遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『見えざる貌 刑事の挑戦・一之瀬拓真』 堂場瞬一 中公文庫

2019-01-13 22:10:54 | レビュー
 一之瀬刑事シリーズの第2作である。千代田署の刑事課に一之瀬が異動し、1年経った。刑事課最年少の者が毎朝恒例の茶を用意するという儀式の役割に、一之瀬はウンザリしている。新人が配属されてくるかどうかもわからない。茶の準備という儀式に疑問と反発を感じながらも、その儀式に一之瀬が甘んじている。そんな中で、宇佐美課長から隣の半蔵門署管内で事件が発生した話が皆に伝えられる。
 皇居の周辺をジョギングするランナーが襲われる事件が発生したという。北の丸公園、千鳥ヶ渕交差点から東へ200mほどの地点で事件が発生。後頭部打撲で、2週間程度の軽傷。皇居ランが大流行している中で、2件目の事件が発生したのである。
 皇居ランのコースは半蔵門署の隣りの千代田署にもその区域があるため、いつ千代田署管内で同種の事件が起こるかも知れないとも言える。そこで、半蔵門署と共同で警戒にあたる指示が上の方から出たという。一般のランナーに紛れて走りながら警戒に当たるという役割が、まず最年少の一之瀬に当てられたのだ。午後7時から10時までの3時間の重点警戒。1周5km30分として3時間、30kmを走りながらの警戒である。一之瀬は長距離を走るのは大の苦手、早速苦行が始まって行く。宇佐美課長は体力の無い人間もいるからとローテーションを組むという。藤島は通り魔の犯行は暴力絡みの犯罪では一番悪質であり、爆弾テロと一緒だと一之瀬にハッパを掛ける。
 半蔵門署の会議室で、両署合同の最初の会議がスタートし、事件の状況説明と役割分担などが明らかにされていく。そこで、半蔵門署に勤務の同期生若杉がこの事件に加わっていることを知る。若杉はやる気満々である。若杉が一之瀬の体力面を馬鹿にする。
 ストーリーは、一之瀬が一般ランナーに混じって皇居ランのコースを走りながら警戒するときの不条理さと辟易感の描写、同期若杉に対する一種のライバル意識の描写などから始まって行く。
 2件目の事件が発生したあと、連続して発生したこの通り魔事件が東日新聞に報道されてしまう。

 さらに、今度は千鳥ヶ渕公園で事件が起こる。藤島の家に招かれて食事中だったが、携帯電話の呼び出して、二人は事件現場に直行せざるを得なくなる。被害者は春木杏奈。8時22分に襲撃されたと被害者は言う。倒れた瞬間に咄嗟に腕時計を見たのだとか。被害者は一般にはあまり知られていないタレントなのだが、女性ランナーにはかなり知られるようになってきたタレントだった。後頭部に3針縫ったが軽傷だという。救急外来で入った病院には聞き付けたマスコミが集まってきた。皇居ランのコースにほど近い場所、一番町にあるマンションの自宅に杏奈は戻ることになるが、「怪我の具合はいかがですか」「大したことはありません」「犯人は--」「ごめんなさい。それは言えないので」というやりとりを記者との間でする。マスコミに心配をかけたことに謝罪して、杏奈は自宅に戻る事になる。藤島と一之瀬はパトカーに同乗し、杏奈を送り届けることになる。一之瀬は記者の質問に対する杏奈の返答に違和感を懐いた。
 藤島は翌日に署で事情聴取したい旨の約束を杏奈に取り付ける。その後、杏奈のマネジャー・由貴に一之瀬達は春木についての事情を聞き出す。そして、春木が今ではランニング関係の雑誌やラジオやBSのマラソン番組から注目を浴び、上り調子にあるタレントだということを知る。
 タレントが事件に遭遇したということから、一躍捜査は注目を浴び出す。警戒中に事件が発生したことで警察は重大なミスを犯したことになり、共同捜査から本部体制に切り替えて、3件の事件の早期解決を目指すという。3件の事件は同一犯人の仕業なのか、偶然に連続的に発生したもので、犯人は複数なのか? 

 行きがかりから一之瀬は杏奈の身辺警護をやらされる羽目になる。捜査の第一線にいる同期若杉に対して、被害者とはいえタレントの身辺警護を指示された一之瀬の憤懣の心理描写と合わせて、杏奈とマネジャーの由貴の近くにいる一之瀬は身辺捜査を進めていくことになる。徐々に一之瀬はタレント杏奈の置かれた状況が見え始める。一之瀬には杏奈という人間自身にも感じるところが出てくる。一方で、さらに不確かな事、疑念を懐き始める。杏奈がストーカーの被害に遭っていないかという観点での事情聴取も始めて行く。
 杏奈は大手芸能事務所「芸新社」に所属するタレントであり、ある映画の役を契機に始めたランニングが契機となり、杏奈はランニングに熱を入れだす。その関係の仕事が今や増えてきた。アップワイルドは、20年ほど前にファッションブランドとして出発したが、数年前にスポーツウェアやシューズの分野に進出し、このところ人気が沸騰してきているという。そこの製品を杏奈が愛用してきたこともあり、アップワイルドとの仕事のウェイトが高くなり始めたという。杏奈はタレントとして今上り調子にあることがわかってくる。
 そんな矢先に、爆弾を仕掛けられた商社への金銭要求という脅迫事件が発生し、一之瀬はかり出されるということにもなる。この事件が、別の意味で一之瀬の心配種になっていく。

 芸新社の社長・水野勇作は、警察に対してもう杏奈の警護は不要ではないか、事件は起こらないだろうと言い出してくる。警察にすれば余計な仕事が減る。しかし、一之瀬は現時点での手放しが新たに杏奈の周辺で別の事件に繋がらないかと懸念する。杏奈の事件を解明するには、杏奈の過去のことを調べることが必要だと踏み込んで行く。

 またもや千鳥ヶ渕公園の近くでランナーが襲撃される事件が発生。被害者・加納亜佐美、27歳は出家多量ないしは脳挫傷で死亡する。度重なる「通り魔事件」が未解決のまま、「通り魔殺人事件」に悪化したのである。杏奈の警護から、被害者加納亜佐美の自宅を皮切りに、若杉とペアになり被害者の身辺を事情聴取する担当に振り分けられる。
 亜佐美の部屋を検分させてもらい、一之瀬は女性ランナーのファッションという観点に気づいていく。最近の女性ランナーのファッションリーダーは杏奈さんという雑誌記事の一節も目に止まる。さらに職場での聞き込み捜査を展開していく。
 
 さらに今度は杏奈が「自宅近く」で「会食からの帰り」に襲われ刺されたという傷害事件が発生する。現場周辺の捜査で、若杉が凶器と思われる包丁あるいは大きなナイフといえる物を発見した。
 一之瀬は再び杏奈の警護をする羽目になり、合わせて彼の懐いた疑念についてマネジャーの由貴を糸口にして事情聴取をすすめていく。杏奈の過去に何があるのか? それは一連の事件とどう関わるのか、関わらないのか・・・・・。

 このストーリーの読ませどころは、いくつかある。
1. 連続的に発生する事件が相互にどのように関連しているのか、わからないまま最後まであたかもベールがかかったような形で事件がどんどん進展していく展開となる。読者に気を持たせるストーリーの進め方がおもしろい。
 「見えざる貌」というタイトルの一面はここに由来するだろう。犯人が中々見えてこないというもどかしさ・・・・・。
2. 愛好家達により皇居ランという形で発生したランニングが一定のコースを形成し、かなり多くの人々が日々その中でスポーツを楽しんでいる。その姿と環境の中に、通り魔犯罪という観点でみれば、時間帯を含め如何に危険箇所が潜むかということを描き出すと言う点が副産物としてある。自己責任行動のためのリスク管理の必要性への警鐘となる。
3.タレントが上げ潮に乗ろうとしている心理と行動の描写がリアルに描かれて行くという側面が織り込まれている。
4.若手刑事一之瀬という体力的に弱い刑事の目から眺めた現状の警察組織の体制と文化風土に対する批判的精神がこの第2作でも継続して描き込まれていく。だが、それは未だ距離を置いた世間的対比、概念的なレベルでのものである。これが単なる愚痴どまりなのか、少しずつ組織体制や文化風土を変革していく礎を己の内心に培っているのかは未知数だ。その批判的精神はある意味でこの後どうなるか楽しみな未知数の要素である。
5. 「見えざる貌」というタイトルはダブルミーニングではないかと受けとめた。
 それは被害者・加害者という用語をどのような次元で使うかに関連してくる。警察は法律の規定に基づくことを前提として、被害者・加害者を区別する。だが、警察とは別次元で被害者・加害者という言葉を使うこともできるだろう。
 そこに事件の被害者である春木杏奈の本質は何かという視点が絡んでいく。過去を踏み台にして、上り調子の波をとらえて、タレントとして己が活躍できる高みに上ろうとしている杏奈という人間の本質的は何か?
著者は春木杏奈の現象面での行動を一之瀬の調べと観察やマネジャー由貴、元マネジャーの発言などから描き出す。それは警察の拠り所となる客観的な物証という次元でとらえられない部分に繋がっている。杏奈は単純に被害者だと言えるのか・・・・・。
 このストーリーの末尾の文章を引用しておこう。
   見逃さない。いつか、触れることもできなかった彼女の心に触れてやる。
   一之瀬は密かに決意を固めた。
 この末尾の含意の淵源の究明プロセスが読ませどころといえる。

 勿論藤島も登場するが、殆ど一之瀬の単独捜査活動を主体に描かれて行く。藤島とペアで駆動するよりも、同期の若杉との捜査活動が増えている。そこには同期のライバル意識も内包されていておもしろい。

 最終段階で、一之瀬は刑事として「証明できないことに力を注ぐ」という行動を取る。それに対して、結果的に藤島が警察機構の限界としてこんなことを言う。
 「不必要じゃないけど、紹明は不可能だ。仕事では、無駄な部分をどうやって斬り捨てるかも考えなくちゃいけない。不可能なことに取り組んで時間を潰すよりも、できる範囲で頑張るようにしないとな・・・・以上、説経終わりだ」と。
 一之瀬は、ここでまた大きな教訓と、それならどうすればいいのかという課題を得たことになる。これでまた一段階、一之瀬は刑事の道をステップアップしていくことになる。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『ルーキー 刑事の挑戦・一之瀬拓真』 中公文庫
『時限捜査』 集英社文庫
『共犯捜査』 集英社文庫
『解』 集英社文庫
『複合捜査』 集英社文庫
『検証捜査』 集英社文庫
『七つの証言 刑事・鳴沢了外伝』  中公文庫
『久遠 刑事・鳴沢了』 上・下 中公文庫
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『被匿 刑事・鳴沢了』   中公文庫
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