遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『水鏡推理』  松岡圭祐  講談社

2016-08-31 09:32:12 | レビュー
 このシリーズを私はたまたま新しい方から遡って読み進めることになった。つまり、『パレイドリア・フェイス 水鏡推理』から、『水鏡推理Ⅱ インパクトファクター』を読み、今このシリーズの第1作を読み終えた。

 このシリーズの設定になっている「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」は文部科学省に実際に設置され実在しているタスクフォースである。実際に文部科学省のホームページで、同タスクフォースが「中間とりまとめ」(平成25年9月26日)を公開していることを確かめた。実在のタスクフォース名称をそのまま使い、研究における不正行為・研究費の不正使用についての推理フィクションを同時代的作品として発表している著者の姿勢、大胆さが面白いし、興味深い。

 このシリーズ第1作は、推理小説の新たなヒロインを登場させ、そのイメージを確立する作品となっている。
 この第1作で、ヒロインとなる水鏡瑞希(みかがみみずき)のバックグラウンドが大凡明らかとなり、彼女のイメージが形成されていく。この第1作に描かれた水鏡瑞希のプロフィールを、まず概括しご紹介する。

 水鏡瑞希。国家公務員一般職試験に合格し、文部科学省の一般職事務官として務めている。合格して3年目で、25歳。一般職試験を受ける前に、豊洲に所在する株式会社鴨井探偵事務所でアルバイトをした経験がある。国家公務員試験には判断推理と数的推理の分野の問題が出題されるが、学校で習わない分野であり、推理なら探偵という短絡的発想から探偵事務所でのアルバイトを大学2年の時から始めた経歴を持つ。結果的に、この事務所に勤める女性社員が公務員試験に挑戦経験があったことから、判断推理と数的推理の手ほどきをこの女性社員から受ける。試験では、判断推理と数的推理は満点だったという。
 瑞希は神戸市出身である。阪神淡路大震災で被災し、小学校に入る前から仮説住宅暮らしを経験している。1歳年下の弟・睦紀と父方の祖母が行方不明となり、失踪宣告を受け、法律上は死亡が確定済みである。瑞希の母はあきらめきれずに、探すのをやめずにいる。瑞希はそれを見ている。その後、両親とともに東京に引っ越してきた。都電荒川線の梶原駅近く、明治通りに面した築45年の木造家屋二階建て店舗付きの借家に住む。両親はその1階で、定食屋兼居酒屋・道草食堂を営んでいる。瑞希は震災体験により、子供の頃から地震関連の本を数多く広くかつ専門的なレベルまで独自に読み進め、その分野の知識が豊富である。
 見た目もよく、爽やかな印象を人に与え、裏表のない性格。嘘を嫌い、常に正直であろうとする。
 こんなヒロインがこのシリーズで誕生した。どんな活躍をするのか? 
 最新作の方から、私は遡ってきたのだが、それ故に、なるほどそういうことだったのかという思いを抱く箇所もあった。シリーズを逆読みするのも、それなりのおもしろさがある。

 さて、この第1作の構成がまたちょっと面白い。それは、文部科学省の一般職事務官がどういう経緯で、「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」の一員になったかということからストーリーが始まる。そして、この第1作では、水鏡瑞希が関わった事件という点を時間軸でみると、複数の短編小説と中編小説が集成された形として進行する。それは、瑞希が様々な異なる研究分野に首を突っ込んでいくということから、読者にも知的好奇心をそそらせる形になる。本書は全体が数字の番号でセクション表記されているので、その番号を利用して、少し内容と感想に触れて行こう。見方を変えると、読者へのサービス精神旺盛であり、次々とスピーディに推理解明プロセスを楽しませてくれる作品と言える。

1: 
 水鏡瑞希の同僚となる一般職事務官、澤田翔馬の登場と失敗談で始まる。

2~5: 
 東北地域の大震災によりできた仮設村でサポート役の長期滞在要員として水鏡瑞希は派遣されている。この仮設村での瑞希の活躍がエピソード風に書き込まれる。しかし、瑞希が派遣要員となったのは、入省後の研修で、事務官として節度をわきまえない行動が省内勤務に向かないと判断されたことによるというから、おもしろい。その瑞希が澤田が失敗した事案の助っ人として関わらせられる顛末となる。それは、仮設住宅からの立ち退きを一人拒否し続ける伊佐治という人物に対し文科省として謝罪をし受け入れてもらうという案件。しかし、瑞希はその案件自体の問題を暴き出して解決するという勇み足の結果となる。冒頭から、瑞希の観察力が発揮され、問題の本質を見ぬいてしまうという面白さ。だが、それは官僚の行動発想とはすれ違う。

6~8:
 果たすべき役割は伊佐治さんへの謝罪だったが、先方の面目をつぶし、マスコミの餌食にした点が省内で咎められる羽目に。ここから、瑞希の背景調査が行われることに。
 この辺り、官僚機構内の思考の歪みが皮肉られているように思う。読者にとっては、瑞希のプロフィールを知る興味で読み進められるところ。

9:
 瑞希と澤田が共に「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」に異動となる。ここでのスタートは、現実に起こったSTAP細胞問題を下敷きにしたと思われる「STEP細胞問題」の最終確認という話から始まる。研究費の扱い方の問題が話題となる。タスクフォースの立ち位置を理解する導入部と言えようか。キャリアの南條朔也が瑞希に「立場わきまえて発言を慎めよ」と言う。これが官僚機構のキーフレーズとして書き込まれる。著者の官僚機構に対するアイロニーが込められているように感じる。

10~17:
 冒頭で、ある検証映像に秘められたいかさまを瑞希が見ぬいて指摘するというショートエピソードを入れて、「総合的震源パラメーター変動要因解析システム(CSVS)」という初期費用94億円という研究がタスクフォースの検討対象となってくる。これはキャリアの南條が事務官の水鏡瑞希の能力に気づき、瑞希をサポートする側に転換し始めるエピソードでもある。研究資金を得るための官僚向けプレゼンテーションとしての実験に仕組まれたいかさまを瑞希が暴くという痛快さが楽しめる。

18~24:
 瑞希の行動が周りの人々を変えて行く。南條は瑞希の能力を認め始める。一般職事務官の同僚・澤田は、所詮事務官なんて・・・というスタンスから、瑞希の行動力と問題解決力を目の辺りにして、仕事を楽しく感じ始める。そんな所から、次のテーマが始まる。それは文科省の副大臣が座長を務めていて、頭を抱えているという「宇宙エレベーター」の研究に絡んだことなのだ。この研究テーマは現在のホットな話題でもあるから興味深い。
 まずは、この研究に関連した分厚いファイルを総合職の牧瀬蒼唯が瑞希のところに持ってきたことが発端となる。蒼唯の瑞希に対する指示は、誤字脱字についてのみの校正作業である。内容については横槍を入れるなという条件までつける。だが、しかし・・・、なのだ。瑞希は、指示を拡大解釈して、行動を始める。澤田もそれを手伝うことになる。
 瑞希の行動は、デスクワークに止まらず、そのファイルに出てくる宇宙エレベーターの研究開発に取り組んできたイトウラ工業株式会社に出かけて行く。
 この会社でも、やはり研究資金確保の為の実験に巧妙ないかさまが加えられていた。研究資金の承認を取り付けたい側と資金提供の認可をする官僚側の駆け引きとして、理屈づけ・言い訳などが、コミカルなタッチで描き込まれているのもおもしろい。
 高邁な研究目的に対して、プレゼンテーションとして行われた実験のトリッキーさが読ませどころといえる。意外性があってこれもまた面白い。
 同じ会社の中で、一方では真面目な研究を地道にやっている。その成果が上がりにくい事例も併せて描いているところが、興味深い。それは研究をどう評価するのかにもかかわっていくことだから。
 この宇宙エレベーターの件について、校正作業の枠組みからはみ出した結果、瑞希は自宅謹慎という処分を受けることになる。その理由は、タスクフォースの実務内容、一般職のあり方、事務官の仕事についての自覚に対する勘違いにあると言う。この辺り、官僚の発想と行動の実態に対する著者のアイロニーが組み込まれていると感じる。総合職の官僚はどこを向いて、何のために「仕事」をしているのか? 

25~29:
 牧瀬蒼唯が担当するテーマに遂に瑞希が関わりをもつことになる話が続く。それは逸滋重工が手掛けている「運転事故自動回避支援システム」についてなのだ。蒼唯は何度か実験に立ち合い、それが成功しているにも拘わらず、なぜかそれを信用して、案件を承認するのを躊躇しているのだ。
 ここに一つの大きな仮設がストーリーとして置かれている。「タスクフォースって有名無実な部署だったのに」ということである。蒼唯は「わたしたちがきちんと仕事をすること」を考えることが、「あまりいい傾向じゃないかも」と思案しているという皮肉さが書き込まれている。蒼唯の思いに対し、南條がこう答える。「たしかに省内のお偉いさんが、なにか触れられたくない秘密を持っているのはあきらかだ。檜木さんが上に従って真剣に働くのを放棄して、俺たちも感化されてきた。でも、どうも瑞希が現れてから調子が狂ってきたような」と。
 この案件に、謹慎中の瑞希が結果的に関与することになる。関与の仕方が興味深いことと、いかさまの手口が意外と単純なのだが、気づきにくい盲点であることがおもしろい。

30:
 「人間の目がとらえた視覚情報を読み取る装置」の実験についてのショートストーリーである。1回完結編。ちょっと息抜きのオマケのような感じでのお話。種を明かされれば単純な心理の盲点を突いたものなのだが・・・・。意外と気づきにくい。
 
31~40:
 各所にいくつかの伏線が敷かれながら、このストーリー展開での最後の研究案件が登場する。平成28年度以降、年間1200億円の研究開発費を税金でまかなうことが予定されえいるテーマである。それは「バイオメトリクス沿革監視捜索システム」である。日本じゅうの防犯カメラや監視カメラをネットワークで結んで、顔認証で特定の人をただちに見つけだせるシステムだという。それに加えて、この研究には文科省の杉辻副大臣が深くかかわっている研究でもあるという。文科省主宰の研究なのだ。副大臣は瑞希が所属しているタスクフォースの座長でもある。
 文科省主宰の研究であるということに躊躇せず、瑞希が関わって行く姿が頼もしい。
 このシステムには、民間開発支援団体ができていて、実験の被験者として参加している。支援団体は、この研究の成功を願う人々の集まりで、システムの信奉者でもあった。
 さて実験は正当なものなのか、何らかのいかさまが含まれているのか?
 これまでに張られていた伏線は何のためだったのかが、明らかになっていく。おもしろい展開となる。

 瑞希、澤田、南條、牧瀬の4人は、タスクフォースの職務を継続することになる。ひとまずは、ハピーエンドな終わり方である。だからこそ、引きつづき、2冊のシリーズ作品が既に出版されている訳だが。

 この小説、研究として取り上げられているテーマが興味深い。時代にマッチしたものであり、今まさに進行形でありそうなものばかりという感じであるところが実によい。
 そして、各所に現在の官僚組織体制、官僚の処世術に対するアイロニカルな指摘が書き込まれている。納得できるところが多い。批判的指摘である。

 最後に、瑞希が謹慎処分を受けた時、父親が発言したことが印象的である。ご紹介しておこう。

*いまの世のなか、偉いやつほど腹黒だしな。  p186
*水鏡(すいきょう)とも読めるだろ。もうひとつ意味があるんだ。水がありのままに物の姿を映すように、対象をよく観察してその真情を見抜き、人の模範となること。
 水鏡ってのは真実を映すと同時に、人から手本とされる存在でなきゃならん。 p187

 ご一読ありがとうございます。
 

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補遺
本書を読み、関心を抱いた関連事項を検索してみた。一覧にしておきたい。

「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」中間取りまとめについて  :「文部科学省」

STAP細胞論文に関する調査結果について  :「理化学研究所」
STAP細胞が証明された !ドイツ研究チームがSTAP再現に成功! :「Share News Japan」
STAP現象の確認に成功、独有力大学が…責任逃れした理研と早稲田大学の責任、問われる  :「Business Journal」
地震科学探査機構 ホームページ
GPS地殻変動観測と地震予測   ホームページ
宇宙エレベータ建設構想  :「大林組」
宇宙エレベーター協会 ホームページ
バイオメトリクス認証(生体認証)の”今”を探る  :「SAFETY JAPAN」
これからの本命?バイオメトリクス認証 10 種類を紹介 :「KASPERSKY DAILY」
生体認証導入・運用のためのガイドライン  情報処理推進機構

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『水鏡推理Ⅱ インパクトファクター』  講談社
『パレイドリア・フェイス 水鏡推理』  講談社

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