遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ルーキー 刑事の挑戦・一之瀬拓真』  堂場瞬一  中公文庫

2019-01-04 21:34:44 | レビュー
 新シリーズのはじまりである。主人公・一之瀬拓真、25歳がクリエイトされた。警察官となり交番勤務を務め、内幸町の交番から千代田署刑事課に異動となった。それは東日本大震災・原発事故の発生からまだ3週間しか経っていない時点である。
 刑事課にとっては久しぶりの新人配属となる。刑事課長は宇佐美、ルーキーの一之瀬を指導する立場になるのが藤島一成。昔同じ職場に同姓の人が居たので、一成(かずなり)という名であるがイッセイさんと呼ばれることが多いという。そのため、一之瀬にもイッセイと呼ばせる。
 配属初日の夕刻、一之瀬の歓迎会が行われる。初日は藤島が一之瀬を連れ、総面積約3.5平方キロメートルの管内エリアを一通り歩き回ることから始まった。勤務後、歓迎会に臨んだ。一之瀬がマンションの自宅に戻ったときには12時。だが、その後、藤島から携帯に電話が入る。「殺し」が発生したという。現場は有楽町二丁目。刑事という仕事にこれからゆっくり慣れていこうという一之瀬の思惑が初日から崩れ去った瞬間である。
 一之瀬は刑事課初勤務の深夜から殺人事件の修羅場に放り込まれることになった。藤島すら初めてみる類いの死体だという。被害者は腹を滅多刺しにされていた。解剖しないとわからないが、出血多量というよりショック死かもしれないと藤島は推定する。
 現場に直行して遺体を見た一之瀬は思わず吐き気を催したが、藤島からビシリと吐くなよと注意される。配属初日から凄惨な殺人事件の捜査にどっぷりと投げ込まれることになった。その捜査に加わり、藤島を先輩・相棒として行動することが、一之瀬にとってまさに現実の修羅場のなかでオンザジョブ・トレーニングを受ける始まりとなっていく。

 この『ルーキー』という小説は、まざに一人の新人が戸惑いながら刑事としての思考と行動を学んでいくというストーリーである。刑事誕生・成長物語と言えよう。
 警察官となり、交番勤務というシフト体制がきっちりと決められ、勤務とプライベートの時間をほぼ明確に区分けできた生活スタイルを一之瀬は過ごしてきた。それとは真逆になる。事件解決までの時間は一日という区切りがない状況が続く捜査体制に投げ込まれる。まさに、カルチャーショックを受けながら、刑事の有り様を体験し始める。警察官人生において、刑事という仕事が己にとっては適職なのかという自問自答が同時に始まって行く。一之瀬は警察官人生の岐路に立たされたことにもなる。一之瀬というルーキーは、刑事として成長できる玉(人材)なのか、刑事不向きの落ちこぼれになりそうな玉にしかすぎないのか・・・・。
 藤島は俺のやり方を見て学べというスタイルではなく、一之瀬にまず己で考えてやってみろと体験させるやり方で臨んでいく。やらせてみて、フォローしながら指導していく。携帯電話で、現場に行くにあたり腕章を忘れるなという注意から藤島の指導が始まっていく。
 現場で遺体を観察する一之瀬に藤島は「ほら、しゃがめ」という。勿論、一之瀬には何のことやら・・・・。先輩刑事の何人かが、蹲踞の姿勢を取り遺体の顔の前で両手を合わせていた。藤島は言う。遺体には敬意を払うものだ。とにかく祈り、必ず犯人を捕まえると遺体に向かい誓えと一之瀬の耳元で囁く。警察小説ものでこんな場面を描くのは、刑事という仕事を拝命したルーキーをまさに主人公にしているからであろう。そういう意味では、捜査本部が立った事件で、刑事の行動・対処方法の内輪話的な側面を、オンザジョブ・トレーニングの一環として描き込んでいるという面白さを読者は味わえる。

 現場指導という点で面白いのは、指示を受けた行動に対して一之瀬が成しおえた結果について、藤島にその都度点数評価を望むという描写があること。一之瀬を藤島はゆとり世代の人間とみているのに対し、一之瀬はその世代ではないと内心反発すること。一之瀬には刑事の仕事にマニュアルがほしいという欲求が出てくる。一方、藤島は刑事の仕事はマニュアル化できるものじゃないと取り合わない。そういう意識のギャップが描き込まれることなど、いろいろと興味深いズレの局面も描き込まれていく。

 さて、事件の被害者は背広の内ポケットに免許証を持っていた。その写真の印象では本人と思えるが、家族の確認が取れるまで「確定」はできない。免許証からは、古谷孝也、本籍地は福島県郡山市。一応ほぼというレベルの段階で、深夜ではあるがまず付近の聞き込み捜査から一之瀬・藤島の捜査活動が始まって行く。聞き込みと雑談の違い、切り上げ時を考えろという藤島の指摘から始まる。刑事と話す相手は4種類あると藤島が言う。こういうオンザジョブ・トレーニングの場面が各所に盛り込まれていくところがおもしろい。刑事課配属初日の深夜から、一之瀬は警察署泊まり込みに投げ込まれていく。
 勿論、本人の心理や愚痴・葛藤などがパラレルに描き込まれていくことになる。それは刑事成長物語の一側面である。

 その後被害者と現職内容などの情報は速やかに判明する。被害者は古谷孝也、1980年7月2日生まれ、間もなく31歳という時点で殺された。住所は目黒区上目黒4丁目。勤務先は六本木に本社のあるIT関連企業、ザップ・ジャパン社。IT系では今や一大コングロマリットの様相を呈している大企業である。ザップ・ジャパン社の総務課長。午後8時に会社を出、午後11時から12時の間に殺された。その間の足取りは不明。被害者のカバンに入っていた銀行通帳には、今年の1月に本人の現金持ち込みによる500万円の入金が記帳されている。詳細は不明だが不審な点だという。
 捜査は動機面を絞らず、予断を持たずに開始する方針となる。
 所轄の人間は本庁の人間と組むのが通例だが、一之瀬が駆け出しのルーキーだということから、この事件でも藤島と一之瀬が組んで捜査に加わることになる。
 そこで、このストーリーは、一之瀬・藤島というペアの捜査活動を主軸にして事件解明へのストーリーが展開していく。

 まず、二人は周辺捜査班に回される。最初の仕事が遺族の出迎えと遺体についての本人確認に立ち合うことから二人の行動が始まっていく。東京に出向いてきたのは父親だった。そして、父親から被害者孝也についての聞き込みへと進展する。
 周辺捜査としての聞き込みは、徐々に広がり、聞き込みから得た人間関係から、糸口を見出し、その糸の先をたどって聞き込みを拡げて行くという定石が徹底されていく。
 一之瀬・藤島の聞き込み捜査もまた、捜査本部の方針の中に位置づけられながら次のように進展して行く。
 父親からの情報収集⇒ザップ・ジャパンの同僚等への調査⇒現場での定時通行調査⇒本人の私用携帯電話の通信記録に対する個別調査⇒被害者の葬式への立会と情報収集⇒被害者の同級生への聞き込み⇒ザップ・ジャパンを退職したOBへの聞き込み・・・・という具合である。それは更に展開を見せていく。
 一方で、藤島は独自の情報ルートを持っている。そのルートからザップ・ジャパン社関連の情報入手の伝手を得ようとする。そして、その伝手をたぐっていく聞き込み捜査も加わっていく。そのため、その人物を一之瀬にも引き合わせることまでは藤島が一歩踏み込んでいる。これもまた、一之瀬に対する形を変えた指導なのだろう。

 ザップ・ジャパンを辞めた一人、岩沢夏美に面会の約束を一之瀬はとりつける。だが、そこへ向かう途中、何か変だと感じ取る。自分たちが誰かに尾行されている気配を感じたのだ。それを確かめようとした。だが、後を追う途中で逃げ去られるが、その時に得た断片情報をもとに、捜査本部では妖しげな尾行者の正体が究明されていく。それが一つの突破口にも繋がって行く。

 一之瀬と藤島は、古谷は総務課長として各子会社が利益を生むようにとの尻叩きの役割を担っていたことを知るとともに、一方でザップ・ジャパン社の子会社であるビジネスリサーチ社(BR)というITコンサル会社を個人的に調査していたという事実もつかむ。そして、聞き込み捜査の過程でBR社に粉飾決算の噂があることも明らかになってくる。
 徐々に殺人事件の筋読みができる情報が累積していくのだが、一方でこの殺害事件に別の様相が見え始める。

 このストーリーのおもしろさ、興味深さはいくつかある。
1.上記と重なるが、刑事課に配属された一之瀬拓真というルーキーが、その仕事の実態に触れ、様々な局面で心理的な葛藤を繰り返しながら、刑事として成長し始めるストーリーとなっていること。
2.配属初日の深夜から殺人事件の捜査に投げ込まれ、その捜査活動プロセス自体が、藤島の指導によるオンザジョブ・トレーニングとなっていて、その訓練的側面、つまり刑事の活動の裏話的な側面が描き出されていくこと。
3.聞き込み捜査活動がどんな風に輪を広げていくものかというプロセスの連続性が描き出されていて興味深いこと。
4.東日本大震災と原発事故という直近の社会状況を背景に、その状況がタイムリーに織り込まれた上で、捜査活動が描き込まれていくこと。東北地方太平洋沖地震は2011年3月11日に発生した。この小説は文庫書き下ろしとして2014年3月に初版が発行されている。
5.藤島と一之瀬という二人を介して、思考・価値観・行動などでの世代間対比が描き込まれていて興味深い。刑事の有り様もまた、世代交代していくのかそうではないのか・・・・。そんなことまで波及していく視点も潜んでいるように思う。
6.一之瀬には交番勤務という時間サイクルが明確だった頃から深雪という恋人が居る。一之瀬の母親は深雪の存在を知っている。深雪にはまだ一之瀬との結婚まで踏み切る意識はなさそうである。刑事課に異動した一之瀬は、初日からその勤務サイクルが乱れていく。深雪との連絡もままならなくなる。そんな一之瀬のプライベートの側面が時折織り込まれていく。さて、この二人の関係が今後どのようになっていくか。読者にとっては興味をそそられる側面である。刑事課に配属された直後の一之瀬は、深雪の存在を藤島には未だ話していない。藤島は他人のプライベートには踏み込まないようでもある。公私のバランスという観点が要素として盛り込まれていて今後の展開が楽しみとなる。
7.一之瀬拓真の家族背景が少し特異な設定になっている。これがこのシリーズで今後関わりを持ってくるのか、それは関係することがないのか・・・・・どうなっていくか? 
 これはまあ、今後のストーリー構想問題なのだが。著者はなぜこの設定にしたのか?
 
 いずれにしても、新しいシリーズの誕生は意外な展開を含めておもしろく読み終えた。
 ご一読ありがとうございます。


本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
東北地方太平洋沖地震  :ウィキペディア
東北地方太平洋沖地震の前震・本震・余震の記録  :ウィキペディア
平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震 ~The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake~   :「気象庁」
東日本大震災  :「コトバンク」
震災の記録誌「東日本大震災郡山市の記録」 郡山市公式ウェブサイト
ふくしま復興ステーション ホームページ
東日本大震災について  :「警察庁」
 
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『時限捜査』 集英社文庫
『共犯捜査』 集英社文庫
『解』 集英社文庫
『複合捜査』 集英社文庫
『検証捜査』 集英社文庫
『七つの証言 刑事・鳴沢了外伝』  中公文庫
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