遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『奪還の日 刑事の挑戦・一之瀬拓真』 堂場瞬一 中公文庫

2019-05-21 21:19:08 | レビュー
 一之瀬拓真シリーズもこれが第5作。書き下ろし小説で2017年4月に文庫本が発行されている。
 一之瀬に後輩刑事ができた。江東署から本部の捜査一課に異動してきた春山英太である。今回は一之瀬が春山を指導する立場となってコンビを組み活動することになる。
 事件は春山が本部へ来る直前に都内で発生した。だが、春山がこの春に異動してきた直後に、被疑者が福島県警により確保された。警視庁側が事件の捜査を本格的に始める前に被疑者確保となったのである。一之瀬が春山と覆面パトカーで被疑者の身柄引き取りと護送のために出張する場面からストーリーが始まる。先輩の宮村と一之瀬の同期・若杉は新幹線で福島に向かう。
 被疑者は島田幸也、33歳。会津若松市出身。島田は古いビルの小さな会社に夜間ドアをこじ開けて侵入した。しかし警備会社に入った防犯装置からの通信で駆けつけた警備員2人と揉み合いになり、一人を刺殺して逃走。防犯カメラに写っていた映像と遺留品である小さなバッグに免許証が入っていて、直ちに身元が割れ、指名手配になったのだ。一之瀬を含め殆どの刑事は「楽勝」の事件と感じていた。
 
 翌朝、福島中央署の手配により、福島駅までワンボックスカーの護送車が福島中央署員の運転で準備された。宮村と若杉が被疑者とともに乗り込み、一之瀬は春山と車で駅まで護送車の背後につくことになった。その時一之瀬は事件はもう終わったものという感覚だった。ところが、福島中央署と駅までの間で、一台の車・アテンザが護送車の横っ腹に意図的に衝突してきた。アテンザから降りた二人のうち一人はアフリカ系の男で銃を持っていて、一之瀬の方に向けて発砲してきたのだ。被疑者島田はこの二人組に奪取されてしまう。大失敗の事態発生である。宮村の顔から血の気が引く。宮村、一之瀬たちは、監察から事情聴取をうける立場に追い込まれていく。

 どこから、どのように、護送方法やルートに関する情報が漏れたのか? 
 島田を奪還した2人と島田は仲間なのか? 仲間でないなら、危険を冒してまで島田を拉致しなければならないほどの重大な理由を彼らは持っていたのか? 島田の素人じみた警備員刺殺事件と護送車を襲うほどの手段の間に直接のつながりがあるのか?
 島田の犯した刺殺事件の素人っぽさからは想像もできない急激な事態の転換となる。警視庁の初動捜査の詰めの甘さ、福島県警で被疑者が確保されたこと及び警視庁の刑事が現地で身柄引き取りをしながら奪還されたことに対する面子、福島県警にとっては護送車を準備し駅までの間で奪還されたことへの面子など、相互の面子が大きく絡んでくる。福島県警は血眼になり逃走犯たちを追跡捜査する。
 北福島署近くにある福島飯坂インターチェンジ附近での検問をプリウスが強引に突破した。その際、車から一人が降り署員に向けて発砲したことで、署員が撃ち返した。そのうち少なくとも2発が犯人にあたり、病院に搬送されたが死亡。それはアフリカ系の男だった。一方、もう一人の男と島田は逃げ切ってしまった。

 勿論、事件は合同捜査という形に転換する。だが面子がぶつかり合うことになる。警視庁側はその中で常に優位の立場で捜査を進めたいと意気込む。

 一之瀬の同期である城田は警視庁から福島県警に転籍し、外勤警官として働いていたのだが、捜査一課に異動していた。合同捜査となることにより、城田もこの捜査において、福島県警側の一員として加わってくる。そこで、一之瀬と城田の間で事件についての情報交換が始まっていく。
 一之瀬は福島県内で島田について聞き込み捜査により背景情報の収集から始める立場になる。島田の警備員刺殺事件の初動捜査における捜査の詰めの甘さが、一之瀬の目を通して、繰り返し繰り返し、明らかになってくるというおもしろい構想になっている。 
 聞き込み捜査で徐々に島田という男の背景情報が明らかになっていく。島田の人物像が浮かび上がってくることで、島田が高校生時代から付き合っていた女性が東京で大学生活を送り、その後東京で就職していること。島田は地元の大学に進学し、当時よからぬ噂があったこと、そして卒業後に憧れの東京に出て就職したことなどが分かってくる。
 福島での聞き込み、東京に戻ってからの聞き込みの継続。一之瀬は後手に回った形で島田の人間関係・仕事関係などの背景情報を累積していく。島田の足取り・潜伏先は杳として掴めない。島田が付き合っていたという大井美羽の勤務先、携帯電話の番号なども分かったが、彼女は仕事での出張先から行方不明になっていた。連絡が一切取れないのだ。大井美羽は島田と一緒なのか・・・・。
 再び島田が東京で殺人事件を重ねる。被害者は浜中悠。なんと島田が盗みに入った会社の社長だった。最初の警備員刺殺事件が単純な窃盗絡みとは限らなくなった。素人のちんけな警備員刺殺事件と甘くみていたツケが捜査員に及んでくる。事件を捕らえ直すことから始めねばならない。事件の背後の闇は徐々に広がって行く。その闇に光を投げかけるにはやはり地道な聞き込み捜査を重ね、筋を読むことしかない。監察からの呼び出しを気にかけながら、一之瀬・春山の捜査活動が続く。そして、ついに島田と浜中の接点が浮かび上がっていく。
 さらに、第3の殺人事件が起こる。

 このストーリーのおもしろいところは、後手に回った捜査活動を描いているところ。今後の捜査活動の糧として反省点を分析しつつ、めげることなく地道に聞き込み捜査を繰り返すというプロセスの描写である。島田の人間関係・仕事関係・過去の問題事象などを浮かび上がらせていくことで、全体の構図が見えていくところにある。その中での事件の筋読みだ。初動捜査の詰めの甘さがどういう問題を引き起こすかという側面を描いてもいる。
 警視庁と福島県警という警察組織内部での面子という視点を組み合わせているところもおもしろい。組織における面子は警察に限らず形を変えてどこにでもある。だから、逆にどういう展開になるかに関心が向く。
 一之瀬は先輩の藤島から引きついだ情報源Qとコンタクトをとる。だがQは拒絶した。「君にやる気があるかどうか・・・・・刑事として独り立ちできるかどうかの問題だ。とにかくこの件については、私は何も知らないし、調べる気もない」と。さて、一之瀬はどうするか。逆に、読者は今後の展開に引き込まれる。一之瀬はこの試練をどう乗り越えられるかと。
 再び一之瀬の同期で、公安に所属する斎木祐司が連絡を入れてくる。昨年の事件で一之瀬は斎木とひと悶着を起こしていた。今回は、共同捜査で上京している城田と一緒に斎木に会う。一之瀬と城田の斎木に対する対応と距離感がおもしろい。斎木の情報は一之瀬にとり予想外で、それが事件解明への切り口となっていく。
 このストーリーでは、一之瀬の福島県警への出張から、同期の城田が登場する。そして福島で結婚した城田のプロフィールが一之瀬との関わりを介して具体的に描き込まれていく。城田の私生活を含めて、城田という人物をより深く知るという楽しみが副産物として加わる。さらに、合同捜査となったことから、一之瀬・城田の事件絡みのコミュニケーションがストーリーを押し進めて行く局面を読者は楽しめる。組織間の面子問題の埒外で居られる同期という人間関係が捜査を促進していくのだから。
 もう一つの副産物は、一之瀬が春山の指導者という立場で春山に接していく側面である。事件の進展の中で時折その心理面や思いが描き込まれていく。一之瀬は先輩藤島との関係を思い起こす。一方で一之瀬が、教える、気づかう、激励する、反省する・・・・という様々な思いを抱き行動する側面が描き込まれる。これもまた一之瀬刑事成長物語の一側面である。ストーリーに一味加えている。

 福島県で被疑者確保という状況から始まったストーリーは、東京での殺人事件の連続をへて、福島県でのクライマックスというオチがついた展開となる。城田がクライマックスで怪我をする結果に・・・という事態つきなのだが。勿論、最後に島田を取り調べるのは一之瀬である。
 取り調べを終えた一之瀬の思いが記されている。その最後の一行は「愛の重さを天秤にかけるわけにはいかない」である。
 一方、このストーリーの最終章は、五月、退院した城田に会うために、一之瀬が休暇を取り福島を訪れる場面である。そしてストーリーの末尾は、「自分は、深雪とどんな物語を刻んでいくのだろうか」である。
 これらの各一文が、どのような文脈から書き込まれた一行なのかは、本書を読み進めて味わっていただきたい。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『特捜本部 刑事の挑戦・一之瀬拓真』  中公文庫
『誘爆 刑事の挑戦・一之瀬拓真』  中公文庫
『見えざる貌 刑事の挑戦・一之瀬拓真』  中公文庫
『ルーキー 刑事の挑戦・一之瀬拓真』 中公文庫
『時限捜査』 集英社文庫
『共犯捜査』 集英社文庫
『解』    集英社文庫
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『検証捜査』 集英社文庫
『七つの証言 刑事・鳴沢了外伝』  中公文庫
『久遠 刑事・鳴沢了』 上・下 中公文庫
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