遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『疑装 刑事・鳴沢了』  堂場瞬一  中公文庫

2016-03-31 22:45:03 | レビュー
 刑事・鳴沢了シリーズもこれが9冊目となる。この作品のタイトルも、やはり少し意を含むようだ。国語辞典では「ぎそう」に「偽装」あるいは「擬装」という漢字を明示し、その意味が説明されている。少なくとも、広辞苑(初版)、大辞林(初版)、日本語大辞典(初版)、現代国語例解辞典(第二版)をみるかぎりではそうである。そこを敢えて「疑装」としているのが、まずおもしろい。
 第9作でも鳴沢は引きつづき西八王子署の刑事課に所属する。相棒は藤田新である。

 ストーリーはめじろ台南交番からの電話を藤田が受けたことから始まる。鳴沢・藤田は交番に出向く。近くに住む主婦が様子がおかしい10歳くらいの子どもを見つけて、自分の車で交番につれてきたのだった。その子どもは衰弱していて口を開かなかったという。保護された子どもは病院に送られていた。病院に出向いた鳴沢がその子どもに話しかけてもしゃべらない。鳴沢はふいにアメリカにいる勇樹のことを連想してしまう。
 入院中もしゃべろうとしない子ども。生活安全課の山口美鈴が担当として加わってくるが、鳴沢らも協力することになる。沈黙する子ども。だが、鳴沢が一つ手がかりを見つけた。それはポルトガル語のカセットテープ。そこから日系ブラジル人という連想が働いていく。何も手がかりがえられないなら、美鈴は児童相談所に連絡を取り、任せることになるという。その手続きをとるまでに一日の猶予を得た鳴沢は、子どもにポルトガル語の片言で話しかけてみる。子どもに反応が見られた。
 だが、その子どもが病院から連れ去られてしまう。窓から出た様であり、窓には大人の靴跡と掌紋が残されていた。物入れにあっ忘れ物のノートに、少年を特定する唯一の手がかりが残されていた。「カズキ・イシグロ」という名前と住所である。
 どこまで事件性があるのかわからない不確かな事案に対し、このわずかな手がかりから鳴沢らは関わって行く。まず判明したことは、カズキの父親が2週間前に、死亡轢き逃げ事件を起こして逃走中であり、逮捕状が出ているという事実だった。
 父親の引き起こした事件とどう関わるかは不明だが、子どもの周辺を調べるために、鳴沢一人が熊谷課長の許可を得て、群馬県の南、埼玉に近い方にある小曽根町に出張することになる。

 このストーリーは、カズキ・イシグロという子どもがきっかけとなり、小曽根町に存在する日系ブラジル人社会が舞台となっていく。それは既に30万人は日本に在住しているという日系ブラジル人のなかの、一つの生活空間である。小曽根町の人口の1割強、2,000人ほどの日系ブラジル人が住むという。(注記:後掲のとおり、統計をみると2016年現在、在日日系ブラジル人は激減している。この文庫本の初版発行は2008年2月である。)

 鳴沢が小曽根に行き、地元小曽根署の仲村という警察官との関わりができ、その協力を得て聞き込みをはじめる。なぜかこの町に、小野寺冴が現れてくるのだ。鳴沢の行く先に必ず事件が潜むという予兆なのか・・・・。

 父親の元の勤務先が明らかになる。カズキ・イシグロには妹が一人いたこともわかる。その妹・ミナコを預かっているというサトルという人物に会う。サトルからシマブクロという日系ブラジル人社会に指導的な役割をボランティアで行っている人物のことを知る。そしてサトルからシマブクロの紹介を受ける。・・・・少しずつ、網の目のような人のつながりが見え始め、周辺情報が明らかになっていく。
 この小説は小曽根という町を舞台に日系ブラジル人社会が背景として描かれて行く。日本の一つの現実、社会現象の局面を浮き彫りにするという観点を内包している。

 サトルの紹介で会った島袋はブラジルで生活したこともあり、小曽根の日系ブラジル人社会に詳しい人物だった。カズキの捜査を小野寺冴に依頼したのが島袋とわかる。そして、島袋の話から、再びカズキの父親の轢き逃げ事件が浮上してくる。カズキの行方の捜査にこの轢き逃げ事件がどう言う影をなげかけているのか。カズキの行方の捜査は複雑な様相を呈し始める。

 小曽根のビジネスホテルに鳴沢は一泊する。そこで小野寺と情報交換することになる。小野寺は、轢き逃げ事件におかしいところがありそうだと、さりげなく鳴沢に話すのだった。この作品では鳴沢と小野寺の協力関係の展開が一つの読む楽しみになる。

 鳴沢がカズキの行方を追う捜査は、結局父親の轢き逃げ事件を独自の立場で捜査していく展開になる。勿論それは管轄外の事件に首を突っ込むことになるのだった。その段階で協力者である仲村の捜査結果とぶつかってしまうことになるのだが・・・・。

 このストーリー展開で興味深いのは、前作に登場した「多摩歴史研究会」幹事の城所智彦という老人が、八王子の生き字引としてふたたび鳴沢の求めに応じ情報提供者として人間関係の一つの網の目に出てくることである。そして、こんな会話が交わされる。
鳴沢「いずれにせよ、お伺いします。久しぶりにゆっくり話がしたくなりました。」
城所「そうね。できたら仕事じゃない話の方がいいけど。あなたと放すのは楽しいですけど、仕事のことになると目の色が変わるから。ああいうことがもっとさり気なくできるようになったら、あなたも一皮むけるでしょうね」
  「今さらそれは無理じゃないでしょうか」
  「もっと柔軟におやりなさいよ。」「どんな仕事でも、常に正しいやり方なんてないんですから。その時々でいろいろ変えてみる必要もあるでしょう。それに、変えること-変わることはそんなに難しくないですよ」
  「ご忠告、ありがとうございます。
  「竹にになんなさいよ」
  「竹、ですか」
  「硬いだけじゃ駄目なんだな。・・・・・(中略)・・・最後の立ち姿が問題なんですよ」
鳴沢像を実に端的にイメージできる会話ではないか。これは人ごとではないアドバイスでもある。そんな受け止め方ができる老人の忠告だ。

 カズキの父親は、轢き逃げ事件後、ブラジルに帰国していた。そしてブラジルで身柄を拘束される。事件に使われた車は、父親の同僚だった藍田から借りたものだった。その車で、藍田自身の息子・俊が轢き逃げされたという。俊はカズキとサッカーチームでの仲間でもあった
 仲村の仲介で、鳴沢は藍田に事情を聞く機会を得る。しかし、それは鳴沢にあらたな疑問を抱かせることになっていく。
 周辺情報が累積されるにつれて、様々な事実関係がつながり始める。その矢先に、小曽根に居る鳴沢は、藤田からカズキの死体が発見されたという連絡を受け、愕然とする。

 この小説の第三部のタイトルは「隠された悪意」である。
 病院の窓から抜け出したカズキの死。その原因はカズキの父親が引き起こしたという轢き逃げ事件の真相に関わりを持っていた。隠された悪意とは何か? その解明プロセスが読ませどころとなる。
 
 本書のタイトル「疑装」には、その読み方「ぎそう」から「擬装工作(偽装工作)」という熟語で表される本来の意味が下敷きにされていると思う。そして、その上に証拠が無くてただ疑わしいだけでは、外見上は何事も無かったかのごとく装わねばならないという意味合いが暗示されているように私は思う。「疑いながらの平常の装い」は、臨界点を超えた瞬間に爆発するかもしれない。小野寺冴が受けた仕事の活動は、臨界点を超えさせる動因となる真相を見つける役割に転換するかもしれなかった。一方、鳴沢の捜査信念と行動は、疑いの装いが存在することをそれほど意識することなく、「擬装」を疑い、その究明から真相に辿り着く。結果的に爆発を抑制させる役割を果たしたことになる。

 この事件は、鳴沢の刑事生活において、やるせない終結となる事件だった。こんな思いだけが残る類いの事件が続くなら、鳴沢は刑事をやめるかもしれない。
 作者はこう記す。
「だが今は、真相が分かったことに喜びを見いだせない。誰も幸せにならないではないか。二つの家族という閉じた輪の中で事件は起き、完結してしまったのだ。真相を探り出すのは私の仕事であり生きる意味でさえあるのだが、それは誰か喜んでくれる人間、少しでも癒やしを感じてもらえる人間がいてこそ意味が出てくる。今回は誰も喜ばない-そして私自身も、この仕事になんらかの意味を見出すことができそうになかった」(p426-427)と。
 そういう意味で、少し異色なストーリー展開の作品である。

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この作品からの触発として調べた事項を一覧にしておきたい。この作品の背景部分への関心である。そして、この作品とは別の次元で、つまり現実社会の変化、日本の経済社会の変動結果について認識をあらたにするきっかけになった。

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「多文化共生」の齟齬 -在日ブラジル人の現状と施策の整合/不整合-
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