑と梅崎が別れる前に、梅崎は都筑に向かって、こんな言葉を投げかける。
 「都筑さん、そうやって、仮面を被り続けるのはやめませんか。あんた、街じゃ有名ですよ。県警一課の都筑寅太郎がどんなデカか、おれたちの世界じゃ誰もがよく知っている・・・・・おれたちゃ、同じ穴の狢ってやつだ。ね」

 梅崎は東京の大手新聞社の記者だったが麻薬不法所持で捕まり馘になった後、前科を重ね、今は上村信用調査事務所の調査員をしている。この梅崎が後頭部に記図を負い、商店街の路上駐車の中から死体で発見される。
 その事件から2週間ほど前に、仏向市の赤浦温泉の傍の渓流で、為谷逸夫という男が転落死で発見されたという事件が起こっている。この事件の切り抜き記事を幾つか亡くなった梅崎が持っていたのだ。
 梅谷がもたらした子供服がきっかけで、その捜査を進めて行き、都筑は山下市にある上村信用調査事務所も聞き込みにいく。調べると、上村が元警察官だった事実が分かる。また、為谷が上村信用調査事務所を辞めさせられていたということも分かってくる。
 為谷は死体となって発見される前は、長らく明神観光ホテルのスイートルームを借り切った生活を続けていたようであり、7年前に井狩はこのホテル内に自分の店を持ち、骨休めにホテルに滞在するつもりで湖畔を散歩していて、ほんの僅かに目を離した隙に、娘が行方不明になったのだ。
 都筑は仏向市の警察が担当している為谷事件に対して、為谷の行動を捜査する許可を上司の小池を経由して得ようとするが、上層部からストップをかけられる。この事件はどうもXデーに関連しているというのだ。
 少女行方不明事件を追って行くと、副次的に様々なことが分かってくる。
 子供服をフリーマーケットで売った女性は偽名を使い、東京在住のDVの夫から逃げている人物であること。その人物の親は警察にもコネがあり、この女性を追跡していること。
 井狩は3年前に亡くなった妻の兄である専務の田口順司に外食チェーン店の経営的な面を任せていて、新店舗物件探しには上村信用調査所と勝美という不動産屋に委託していること。梅崎が死亡する前に、上司の上村、離婚した妻と一緒に生活している娘・詩織及び松村祥子に電話していたこと。松下祥子の聞き込みに行くと下宿先の老婆から昨夜来戻って来ないと告げられる。そして、彼女は、スナックを含めいくつかのアルバイトを掛け持ちしながら、デザイン学校に通っていること。捜査を進めると、松村もまた梅崎との関連で殺されたのではないかという疑惑が都筑には湧いてくる。そして、都筑はその捜査を関連事件として優先させていく。
 被害者が何らかの形でリンクしながら、次々に事件が発生していく。為谷の死亡事件、梅崎の死亡事件、松村の行方不明事件、そして、7年前から追跡している少女行方不明事件。
 さらに、「県知事逮捕」というニュースが流れる。Xデーの標的はかなりの大物だった。県知事逮捕には、明神観光ホテルの売却問題が絡んでいるという。そしてさらに、上村の死体が発見されるという事態が発生する。

 この小説の面白みは発生する事件の連環性にある。まるでしりとりゲームのように、当事者が何らかの関係を持ちながら、一方で独立した形の事件の様相がある。なぜか、次々に行方不明となり死亡して行く。その一方、明神観光ホテルという舞台が、事件当事者を個別に、あるいは、その幾人かが一緒に居るシーンを目撃されているのだ。

 著者は、ところどころに伏線を潜ませながら、事件の発生、展開、解決を進めて行く。そして、ちょっと軌道からはずれた単独行動主義のデカの鬱屈した心情、「心に雹の降りしきる」内奥状態を様々に描き出す。スーパーヒーロー的なデカとは全く違う。だが、事件を解決していくシャープさは秘めている。
 本書のタイトルは、デカとしての己の捜査の状態に対する心情描写と共に、デカ都筑の生育環境に絡んだ鬱屈の表象でもあったのだ。それらが二重に重ねあわされていく。
 エピローグの7ページがなければ、それぞれの事件は解決されるものの陰鬱なムードでの幕切れ小説だ。やるせなく、不燃焼な気分が残る。
 だが、エピローグがその落ち込みを救ってくれるところが、本書の読後感をプラスに復活させることになった。

 事件解決の過程で満身創痍になる都筑、独りのユニークなデカを著者は創造した。都筑が、昼間サボっていることも承知の上で、その能力を認め、サポートする上司、小池をうまく配している点もなかなかおもしろい。

 さて、この都筑刑事、既に著者の本でシリーズになっているのか、あるいは、これから、シリーズが生み出されるのか・・・・楽しみが増えた。
(現時点で本書以外を手に取っていないので不詳)



付記 ちょっとした間違いを発見した。p9に井狩治夫の発言として「理絵は連れ去られた時五歳で・・・・」とあり、一方p52には、都筑による回想文として「当時3歳だった理絵」と記されている。また、p408には、「三歳の幼女が十歳に成長してもなお」と出てくる。多分単純なミスなのだろうけれど、推理小説としてはちょっと残念だ。

  ネット検索を何もしなかったのは今回が初めてだった。


ご一読、ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


2014.8.21追記
著者のこの作品を読みました。ご一読いただけるとうれしいいです。

『無縁旅人』 文藝春秋